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【設定ミス?】ビルマの僧は楽器を弾かない。名作「ビルマの竪琴」は致命的?

〈今日は「ビルマの竪琴」問題について〉

戦争小説『ビルマの竪琴』。
2度も映画化され、
日本では今なお読まれる名作ですね。

書いたのは、戦後に活躍した
ドイツ文学研究者の竹山道雄さん。

戦争中は、
ヘッセ翻訳で知られる高橋健二ら
ナチス賛成派が大手を振るなか、
竹山道雄は反ナチス派として
ナチス関連の翻訳には協力せず
ドイツ文学研究者のあいだでは
かたみの狭い存在だった人です。

そんな竹山道雄が
戦後に児童向け雑誌
「赤いとんぼ」で連載し、
人気を博したのが『ビルマの竪琴』です。

私も小説、映画、どちらも
読んだり観たりしました。
いい物語だと思いました。
創作の作品であり、
一種のファンタジーでさえある。

ところが、数年前、あるライターから
衝撃的な話を聞かされました。

ミャンマーには、
ミャンマー仏教という独自の仏教があり、
その戒律では、
僧侶は音楽を奏でてはいけない、
弾いたら破戒に当たるというのです。
え?ええ??

作品の中では、
主人公はミャンマーで僧侶となり、
竪琴で曲を弾き、歌も歌います。

それが作品のクライマックス。
読者や観客は、そこで
共感したり感動するわけです。

でも、ミャンマーの僧侶が
竪琴を弾くことがご法度だったとは?

この指摘を、みなさんは
どう思われるでしょう?

私は最初、それによって、
美しい名場面が損なわれる位、
重要な指摘には思えませんでした。
なぜなら、『ビルマの竪琴』は
日本人が作ったファンタジーだから。

実際、竹山道雄さんは
作品発表時に、自分は
ミャンマーを訪れたこともなく、
無知な間違いがあるかもしれないと
言い添えていました。

日本兵士の一人が
ミャンマーでの惨状を目の当たりにし、
戦後日本に戻ることを諦め、
一人、ミャンマーに残って、
ミャンマーで亡くなった日本兵の魂を
悼むための旅に出ます。
ミャンマー仏教の僧侶として。

たしかに、
竹山道雄の設定は、痛いあやまり
なのかもしれません。
でも『ビルマの竪琴』は
それによって、価値が致命的に
損なわれることはないと考えます。

もしも、できうるなら、
元来、児童向け雑誌で連載された
ファンタジーの物語だったのだから、
国や地域を匿名?な状態にしていたら、
良かったのかな?
でも、そうすると、
感動を呼ぶためのリアリティが
薄まってしまうかしら。

戦時中から、
日本で実は英雄視されていたナチスに、
反骨を貫いた竹山さんには
どうしても贔屓したくもなりますが、
ビルマ仏教での戒律は
調べてくれればよかったかな?

私に、この小説のあやまりを
いかにもウンチク家として
教えてくれたライターさんは
意気軒高な表情でしたが、
私にはそんなに簡単に
シロクロつく問題ではないと思います。

創作は難しいですねえ。
でも、『ビルマの竪琴』は
やはり名作であることは確か。
少なくとも、ファンタジーとして。


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