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「影裏」『影裏』を読み解くことの難しさ

ポスト3.11文学、ポスト震災文学、なんて言い方があるらしい。そんなこと言ったら平成の大半の文学は「ポスト震災」だろ、と関西の民である私は思ったりするが、屁理屈はさておき2011年の春を境目に変わってしまったことは非常に多い。おそらく2020年の春先を境目に変わってしまったことが非常に多いように。そう考えるとこのコロナ禍、地方地域を問わず世界的に「たいへん」な、珍しい瞬間に立ち会っているのかもしれない。全く有り難くはないですが。

何度かここでも書いているように、自分は芥川賞作品に疎い。単純に得意じゃない。なんででしょうね。自分でもよくわからないけど、芥川賞作品を読んで「めちゃくちゃ好きだ…」と思ったことがあんまりない。例外的に金原ひとみ『蛇にピアス』を小学生の時に読んで、勝手に読書感想文を書いて担任に提出した程度には気に入ったことがあるけど、それにしたって同作者の『アッシュベイビー』はよくわからなくて、それ以降あんまり読めてない。「花束みたいな恋をした」の、絹と麦と、本の好みは合わねえなと思った。直木賞受賞作は好きな作品が多いので、なんとなく受賞する系統で好みが分かれるのかもしれない。自分が不勉強なだけっていうのは多分にあるので、もっと視野を広げていく必要はある。大好きなものから、好きなものへ。好きなものからよかったものへ。すこしずつ。

で、今回話題にする『影裏』は芥川賞受賞作である。白状すると知りませんでした。不勉強だな! 言い訳すると、ちょうど受賞した頃しばらく日本にいなかった。私が帰国するまで世間が騒いでくれてたら良かったのに(冗談です)。すみません。ただ文学文芸の良いところは、多少読むのが世間より遅くなったところでなんの弊害もないところにある。賞味期限が長い。何よりも自分のペースで楽しめる。ありがたいですね。ということで、わざわざハードカバー版を探して買いました。なんとなくハードカバーのほうが装丁が好きです。組版も贅沢。余白がたくさん。
劇場版にもなっているので、そっちの話と絡めてやります。


あらすじ
首都圏から盛岡に転勤してきた今野は、日浅という同世代の男と気の置けない間柄の友人になる。釣りや飲みを通して親交を深める2人だったが、「あの日」を境目に日浅と連絡が取れなくなり…


映画版と原作は、導入がかなり異なる。映画化されたからには仕方ないが、めちゃくちゃサスペンスめいた作りになっている。謎を最初に吹っ掛けて、そこへ至るまで何があったかを解き明かすような。ようあるやつですね。で、私も映画→原作の順だったので、すっかりそういう見方をするもんだと思い込んでしまった。
2009年の今野は全体的に孤独の滲ませ方がすごかった。なんの前情報もなく見に行ったら確実に消えるのはこっちの方だと思うだろうな。光の中に消えていきそうだった。この作品は作中で意図的に光と影を強調しているけど、今野を単体で撮るときは眩いばかりの光で照らしまくる。綾野さんの特徴的な虹彩を浮き上がらせるように。きれい。
半裸族の男性っていう設定、生活圏内に女性がいないことを暗示するようで、性的なアイコンをこの人に乗っけてますよと説明するようでもあって、ヒロインが存在しない(パートのお姉さんは明らかに違う!)本作における主人公もヒロインも狂言回しも全てを今野に預けますよと言われているようでもあった。まあ綾野さんのファンとしてはそりゃもう願ったり叶ったりなんですが、何せ彼の主観で話が進んでいくため、見えない部分があまりにも多い。そういう意味ではたしかに、叙述トリック的でもある。が、この作品が難解なのは、結局そんなふうに進めておきながら最後まで答えが出ない点にある。日浅って結局なんなの。何してたの、これからどうするの。全部わかりません。強いて言うならば、今野が(おそらくは今後も使わないであろう)結婚式込みのプランに加入させられていて、それ変更したの多分日浅だよねってことくらいしかわかりません。最後のシーンそういうことですよね? どうでもいいけどあそこで強く光を当てる演出がめちゃくちゃ良くて、まさに「影は強く光を当てるほどその色味を濃くする」を体現していて美しかったです。嗚咽する今野、もとい綾野さん、喪失の演技がうますぎるんだよないつも…何を失ってきたらこんな演技ができるんだ。引き出しが多い。

