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【妖怪】反論じじいはなぜ怖い?

今日は妖怪の話です。
それも最近増えているという。

昔は私もおしゃべりだった。
でも、人間関係で、
数々の挫折や負傷を 
受けてからというもの、
下手に人から打たれないよう、
警戒しながら、ポツリポツリと
話すようになった。

これは成長?
いや、退化でしょうか(笑)。

最近、私はビクビクしながら、
このnoteを毎日、書いています。
ある妖怪がトラウマなのです。
彼自身はそんなに
怖い訳ではないのですが。

ただ、突如現れ、
とうとうと私に異論反論を述べ、
自説に酔いしれ、
愉快げに、いわばドヤ顔で、
感想を書いたり、言ってくる。

そのドヤ顔ぶりが、なぜか怖い。
自意識過剰さ故に、
必ずマイノリティ側を装って
異論を述べてくるところも怖い。

その愉快げな顔が浮かぶだけで、
私はこのnoteでも、萎縮してしまう。
あの人の好きな分野だけは書くまい、
書かずにおこうと逃げてきました。

もしも私が村上春樹の世界について
なんらかの記事を書こうものなら
たぶん、100時間はずっと
異論反論を語って飽きないでしょう。

それが怖くて私は、
村上春樹は、話題にはしないよう
避けてきました。

でも、その異論反論の何が
いったいそんなに怖いのだろう?
よくよく考えてみました。

1日かけて、
やっと見つけたネタをnoteに書いて、
ふーっとひと息、
ああ、なんとかまた毎日更新できた!
と安堵してるその隙間から、
うわっと、その妖怪からメールがくる。
異論反論がくる。
私の話をボコボコにする。
まだnoteのフォロワーさんも
読んでいないというのに、
反論を得意げなメールが来る。

今はまず毎日更新がどうにか
できたばかりで、
「ああ書けた〜」と安堵していたら、
冷や水をぶっかけられたような、
心が凍りつくような、
萎縮するような恐怖感。

この妖怪の饒舌ぶり、
この妖怪の博識ぶりは、圧倒的である。
それは、毎日更新をして
なんとか安堵しているような
メンタルの弱い人間には、
もはや暴力になってくるんです。

きっと妖怪本人は
自分の饒舌さや博識さが
まさか私には暴力になっていることに
気づくこともあるまい。

そこがまさに恐怖。

物知りであることが
どんな手順を何十個たどると
暴力になるのかを、
いつか理論化しておきたい(汗)。

最近は、
自意識過剰な饒舌家が
あちこちにいるらしい。
必ず、異論や反論から入ってくるのが
その特徴だ。
こんな妖怪は、
鬼太郎が本当にいるなら、
呼びたいくらいだ。
そうして、
饒舌な異論や反論ばかりを
口にするその妖怪を、
どうにかして欲しい。

鬼太郎だ妖怪だなどと、
54歳にもなって言うなんて、
私もヤキが回ったかもしれない(汗)。

しかし、その妖怪の圧倒的な異論が
なくなれば、
私はもっと自由にネタを
選ぶことが出来るようになるだろう。
ずっとストーカーされている恐怖は
なくなるだろう?

怖いよ!妖怪・異論反論じじい。
マイノリティぶって
異論反論をまきちらすのは
もう自分も含め、
やらないよう肝に銘じねば。

でも、つい、やりがちなんですね。
何かモノを申す時、書く時、
異論反論に花を咲かせる妖怪が。

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