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ヒラフの壁を崩しに行く

北海道に関して そしてニセコに関して↓

・ヒラフの壁を崩す
一つの象徴としての言葉;ニセコ ヒラフに於いて、俺たちのニセコが取られている。
ニセコ ヒラフの状況
→2003年よりコンドミニアムが乱立しヒラフからニセコの開発が始まった。2023年現在、ヒラフは土地を含め、
ヒラフ坂を中心としたヒラフスキー場は全てが外国人のものになり、外国人だけのお金で全てが回る状況になっている。
地元の方々にお話をお聞きすると、「外国人しかいない街になった」「日本語が通じない 看板も全て英語のみ」
「おっかなくて近寄れない。ヒラフは通りたくもない」と言う意見が散見された。
・岡山の課題認識
→このままでいいのだろうか?ニセコと言えば小学校の頃か中学校の頃に父に連れられて行ったスキー場という記憶しかない。
倶知安と言えば物凄い田舎というイメージしかなかった。それが今や、ニセコユナイテッドにはパークハイアットを始め5つ星
ホテルが世界で一番多いエリアになった それはロンドンを抜いて。
・世界との共存の場 NISEKO
→今や世界でNISEKOと言えば通じる。TOKYO KTYOTO SAPPOROと同じくNISEKOは世界で知られる場所となった。
岡山が知る限り現在の日本国に於いて、NISEKOほど局地的に世界にリーチ出来ていて 世界への玄関となっている土地は見当たらない。
更に 俺の島北海道 水源 港 等が外資に取られていると聞く。このまま放っておいていいのだろうか?
この島 北海道 何度も何度も憂き目にあった。常にロシアに狙われ 中国に狙われ それでも我が国日本は常に戦い抜きこの最高クオリティの領土を護り続けた。
北海道開拓から今年で154年かな。
154年前の北海道 アイヌ人 アイヌ人とみなさん言いますが、アイヌ人の歴史はそれほど深くはなく、当時北海道の西側 今の余市 積丹 泊 岩内 仁木 ニセコ
あたりには青い目の白人 ロシア人が一部上陸していました。その頃開拓民である和人との間の配合はいくつか行われたようで、
その子孫の日本人の目の色は 薄い茶色であったり 薄い緑色であったり 更に青い目に近い色の日本人もいます。今も。私もその血筋の1人であるようですが。
明治中頃 北海道のオホーツク海側 網走には日本全国からS級の懲役者達が集められました。200余名。彼らは迫り来るロシアから北海道を護る為に
集められた精鋭達。旭川から網走に続く道道を切り開く為、網走に物資を届ける血脈を作る為に集められ網走刑務所に入れられ、命懸けでその道を作り上げました。
その間数十名の命は亡くなったとされています。
先の大戦 僅か70数年前 無条件降伏に応じた大日本帝国に対して 更にロシアの軍隊は侵攻を始め、北方領土は愚か 本土北海道まで上陸 そこをも日本軍は食い止め守り抜いた。悔しくも北方領土は占拠されたままではあるが。
そして今 2023年 この島北海道は旧来のロシア国のみならず 近隣の中国韓国 更に東南アジア各国 アメリカ オーストラリア その他欧州各国から狙われており、
水源は中国に取られていると聞きます。水道料金を中国に支払う日も遠くないと聞いています。この最高級クオリティの北海道の水を。
なぜ北海道のご飯が美味しいのか 僕が世界でいちばん美味しいと思う日本食の中でもいちばん美味しい北海道のご飯 つまり 世界で一番美味しいご飯が北海道で作られる理由は水です。その水源が取られているという。
我が国日本は 先の大戦による敗戦から 武力による戦争は放棄しました。せざるを得なかったと言うのが正しい。
武力戦争を終えた瞬間から我が国は政治戦争 そうして 経済戦争の潮流に入ります。
その70数年前の敗戦からすぐに 僅か30年余りでこの国は奇跡の復活を成し遂げ、世界で最もリッチな国になった。
その国が今。経済戦争でも政治戦争でも敗戦を続けている。そうして気がつけば150年に渡り護り抜いてきているこの 北海道と言う島が すでに乗っ取られ始めているではないですか。
僕のヒーヒー爺さんは北海道の北見 遠軽の開拓に入りました。徳島 淡路島からの入植だったと言います。500万人の人が生きる島北海道。
開拓民の子孫達は今もこの島で 何百万人という単位で生きています。開拓者 パイオニアのDNAを強烈に持っている種族だと思っています。
この島北海道は 東京の影響を受けないんですよね。遠すぎて、しかも 東京は僕たちにとっては海外ですから。文化も言葉も違う。
22年前 僕が20歳だった時東京に行かないといけないと思った。海を渡り異文化の地に。そうしないと一生北海道で僕の人生は終わってしまうのではないかと思った。
北海道にはそう言う人がたくさんいるから。自分の両親含めて。
だから、今なら、親の脛を齧って、親のお金で東京に行ける。東京の大学に合格すれば。って。
たどり着いた東京はまさに異世界だった。こんなの日本じゃないと思った。本当は北海道が日本じゃないことにその時はまだ気がついていなかった。
今、北海道が注目されている。日本国内からよりも、世界から。世界が注目している我が国のラストアイランド北海道。
僕たちの祖先が護り抜いてきたこの島を、僕たち世代でダメにするわけには行かない。
グローバリゼーションは止まらない。世界との融合。共生。爺さん達がこの島に残した強烈な意志を、僕たちが引きつごう。

東京のビジネスマン達が言う。
NISEKOはもう入れないよ。中国が オーストラリアが XXXXがもう乗っ取ってしまった。
僕は北海道のローカルの人間。
北海道のルールを知っていますか?
人の繋がりですよ。
無尽。
無尽数。
爺さんが残した短歌の本のタイトル。
無尽数。
僕の爺さんは明治20年代に北海道で生まれた。遠軽に入植した淡路島の武士だった岡山家の子供として。
当時の写真が札幌の僕の実家に残っています。生まれて間もない爺さんを抱えるちょんまげのお爺さん。それが開拓民だった岡山の爺さん。
後ろには藁葺き屋根の小屋が写っていて、おそらくそこに住んでいたんだと思う。冬の寒さを凌ぎ、熊と戦い、迫り来るロシアを跳ね除けて、開拓した 北海道を。
その頃生まれた僕の爺さんの書いた本のタイトルが無尽数。
無尽(むじん)とは、日本の金融の一形態である。複数の個人や法人等が講等の組織に加盟して、一定または変動した金品を定期または不定期に講等に対して払い込み、利息の額で競合う競りや抽選によって、金品・物品の給付を受けるものである。(Wikipediaより)
開拓民達の間で行われていたのでしょうね。無尽の取引が。そうして命懸けで北海道を開拓して行ったのでしょう。
だからこの地 北海道では 今も無尽の考えがずっと残っている。田舎に行けば行くほど。
農家で採れた野菜は近くに配られるし、釣りに行ってブリを釣れば仲間に分けるし。お隣同士が助け合って生きている、それで自給自足が成立している。
だから内地から 資本と知識だけを持って 俺たちの北海道に入ろうとしても容易には行かないんですよね。内地の人を海外の人と思っているので。

だけど ヒラフは取られたんですよね。

ニセコに関しては 僕はまだまだ分かっていないです。
ヒラフは取られたのか? 外国資本と日本人はどう共生しているのか。
もう少し時間をかけて探りたいと思います。

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