キャラクターの設定に関しては、ビアズリーの絵を賃貸の部屋の中に飾り回ってるの、ちょっとやりすぎな感もあって。桃にしてもそう。柘榴にしてもそう。下着姿を足元、爪先から撮っていくカメラワークにしてもそう。忍び込んだヘビにしてもそう。記号的な性的表現がやや露骨で、それはたぶん映画そのものがこれを「恋愛・性愛として描くぞ」という方針で決まっていたからだと思いますし、それ自体は作品読解のひとつの方向性として面白いな〜と思った。映画の後で原作だったんで、逆にこの原作からここまで性愛に舵を切るのは思い切ったな! という印象もあった。そうなんだろうけど、今野の主観であるが故に今野自体が抱いてる日浅への感情は行間から必死で読み解くしかなくて、ともすれば深読み・曲解とも言えるようなクソデカ感情の表象に綾野さんをキャスティングしたのはめちゃくちゃ正解だったと思う。喪う演技が上手い人に、恋の終わりを嘆いてもらう贅沢な作品。なくした人を想う演技が上手いので、そこに乗っかってくる震災というファクターすら借景にしてしまう。なるほど、恋愛に振り切ったことで対人関係にフォーカスできるのか上手いな、という気づきもまた、エンドロールを見ながら思ったこと。
ただひとつだけ言いたいことがあって、というのもこれ「LGBTQ映画」として分類するのはおま、お前〜〜〜ってなりません?
なんかそのラベル貼るだけでいっつもスン…ってなっちゃうんですよね。同性だったらなんでもLGBTQか? Netflixで配信されてるカテゴリに文句言ってもしゃーないんですけど、なんかそのモチベで見る人がいて、そのモチベで見る人に投げかけるLGBTQカテゴリはこれか? と思うとなんかホントにその属性しか見てねえな…と思っちゃうんだけど、これどうなんですかね。なんだかね。ちょっとそれは複雑でした。恋愛映画としてのカテゴリならまだわかるんだけどな〜となんとなく腑に落ちないものがありました。LGBTQの理解がちょっと私とは違うのかもしれません。

で、映画を見てから原作を読んだんですが、原作めちゃくちゃ文体が綺麗ですね。ビビった。日本語がうまい。音読したい言葉で溢れていました。この人の日本語をもっと読みたいなあ。好きです。
淡々とした語り口の一人称でするする読めた。なんなら映画館から帰る電車、一度乗り換えるだけなんですが、一度の乗り換えのタイミングまでで読み終えた。スルッと読めすぎて2周して、大筋のところはともかくとして、原作では実際に副島には会ってないこと、日浅にキスをしていないこと、影の一番濃い部分…のセリフは原作にないことに気づいた。
そして難しい。なんつー難しい小説。久々に頭を使った気分でした。読み終えてから賛否というか、メッセージ性の部分でわかりにくさがあり、受賞が割れたらしいという記事を見たけどなんとなくわかる。こんなに読みやすいのに読み解きにくい文章はなかなかない。言うなれば映画版は、修正パッチ付きとでも言おうか。「性愛」を軸にして読み解いた版。それなら納得できる、この言葉に、この描写に、この判断に。でも今野の言う「酒飲み友達が欲しかった」を鵜呑みにするなら? そもそも今野って同性愛者なのかな。原作の今野、アセクシャルではないよってことくらいしかわかんなくね? 元彼の副島、性別適合手術を受けるってことは自認は女性だったわけで、だとすると今野は「ゲイだったから」副島と付き合ったと言えるだろうか(断言できるか?) ゲイだから日浅を愛したと言えるか? ほんとに?

震災はあくまで何かのきっかけでしかない。それを境目に連絡が取れなくなるという「喪失」を軸にしても、喪失によって相手の実態がなにもわからなくなるという「混迷」を軸にしても、そして映画のように何某かを追加して「性愛」を軸にしても成り立つ。読む人の立場とバイアスをものすごく試されている。情報量が少ない、余白が多いというのは批判の意図で使われることもあるだろうけど、こと文学においてそれは、巧みに使えばこの上なく示唆に富んだ舞台装置になるのだと思った。そうそう、「岩手の自然」を読解の軸に置いてもいける。釣りをする男たちの釣り狂いぶりに置いてもいける。どんな読み方だってできる。自由。その自由さがこの作品の素敵な余白であり、そんなに分厚くない、なんならハードカバーにしては軽い作品の、見かけによらない存在感を思い知らされた。
この作品の良さは刺さる刺さらないじゃなくて、読む人の受け取り方によって如何様にも変化するその柔軟性、奥行きの深さ。存在自体がかなり意義深いです。出会えてよかった作品だと断言できます。
興味を持った人には何回か読んでほしいなあ。何回か読んで、どんな話だと思ったか片端から聞いていきたいです。とりわけ今野のセクシュアリティについて各人の解釈を聞きたいですね。私は割とバイセクシャルの受け身な感じ、男でも女でも強く愛されたら愛せる感じの男性かなと思ったんですけど、どうですかね?
映画の今野は映画の今野でしたので……あれはバリタチですね。たぶん。あの孤独感を漂わせておいてバリタチ、ドチャクソモテると思います。絶対男に不自由しない。なんの話やねん。


休みをいいことに都会でたくさん本を買ってきたので、またそのうちレビューしていきます!
またよろしくどうぞ。では。

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