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【文学】太宰治VS芥川龍之介、どっちが…?

『太宰治VS芥川龍之介!』

二人はなんとなく似た印象ですね。
どちらかの作家の愛読者は、
大抵、もう一人の作家も
かなり好きであったり、
作品もまあまあ読んでいたり…とか。

太宰治と三島由紀夫みたいに
もう水と油みたいな関係になると、
片方の作家のファンは、
もう片方を嫌っていて、
作品まで読まない場合もありそうですが、
太宰ファンの6割は芥川ファンと
言っても間違いではないような?

ちなみに、私は太宰治のファンです。

でも、芥川もたいがいは
読んでいるのです。
でも、どうしてでしょうか、
芥川を読みながら、
彼に心を100%開いて読んだことは
ないなあと感じるんです。
芥川にはなぜだか、
ちょっと構えてしまうんですね。

太宰治に大きな影響を
与えてくれた先人として、
芥川龍之介は大切な恩人なのに。
 
なのに、心をゆだね、オープンに開き、
心をまる裸にして読むことは
ないんです。

でも、大の芥川ファンである
漫画家・松田奈緒子先生は
芥川の作品を読みながら、
芥川の心臓の鼓動さえ感じるよう、
と、芥川のとある1日を描いた漫画
『えへん、龍之介。』(講談社)で
描いておられます。
芥川は冷たい作家だ、という訳でも
ないようです。
ちなみに、この漫画は
大ヒットした『重版出来』みたいに
目立つ漫画ではないのですが、
文学や小説家に関心がある方には
超~オススメです。

さあて、どうして芥川には
まる裸で向かっていけないのでしょう?

完璧を求め過ぎる芥川の何かが
私を拒絶するのでしょうか?

逆に、芥川ファンは
太宰治を読もうとして、
どこかで拒絶されるような感覚を
抱くのでしょうか?

あ、ちょっとわかってきました。
そもそも、人間は他人に
そう簡単にはまる裸には
なりませんし、なれません。

太宰ファンの私は
ついうっかり、全幅で他人を
信用しようとしたり、
また、他人から信用されようとする。
それゆえに世間からズレ、
自然と太宰ファンになりました。

でも、芥川には、
非常な警戒心と対人距離感が
備わっていますね。
そう簡単に他人をまる裸で
信用しようとしたり
信用されようとする部分がないですね。
完璧のために、もっと自分自身を
キープしていたいのです。

どちらの傾向も
間違ってはいないのでしょう。

ただ、太宰ファンで、
太宰的な傾向でつい他人を
信用し信用されたくなるマインドでは
芥川龍之介の芸術至上主義は
ちょっと冷たく感じてしまいます。
と言っても、三島に比べたら
芥川は十分に自身を
さらけ出していますが。

と、こう考えてくると、
太宰と芥川はそもそも、
どこがどう似てるんでしょう?

二人は、自分にふさわしい
人生の答えを求めて、
文学にうちこんだ、
という点でしょうか?

それから、比較的早くから
死の気配に魅せられたこと。
ペシミストであったこと。

なるべく、イデオロギー等から
自由に考えたり書いたりしたこと、
でしょうか。

ただ、太宰の作品からは
「ぼくをわかってよ~」という
必死の願いが聞こえてきますが、
芥川の作品からは、
そんな子供じみた甘い声はなく、
「私について来なさい」という
自信に満ちた声が聞こえてきます。

映画監督の小津安二郎は
「芸術が私についてくる」と
言って頑固に自分の作風を
変えなかったように。

太宰治VS芥川龍之介。
二人には、どんな魅力があるか
どんな人間性があるか、
改めて考えられて良かったです。

皆さんはどうですか?
太宰ファン?
芥川ファン?
いや、どっちかのアンチだったり?

今度は夏目漱石と誰かで
やってみたいと思います。

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