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【文豪?】中上健次がよくわからない!?

中上健次がわからない。
正確には、
中上健次の凄さが私には
よくわからない(汗)。

中上健次は昭和時代や、
平成前半に活躍した作家で、
新宿ゴールデン街で
朝まで酒を呑んでは、
文学議論をしてケンカする、
そんな昔体質な最後の作家でした。

中上健次は、
私と同じ和歌山県出身で、
だから、和歌山の文学スターです。

私は和歌山県中部の海の町、御坊。
中上健次が生まれたのは、
和歌山県南部の海の町、新宮。
言葉のアクセントや方言が
かなり似ています。

中上健次の『岬』など
会話が多い作品を読んでいて、
会話部分が長く続くと、
東京で読んでいるのに、
まるで和歌山で読んでいるような
幻覚になります。何度もなりました。
それはちょっと嬉しい幻覚です。

そろそろ本題に入らなくては(汗)。

東京で出会う仕事仲間で、
たまに、中上健次マニアが
何人かいました。

そうして、中上健次愛が強すぎて
和歌山新宮の中上のお墓に
詣ってきましたよ、と
さも当たり前のように言うんです。

え?新宮市まで?
中上の墓参りを?

え?
中上健次って、
そんな文豪みたいな存在なの?
そう知ると私は必ず狼狽えました。
新幹線と紀勢本線の特急を
使っても、6時間はかかります。
わざわざ、そんな遠方まで?

それに、数回前の芥川賞を受賞した
現役大学生・宇佐美りんさんも
中上健次から大きな影響を受けたと
受賞式で言っていました。

私はまた狼狽えます。
中上健次はそんなに凄いのかあ?

中上健次は、
芥川賞作品『岬』で
戦後生まれ作家初の芥川賞に
選ばれた作家でした。

中上健次は、青春時代には、
大江健三郎にハマり、
大江式の文体にハマり、
大江健三郎から呪縛されました。

それが災いして、
色んな作品を書いても、
どれも、大江健三郎の
二番煎じになりました。
中上さんは大いに悩みました。

大江式の文体から
初めて解放されたのが、
地元和歌山県新宮市を舞台にした
『岬』でした。

やっと大江から解放され、
芥川賞に選ばれ、その後は、
文学史的には、
中上の軌跡は快進撃でした。
『岬』のその後日談を
大きく切り開いた『枯木灘』は
和歌山の新宮を舞台にした傑作です。
文体も勢いのあるリアリズムでした。
明らかに、大江健三郎から
解放されていました。

さらにこの『枯木灘』を受け継いだ
『地の果て至上の時』は
評判もかんばしくなく、
中上は不満でした。
私は『地上の果て…』は
また読みにくい大江式の文体に戻り、
訳がわからず、途中挫折しました。

さて、その後は、
フォークナーや
南米文学のマジックリアリズムの
達成を受け継ぐかのように、
中上は、独得の世界観、哲学、文体を
身につけました。

『地の果て…』で評価を
得られなかったことにこだわる
中上健次は、さらにその続編となる
『千年の愉楽』を発表し、
これは、評価を挽回できました。

でも、南米文学のような、
長い長い文章は
読み手を選んでしまうものになり、
この辺りから、中上健次は
1部のマニアと、
9部の疎遠な人に
分かれるようになっていきます。

なぜ、中上は、
評価が高かった『岬』『枯木灘』で 
体得したリアリズム式の文体を
やめたのでしょうか?
それが私にはよくわかりません。

『千年の愉楽』をさらに
煮詰めた『奇蹟』は、
一部のマニアには
またまた、喝采を浴びるものの、
その他大勢からは、
読みにくい小説となっていました。 
なんだか、大江健三郎のようです。

でも、それが
作家の宿命かもしれない。
みんながみんなに愛される、
なんてことはないんだ、
という時代の到来を、
中上は教えてくれたのかもしれない。

中上が青春時代にハマり、
その呪縛に苦しんだ大江健三郎と
その在り方は、あまりに
よく似たものになっていました。

もしかしたら、
大江健三郎の模倣?呪縛?から
ほんの僅かだけ解放されたものの、
またすぐに大江式になっていった
とも言えてしまう、中上の晩年。

最初に誰にハマッてしまうか?が
その人の人生を決めてしまう…
なんてことがあるんでしょうか?
なんて業の深いことでしょう。
あれだけ、大江さんから遠ざかろうと
していたはずだったのに。

私の中上健次評価は、
もしかしたら、
不当に低いかもしれない。

それは『岬』『枯木灘』の作品に現れる、
性欲の塊のような若い衆たちや、
彼らに翻弄されゆく女たち、
また、彼らが織りなす事件を、
私も生まれた町で、
当たり前のように見物していたから、
かもしれません。

本当は、中上健次って
凄い文学者なのかもしれない。

はたまた、一部のマニアが
高く評価しすぎているのか?

一人の作家の評価が定まるには、
中上健次はまだ他界して、
時期が浅いのかもしれませんね。
文豪という名称はまだ早い…。
いや、ずっと中上は
文豪とは呼ばれないかもしれない。

ただ、ひとつの目安として、
今年の夏に、岩波文庫から
中上健次短編集が発刊されました。
まだ、戦後の小説家では、
大江健三郎、
開高健、
安岡章太郎、
この3人しか岩波文庫には
入っていません。

同じ郷里の人はどうも近すぎて、
私には正しく評価することは
できないのかもしれません(汗)。

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