「絶望」している不合理なヒューマンたちへ 【新刊試し読み】
営業担当者推し本『闇の先へ 絶望を乗り越える行動科学』試し読みの第5回です。
7月29日に発売する『闇の先へ 絶望を乗り越える行動科学』は、いま営業担当者が一番推したい「推し本」。一部ではありますが、営業担当が読んで面白かったおすすめのページを公開いたします。
▼3章・142頁より「自分の不合理を利用する(セルフナッジ)」
この章では、絶望から抜け出して良い状態を維持するために有効と考えられる方法をいくつか紹介していきます。本題に入る前に、「絶望から抜けられない状態」について行動意思決定論の研究者として私の考えを述べます。
行動意思決定論を含む行動科学分野の研究では、実際の人間は合理性から程遠い「不合理な人間」であることを心理実験等で明らかにします。一般に、合理的な人間を「エコン」1 †(econ)、不合理な人間を「ヒューマン」(human)と呼ぶことが多いので、以下ではこの表現を使います。
なお、「不合理」という言葉にはさまざまな定義がありますが、本書では「合理的な人間は絶対にしないこと」という意味で使っています(「愚か」や「間違っている」という意味ではありません)。
人間の不合理な現象は驚くほどたくさんあります。2章で紹介した「鮮明効果」や「類似性バイアス」も不合理の例です。多数の人物のデータより目の前の1人に強く影響を受けたり、自分と似ている人に共感しやすいという現象は合理的なエコンでは考えられません。
1 † 厳密には、合理的意思決定を行う人間のことを「ホモエコノミカス(合理的経済人)」と呼びます。
これまで私はさまざまな不合理を研究してきましたが、「絶望から抜け出したいのに抜けられない」という状況は、最大級の不合理の1つだと思っています(あくまで自分の経験に基づく私見です)。
エコンであれば、絶望を乗り越えたいと思えば苦労せずに乗り越えられるので、こんなことに悩むはずがありません。しかし、ヒューマンはそのような不合理な状態に陥る可能性があり、私自身もその不合理に苦しみ続けました。
「絶望から抜け出したいのに抜けられない」という苦悩は、実際にその状態を経験しない限り深く理解できないと思います。私自身もそんな状態にならなければ、この最大級の不合理を理解することはできなかったでしょう。序章で加藤諦三先生の著書から「自分の人生を良い人生にしようという意志がない」という言葉を引用しましたが、そこまで露骨な表現を使うかどうかは別にしても、「絶望を乗り越えられない人間の心の弱さや意志に問題がある」と考えている人は少なくないかもしれません。
冒頭でも述べたとおり、私は絶望から抜け出したいと強く思っていたのに、それができませんでした。それは「意志の弱さ」で説明するよりも、「不合理」の方が適切な表現だと私は考えています。私の感覚では、意志の問題ではなく、ただ不合理だったということなのです。「絶望から抜け出したいのに抜けられない」という状況は極めて不合理ですが、ヒューマンならそうなる可能性があります。
これまで私が行動意思決定論の研究をしてきて、得られたこと(学んだこと)は大きく2つです。
1つ目は「不合理が受け入れられるようになった」ことです。人間にはさまざまな不合理があります。そして、実験などで人々の不合理な現象を実際に目の当たりにすると、「人間って本当に不合理なんだ」と強く感じます。そのようなことを何度も繰り返していると、人間の不合理が当たり前のように思えてきて(むしろ愛着さえ湧いてきて)、違和感なく受け入れられるようになりました。従って、「絶望から抜け出したいのに抜けられない」という不合理も、今の私はそれほど違和感なく受け入れられます。自分自身も含めて、人間は驚くほど不合理な存在なのです。
2つ目は「不合理は必ずしも悪いものではない」という視点を得たことです。これが本章の主題となります。行動経済学でよく使われる「ナッジ」(Nudge)という言葉を聞いたことがある人もいるでしょう。ナッジとは、「肘で軽くつつく」という意味の英語で、認知バイアスや人間心理を利用して本人や社会にとって望ましい行動を促す取り組みのことです。
ナッジの有名な例として、臓器提供の意思表示がよく知られています。一般に、同意の取得方法は、同意する場合にフォームにチェックする「オプトイン方式」と、同意しない場合にフォームにチェックする「オプトアウト方式」の2種類あります。オプトイン方式ではデフォルト(初期設定)が「不同意」であるのに対して、オプトアウト方式ではデフォルトが「同意」となります。
図21はヨーロッパ諸国の臓器提供同意率を表しています(研究が発表された2003年当時のデータ)。デンマークのように「臓器提供に同意しない」をデフォルトにすると同意率は低くなりますが、オーストリアのように「臓器提供に同意する」をデフォルトにすると、ほぼすべての国民が同意します。
このようなデフォルト効果(デフォルト選択肢を変更しない傾向)を利用したナッジは、私たちの身のまわりでたくさん使われています。デフォルト選択肢を好ましく感じたり変更が面倒だと思うのは、不合理なヒューマンならではの現象です(合理的なエコンでは考えられません)。ナッジでは、人間の不合理を逆にうまく利用して、社会の人々が幸せになれるように手助けすることを目指しています2†。
2† 私が大学生を対象に行ったアンケートでは、大半の人は「自分が脳死になった場合には臓器を提供し、自分が臓器移植を必要とした場合には移植が受けられる社会を望む」と回答しているので、臓器提供への同意をデフォルトにするのは、多くの人にとって望ましいナッジだと考えられます(もちろん、宗教等の理由で臓器提供に反対する人が否定されるべきではありませんが)。
従来のナッジでは、政府や企業など権力の強い者(選択アーキテクト)が一般市民(ヒューマン)に対して働きかけます。それに対して、近年は、「セルフナッジ」(self-nudging)という方法が欧米の研究者の間で注目されています。
セルフナッジとは、自分自身の認知バイアスなどを利用して望ましい選択や行動をとれるようにする方法のことです。例えば、冷蔵庫の中の見えやすい場所に健康に良い食材を置いておけば、その摂取量が増えることが確認されています。これは、「顕現性バイアス」(目立つ選択肢を重要と認識しやすい)を利用したセルフナッジです。
2章では、「希望の根拠」と「システム思考」について解説しました。これらは私が絶望を乗り越える上で極めて重要なことでしたが、それだけでうまく乗り越えられたわけではありません。やはり人間は不合理なので、過去のつらいことを思い出したり、ネガティブな感情を抱いたりすることは当然あります。私は何らかのきっかけでネガティブな状態になりそうな気配を感じた時は、行動科学の知見を使ったセルフナッジをいろいろと試すことで、再び悪い状態に戻らずにうまく乗り越えることができました。
次回は、7月30日(火)に更新いたします。
【ついに発売!書籍内容紹介】
私はいかにして絶望の淵から生還したのか。順風満帆な人生が一夜にして暗転悲嘆の中をさまよう私を救ってくれたのは、自らの研究テーマである行動科学だった。大学教員の著者はコロナ禍で家族に起きた悲劇により、人生の危機に直面する。絶望から抜け出そうともがき、あらゆる方法を試みるが、いずれも効果を得られず、大学も休職することに。不慮の事故、愛する人との死別など、誰もが経験せざるを得ない人生の危機を乗り越えるにはどうしたらよいのか。悲嘆の当事者であり、行動科学の研究者である著者にしか書けないリアリティが、読者を「闇の先へ」と導く。
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