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『動き出した日』独立を口に出した”あの日”のこと

それは、およそ3年ぶりに親友と緊急会議をした日になるだろうか。
私たちの地元からうちまで迎えに来てくれた彼女と、イタリア料理店で久しぶりに向き合ってごはんを食べた。私たちは3年分、太ったり老けこんだりしていたはずだ。
「飲んだらいいじゃん」とアルコールを促されたが、飲まなかった。
ただでさえ、つらいことを話しているときも、それをユーモアでごまかしてしまう性分なのだ。「しらふ作戦」は成功し、4時間ほどの会議で一瞬だけ、人目もはばからず、私たちはお互いのために涙を流した。(あとの9割は笑っていた)

はたまた、およそ20年ぶりに異国からやってきた友人の倉敷観光にアテンドした日になるだろうか。それは親友との緊急会議の2日前だった。
その友人は、カナダの語学学校での1ヶ月、その時間のほとんどを一緒に過ごしたうちの一人だ。彼は韓国で名の知れた企業で働いていたが、このほどアメリカ企業に転職し、1年間だけ日本で暮らすことになったと言う。
「毎日決まりきったことをするのが嫌になったんだ。韓国企業の風土は肌に合わなかった。20年働いたから、次の20年は違うことをしたくなった。それにしても純子がずっと一緒のことをしているなんて驚いたよ。もっと自由が好きな人だと思っていたから」
20年ぶりに連絡が来たというのにすぐに会えたことも含め、彼と仕事の話ができたことに何かの運命を感じずにはいられなかった。

しかしよくよく考えたら、あの日かもしれない。
倉敷の馴染みのお店をワイン仲間で占領して語りこんだ日
ビジネスの話や新しいアイディアなんかを、喜んで酒の肴にしてくれる人たちの集まり。そこで思い切って自分のやりたいことを少し話せた日。
それは韓国人の元クラスメイトと再会した日の、4日前のことだ。
あの日に「心理師として開業しようかな」を口にして以来、滅多に来ない人からの連絡が立て続けにあって、ほぼ一週間で、疎遠になりかけていた親友と涙を流すまでに至った。

いつが「その日」なのかはわからないが、確実に言えるのは、今日がnoteのデビュー日だということだ。まだ心理師登録証は届いておらず、フライング気味だけれど、この時点からの心の動きや行動を記録しておくことが、のちに自分やどなたかの役に立つことを信じて。前のめりで進むぞ。


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