見出し画像

【人生】生きるとは「待つ」ことの連続である?

人生は選択の連続だ、なんて言葉が
ありますが、
思えば、人生というのは「待つ」という
行為の連続じゃないかしら?

というと、受け身?人任せ?と
思われるかもしれないですが。

誰かと出会うじゃないですか。
出会いはあくまで自然であり、
その機会が来ることを
われわれ人間は心の中で
「待ち」望んでいるんですよね。

出会いといっても、
同性の出会いや
恩師との出会いなど、
色々あると思うんですが、
人生を歩んでいく中では、
「池田くん」(仮)に会って
いっぺんに仲良くなったり、
学年が一つ上がって、
話が面白い先生と出会ったり。

そのどれもが私の計画や予想で
決めたり判断することは
できないですよね。
何かの偶然や必然が絡んで、
出会いや別れがあると思うんです。

どんなことも、
100%、自分の計画と予想と判断で
できている、、、、、
そんなことはないですね。

人生は、日々、出会ったり、
別れたりしながら、
さまざまな状況や場面を迎える。
それに向き合う。
出会いを作ろうとか、
友達をたくさん作ろうなんて
そんな考えは全然なくても。

いや、そんな考えがない方が
いい出会いがあるかな。

パートナーがいて、妊娠して
お子さんが生まれてくるのも
我が子との出会いですよね。
まあ、妊娠中から、夫婦は
ずっと「誕生」を待っている。

本ももちろん。
本との出会いってありますね。
その本の出会いで影響受けたり、
自分を変えてくれたり!

昨日は皆既月食で、
気持ちが妙に昂ぶりました。
月が再び光を取り戻すのを
みんな「待って」ましたね。
ああ、自分は人間なんだと
つくづく痛感しました。

いつも夜になるとやって来る
地域猫4匹。まあ野良ですね。
これも得難い出会いです。
最初に出会ってから
10年にもなるので、
もう彼ら彼女らが一匹でも
元気なうちは正直、
今の場所から引っ越す気には
なれません。
始めは気軽にご飯を
あげただけなのに、
それが10年にもなるなんて、
深いご縁だったようです。

待つ、というと、
受け身とか受動態とか
思われがちですが、
人生のほとんどは「待つ」で
出来ている…そんな気がします。

目標を決めて計画的に
資格試験に受かるために
勉強していることだって、
また、作家になるのが夢で
作家修行をしてる人だって、
勉強してるなかで
「合格」することを
待っているはずです。
賞をとってデビューできる日を
待っている気がします。
司法試験に合格できることを
待望している。
あれ、「待望」の1字めは
「待」でしたね。

「人生は選択の連続である」
なんて言葉は、自己啓発本では
しょっちゅう出てきますが、
「人生は待つことの連続」でも
あるような…。

私も今、色んなことを
待っています。
もっと仕事ができる自分、
穏やかで話が合う恋人、
60歳以降の第2の仕事、
自分の今をぶっ壊してくれる本。

そういえば、
太宰治の短編小説に
「待つ」という名作があります。
駅前にずっと座り続け、
何かがやってくる気配に
心をドキドキさせる、
ちょっと不思議な女性の独白。

あの作品では、
主人公は一体何を待って
いるのかなと、解釈は分かれ、
読んだ人で意見交換できたら
きっとみんな、答えが
違うでしょうね。

人生はいつも何かを
待っているのかもしれませんね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?