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海外サッカーへの挑戦「自分の発言に保険をかける日本」

おはようございます。

今日は、子どもの好奇心を奪うかもしれない、謙遜の文化についてです。

自分を振り返ってみると、サッカーを始めたきっかけは楽しいから、それだけだったように思います。好奇心のかたまりだった僕は、楽しいこと・大好きなことは、順番を抜かしてでもたくさんやりたいという子どもでした。

大人からすると、少し手がかかる子どもだったかもしれません。

そして今も、好奇心のかたまりのまま大人となり、興味のあることは徹底的に調べ、まずはやってみる。

期待通りに進まないことも多くあるけど、不思議とどこかで繋がっていきます。

謙遜がある文化

分からないものを知りたい、楽しそうだなと思う心の動きが好奇心で、活動の根源となるものです。

日本には、謙遜が美徳という文化があり、手土産を渡す時には「つまらないものですが」、褒められれば「とんでもないです。まだまだ・・・です。」、なぜか学生時代にかならずいる「俺まったく試験勉強してこなかったよ」というのも、謙遜の1つです。

僕は謙遜とは、自分に保険をかける行為だと思っていて、例えば、めっちゃ勉強してきたけど「試験勉強してこなかったよ」というのは、点数が悪ければ「やっぱり、勉強しなかったからな」と友達に言い訳が成立するわけです。



さてここからが本題で、自分がへりくだるだけなら良いのですが、やっかいなことに謙遜は自分以外にも使うことがあります。

チームの選手を褒められれば「いや~あいつはまだまだで、こんな悪い所がある」、「出来の悪い息子ですが、よろしくお願いします。」とか。

昨年、日本の中学生チームをアルゼンチン遠征に連れて行きました。

試合後に、対戦相手の監督から「あの右サイドバックは素晴らしいね!あんなに積極的に攻撃参加できる選手はなかなかいないよ」とお褒めの言葉を頂き、日本のコーチに伝えると「あいつは、キックの技術がなっていなくて、まだまだダメなんです。」という返答になります。

もしアルゼンチンコーチが自チームの選手を褒められたら、「そうなんだよ、積極的な姿勢だけでなく、ボールを奪う技術やヘディングもすごいんだよ。」となります。

褒められた部分に、更に良いところを追加してアピールするわけです。その方が選手の価値は高まりますよね。


先日も、小学生の選手たちとキックターゲットで遊んでいたのですが、なかなか輪に入ってこられないチームがいました。

入るきっかけがないんだろうと、「おいで、いっしょに蹴ろうよ」と誘うと、相手コーチから「こいつら下手で、恥をかくだけなんで、外したらグランド10周させます。」

そんなことを言われれば、活動の原動力である心はしぼみ、積極性は簡単に失われます。 

この発言を考えてみると、子供たちがキックを失敗した場合に自分の指導力が足りないと思われないための予防線であり、むしろ自分に指導力がないというのを公言しているようなものです。


選手育成に携わる指導者は、子供たちに夢を追う楽しさを教えることが、
一番大切な仕事なんです。

☆☆☆
無双ArgentinaC.F.は、アルゼンチンリーグに挑戦し、2026年2部昇格を目指しています。

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