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【芸術】noteで芸術は可能だろうか?

「文学と芸術」。
それは関連があるでしょう。
では「noteと芸術」では
どうでしょうか?
こんな題目で話をするのは
可能でしょうか?
風呂敷は大き過ぎないかしら?

私が、日々、noteに書いている記事は
決して、芸術ではない。
全然、無縁なものでしょう。

ちなみに、
芸術とは何か、まずそれを
硬めておきましょうか?

私の今立っている地面を揺らすもの、
私が今疑わずに立っている地面が
果たして価値があるのかどうか
疑問を提案してくれるもの、
それが芸術ではないかと?

私をただ肯定してくれるもの、
安寧な気持ちにしてくれるもの、
それは芸術ではないに違いない、
私が今さっと浮かぶ芸術は、
そうした概念です。

ふと改めて、
自分の記事をパラパラ見ると
99%、いや100%は、
自分の不安を安寧にするために
書いているものばかり。

でも、理想は、やはり
今の自分には耳が痛いような真実を
書いてあること、
そんな気がするんです。

まずは自分を刺して、
世の中をも刺して、
真実を最後に突き刺すような
目線の記事や創作こそが大事では?

たしか、noteを始めた当初は
そんな気持ちでいました。
今とは全然、心意気も
ちがっていました。

ということは、
私は「堕落」して
しまったのでしょうか?

3年半、やってきましたが、
去年、一昨年は
ビュー数が1000ビューを超える時も
何度もありましたが、
今ではめったにありません。
よくて500ビュー数です。

これは単に、
私の中でネタが枯渇してきた?
ことのあかしでしょう。

また、書いてきた3年半の間で、
自分の観察力や表現力が
テンプレート化されてきた、
のかもしれません。

やはり、
自分の足元や地面を揺さぶるような?
地面に足のついた?記事を
もっともっと書かねば。

毎日、記事を挙げるなか、
様々な不安や疑問が出てきます。
「最近、文学っぽい話ばかり書いて
気障だなあ(笑)、
フォロワーの方々はこんな記事、 
読みたいのかなあ?
もっと私か実際に体験した話を
読みたいのではないか?」
という不安が出てくる一方、
書いて数日して分かってくる、
ビュー数やスキ数は、
私の体験話より、
ちょっとした文学老人の話が
よく読んで頂いているんですよ。

ビュー数を上げたいなら、
体験話より、
気障な?文学余談がいいということ?

でも、そんなふうに、
ビュー数やスキ数に縛られてきた、
そんな現状が一番ダメな、
通俗な考え方でしたね。

私が今、本当に戦うべきは、
自分の中にいました。
まずはコイツと戦うのが
先かもしれません。

そうかあ。。。
私は最近、冒険心や遊び心を忘れ、
守りに向かって、
文学小話を書いてきていたのだ!?
なんてセコい奴だこと。
トホホ(汗)。

とはいえ、
私はとうてい芸術家では
ありませんから、
毎回、自分の足元を揺らすような
記事を書いて行けるチカラはない。

でも、せめて、
週に一度は、そうした芸術的な
根元的な記事を挙げることを
自分に課してやりましょう?

ああ、今日は久しぶりに、
自分の今のnote状況を
見直すことができました。

人間、やっぱり、
調子こいたらダメですね。
いちびったらダメですね。

*いちびるとは、
調子に乗る、の関西弁です。
調子に乗る、というより、
五感があるでしょ(笑)?

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