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【文学】名作小説は死の気配が漂ってくる?

伊坂幸太郎の小説『重力ピエロ』の
冒頭を初めて読んだ時、
なぜか、死の気配を感じました。
死の気配といっても、
死体の描写とか、
死を直接語る訳ではないのですが、
文章を読んでると、
ああ、死の気配が漂ってるなあ、
この新人作家は売れていくなあ、と、
実感したのを覚えてます。

死の気配は、実に
しっとりとした味わいです。
行間や紙背から、艶やかでアンニュイな
「確かさ」を感じさせてくれます。
文に宿る体重のような、体温のような、
そんな何かです。

村上春樹の短編集
『中国行きのスロウボート』でも
はっきりと死の気配を感じました。
村上春樹の第一短編集でした。

暗いとか悲しいという話ではありません。
内容とは関係がありません。
今村夏子さんも、死の気配を
『あひる』から感じました。
恩田陸さんも『夜のピクニック』で
死の気配が匂いましたね。

「死の」という私の言葉づかいが
誤解を招きやすいかもですが、
他に言い様がないニュアンスで…。

これは、何でしょうね?
何が原因でしょうか?
また、作家はこの気配を努力して
後天的に取得できるのでしょうか?
文章の確かさ?美しさ?調和?
この気配の正体は一体何でしょう?

ちょっと思うのは、
文章や小説は、そもそも、
生者や死者、強者や弱者もみな
平等に扱われるべき世界で、
生者や強者にしか意識が届いてない
小説やエッセーは、
ペラペラで奥行きが出ないから?
でしょうか。

いや、私たちは死をどこかで
欲しているのかもしれない。
だから、生と死を両方兼ね備えたものに
惹かれるのかもしれない。

死の気配をどうしたら身に付くか?
分かれたらいいんですが、
30年近くずっとわからないままです。
誰か良かったら教えてくださると
嬉しいのですが。



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