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シャレン!とは…②

前回、「シャレン!」とは何かについてお伝えしました。社会連携活動の呼称であり、ホームタウン活動の中でも、3者以上で連携して、地域課題の解決に向けて共創していく活動であると。
今回はもう少し、この活動が動き出した背景をお話したいと思います。

FC東京は1999年シーズンにJリーグに参入し、2000年にJ1へ昇格、2001年より東京スタジアムをホームスタジアムとした活動が開始されました。私もホームタウンの担当者として日々、地域を巡回して市役所、商工会、商店街、体育協会、サッカー協会、少年サッカー連盟、そして土日も地域イベントに必ず出店させてもらい、とにかく様々な団体の皆さんと交流させてもらっておりました。チームも徐々に上位争いにからむようになり、来場者数も増えていきました。

タイトルの獲得もありました!ナビスコ杯(現在のルヴァン杯の前身)で優勝したり、天皇杯でも優勝出来たり。
それでも5年、10年、15年と歴史を重ねていく中で、来場者数に伸び悩みが出てきて、シーズン平均来場者数も25,000人~28,000人の域を超えていくことが難しくなっている状況でした。味の素スタジアムは45,000人ですからまだまだ空席があるわけです。
そのギャップをどう埋めて成長していくか…。

クラブとしてはサッカー教室、サッカースクールもかなり多く、手広く実施していましたし、前述のとおり地域イベントにもスタッフ全員がスケジュール表に則って参加しながら、数多くをこなしていました。このままのやり方で「量」を広げることが難しいことも感じていましたし、何よりも新たなファン作りにつながっていく実感が薄い状況でした…。徹底してやり尽くしてきたからこそ、その限界を感じていたのも事実です。

そんな時期に、2つの出来事がありました。

1つ目は、2013年に伊豆大島で土砂災害があり、そのあとにFC東京のコーチたちが訪ねてサッカー教室を行わせてもらった件です。

被災されて大変なところに行くことで、かえって迷惑をおかけしないか心配でしたが「ぜひ来てください!」とのことでしたので。大島の住民の方が会場も確保してくださり、島民に広く告知もして下さり、子どもたちの笑顔を見て、大人の皆さんも元気になるという活動ができました。

翌年も参加して、そのことがメディアにも多く取り上げられ、被災を「風化させない」ことにも貢献できたのではないかと感じました。その想いと皆さんの笑顔を考えたアクションが、サッカーに無関心な島民の方々の心も動かしていた感じを受けました。

改めてスポーツのチカラ、発信力の大きさを感じたと同時に、このチカラは積極的に活かさなければならないという、使命感に近いものも感じた次第です。

そしてもう1つが、味スタで開催されたアイドル「ももクロ」コンサートでした。
当日は超満員で開演前には周辺も、ファンの皆さんがあふれかえっていて、さらにカード交換などで盛り上がっていました。

実は味スタ内にFC東京の事務所があって、そこでの事務作業を終えて帰ろうと外に出たら前述のとおりで、あまりの人波の凄さに本当に圧倒されました。その瞬間は、5万人の中で自分一人が完全に「別者」であり、完全アウェイの状況にありました。

アイドルのオタクの存在をあまり気にすることなく過ごしていた自分でしたが、この時ばかりは「自分は逆に彼らからすると『サッカーなんかにハマっている変な奴』と見られる存在なんだろうな…」と痛感したのでした。
でもそれと同時に「こんなに多くの人たちがまだまだサッカーの試合に来ていない」「この人たちにもFC東京の試合観戦にスタジアムに来てもらうには、彼らと価値を共有できるコトや言葉が必要だ!」と強烈に感じたのでした。

これらの出来事を体験しながら、自分の中で、サッカーやスポーツへのこだわりをいったんリセットして、街で起きている課題に向き合うことで、新たな方々との出会いがあったり、広がりも作れたりするのではないかと考えるようになり、「市報」や「議会だより」を熟読して街の動きをよりウォッチするようにもなり、NPOの活動にも目を向けることが増えていきました。

そうしていくと、NPO関係の皆さんもものすごく頑張っているけれど、自分たちのネットワークの中だけで活動している様子が見えてきて、またスポーツ関係者も同様であることがはっきり見えてきました。双方の考えが分かり、連携し合える部分があることも見えてきて、あとは「どのように」という話をしていくだけです!

また世の中も、SDGsが話題になりはじめた時期で、社会の課題が17のゴールに分かりやすく明示されたことによって、そのままこれが業種業界、地域をこえての「共通言語」として非常に機能してくれる(機能しやすい)ものとなることを確信したものでした。

そしてJリーグに話を戻すと、ちょうど誕生して25周年を控えているタイミングであり、各クラブの数多くのホームタウン活動とその価値を改めて多くの人に届けようとされていたことを覚えています。

当時、意見交換させてもらう機会があった時に私からお伝えしたキーワードは「笑顔」そして「なくてはならない存在」(地域にとって)でした。

そして最大のポイントは、前述の体験をふまえた<主語の転換>でした。
Jクラブが主体となって何かを行なうのではなく、あくまで主体は地域の団体であり、Jクラブを利用してもらったり媒体に利用してもらったりの関係性を増やしていくことが重要ではないかと。
2018年5月15日にJリーグは25周年を迎えました。この時に、『未来共創「Jリーグをつかおう!」』と題されたこのワークショップ開催の目的は、「豊かなスポーツ文化の振興及び国民の心身の健全な発達への寄与」というJリーグが掲げる理念に起因しており、「地域密着を掲げるJリーグだからこそ、 単なるサッカー団体の枠を超え、地域を豊かにしていく公器でありたい」そんな想いが込められて開催されました。
キーワードは「Jリーグをつかおう」でした。
https://www.jleague.jp/news/article/12096/

私も運営スタッフの一人として参加しておりましたが、これまでの25年の重みを感じつつ、新しい可能性も大いに感じる素晴らしい機会でした。

それからすでに4年が経ち、この間には新型コロナウィルスが生じたり、東京2022オリンピック・パラリンピックも開催されたり、社会も大きく変わり、スポーツ界も大きく変わりましたが、
その中で改めて、スポーツの社会連携の進め方を考え、カタチにしていきたいと思います。

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