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ミーハー少女と呼ばれて [前編]


「まったく、いくつになってもミーハーなんだから......」

私には、好きなアイドルがたくさんいました。でも、バンギャや追っかけでもない、ましてやグルーピー教の信者でもありませんでした。

ファンはファンだがファンクラブには1 度も属した事はない。だけど、時に奇抜なことをする私のことを、人はただのミーハーと呼びました。

そう、ミーハーの心は移ろいやすく季節や時代が変わるたび、素敵なアイドルが現れるたびに変わっていくのです。

思い切り、昭和にさかのぼります。

小学生の私は、ひろみGOの大ファンでした。アイドルがスターと呼ばれていた時代です。太い眉毛をもつ、まだ少年のような " ソニー坊や" に、当時の少女たちのハートは撃ち抜かれました。母に頼んで (ロッテ歌のアルバム)の公開録画に連れて行ってもらいました。持参したひろみGOのポスターを会場で広げ、彼が唄う"男の子女の子"に合いの手をいれる私を、母はビックリして見ていました。ミーハー少女の始まりです。

それと同じ頃、彼のライバル、ゴロー野口が我が家の近くの商店街に来ました。レコードショップで新曲のキャンペーンです。特別、ファンではなかったけど、まだ15か16の彼は、曲のタイトル" 青いりんご "のように初々しくて可愛かった。

5歳上のいとこに連れられて夏祭りの歌謡ショウにも行きました。あおい健、という彼はアイドルの象徴、白い "らっぱズボン" の似合うハンサムなお兄さんでした。

のちに彼によく似た俳優がデビューしました。世の中にはよく似た人がいるもんだ、と思ったら、なんと同一人物のミスター田中健でした。

高校にあがると更にミーハー心に火がつきました。外タレへの移行です!

イギリスからベイ・シティ・ローラーズが来日しました。スコットランドのタータンチェックを身にまとい、疾風のごとく現れました。ビートルズの再来とまで言われた彼らは、日本でいくつもの社会現象を起こし、私もそのタータンハリケーンに巻き込まれた1人でした。

デパートの屋上ステージのアイドル鑑賞から、一気に武道館に躍進です。

しかし、残念ながら当時の私の友達に外タレファンはおらず、1人でいそいそと出かけることとなりました。

コンサートは終始、観客のきいろい歓声ならぬハリケーン級の悲鳴とレスリーとの大合唱でした。


[後編]に続く......ミーハーが海外ツアーに参戦します!















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