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【適応障害】今、自由が足らない。生き辛い。

最近、自由が足らない。
足らない気がする。

管理主義な社会になってきた。
何かあったら行けないから、 
何かの芽を摘んで、
危険の予防に徹底している。
事故が起きる前から、
先にお詫び文を書いてるような
慎重なマインドが、
人間から自由や活発さを
奪っていく流れに、
私たちはいるらしい。

昔は失敗はしても許された。
今は失敗する前に、
失敗しないよう無難な道を
敷いていく。

これでは、楽しい遊びが
できるはずがない。
楽しい仕事もできるはずがない。

だから、生きづらい。
自由が奪われすぎている。

それは会社や社会だけではない。
デジタルは、スマホを通して、
家庭や個人の心にまで
侵入してくる。

どうしたらいいのだろう?
こういう時は、
逃げろ!逃げろ!というのが
すぐに思いつくけれど、
管理主義からは
そう簡単には逃げられないでしょう。

それに、管理主義は便利だ。
失敗がないから、
人はみな、管理主義に流れる。

それと対極なのが、
発達障害や適応障害だ。

私は適応障害ですが、
環境への適応能力は 
恐ろしいくらい、ない。

だけど、
会社や社会は、
私に、環境への一律の適応を
求めてくるんです。
そのなんとも息苦しいこと!

管理なんかしようという今の流れは、
気持ちが悪いんだけど、
優等生になりたい人は、
必死に環境に適応しちまうし、
できちゃうんだろう。

だから、怖いとは感じない。
人はただ、一種の障害物競走みたいに
問題を次々、乗り越える。

でも、一度でも、
環境に馴染めないと
思った人間は、
次からは、障害物をなぜ
私は乗り越えなくてはならないのか、
意味を求めてしまう。

でも、ここで、
簡単に適応すべきか?
少しは意味を考えるべきか?

とりあえず、私は
気づいたら、
環境に適応ができない自分を
まるごと、信じてやろうと
決めました。まるっと。
世の中からは、
変態か、デクノボウ扱いだ。
ここで大事なのは、
優等生になろうとしないことだ。
自分は一人しかいませんからね。
この私を信じてやろう。

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