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【老害】ポテサラ論争で思う、人生はキレイごとではない…

ちょっと前に「ポテサラじじい」論争が
随分、ネットを賑やかにしましたね。
色んな意見も出てました。

元になったツイートを読む以上、
「じじい」はひどい。
じじいを擁護する余地はないですね。

でも、一方的な叩かれ過ぎを
憂慮したのか、作家・辻仁成は、
「じじい」がそう発言するに至る
までの夫婦のヒストリーや、
じじいのポテサラへの愛情、
手料理が上手な奥さんのことなどを
空想たくましく書いて話題に…。
確かに、あんなに叩かれ過ぎると、
じじいに哀れみたくもなりますね。

私はそれとは別に、
ある点でショックでした。
単純に「老人」には優しくしよう、
という教えがほぼ絶滅したことです。
老人と子供は、大人が優しく守るんだ、
なんて昔のしつけはもう絶滅したみたい。

ポテサラじじいは、確かに
勝手で、愚かで、わがままでした。
でも、正直、老いていく男は、
愚かで、わがままな存在に…。
特に、珍しい訳ではないハズですが、
わがままな老人を、今の若い人は
見馴れていないのかあ、
免疫は弱いみたいだな?

テレビやネットで見かける老人は、
政治家や経済人、俳優、歌手ら
お金持ちだし、
ショービジネスで洗練されてる。
でも、老人の大抵は、
あんなに洗練はされないで、
言葉のチョイスも拙い、
わがままなおじいさんだ。

昔、自分が小さかった頃、
商店街や町外れや電車内で
出会った老人たちは、
そんなものだった気がするんです。

もしかして、今は、
老人も、子供世代と暮らしてる方々は
きっと頑張って、中身も洗練させ、
見た目も綺麗にして努力しておられる。

それは素晴らしいことですが、
それはごく一部で、
かなりの方々は、若い世代と
コンタクトもなく、
どんどん「野蛮」になる、
それが、自然なのかもしれません。

養老孟司さんによれば、
子供がなかなか理解できないのは、
子供はまだまだ「自然」な存在だからで、
老人もまた中年を過ぎると、
自然に近づき、若年、中年からは
理解しづらい存在になっていく。

そんな自然の摂理というか、
老化の「当たり前」な姿を、
核家族で生きてきた私たちは、
すっかり置いてきぼりに
してきたのかもしれない…。

本当は、老人とも日常で
たくさん接するのが、
互いに良いのでしょうね。
多様化、ダイバーシティは、
高齢者もまた、然りというか…。

少なくとも、ポテサラじじいの
ネット内の議論に老人は
あまり参加してなかったでしょうね。

一方的だったこと、
老人にあまり免疫がないことが、
ちょっと空しい…。

生きるということは、そんなに
ネットやメディアが言うほど、
キレイごとではないのですから。

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