JunkoSato(純戸さと/佐藤 純子)

岡山県在住。約20年の高等学校英語科教員生活を経て、公認心理師として独立。カウンセリン…

JunkoSato(純戸さと/佐藤 純子)

岡山県在住。約20年の高等学校英語科教員生活を経て、公認心理師として独立。カウンセリングと文筆業、ときどき英語講師をしています。 R6.7.29.「相談室shaberii」 開業予定。 執筆活動は"純戸さと"名義で、カウンセラーとしては"佐藤純子"と名乗っています。

最近の記事

教員じゃなくなった私は「誰」?

「職業=自分」というアイデンティティーになってしまっている人は、退職した後にご用心。 退職する前、自分も教師じゃなくなることが、こわかった。 生徒の間で交わされるゴシップニュースの注目度だけでいうと、教員時代の私は、どんな芸能人にも引けをとらなかった自信がある。 「○○で会った」「となりに男がいた」「あれは弟なんじゃないか」「いや彼氏だろう」 休日に出会おうものなら、即座にネタになる。私生活も何も、あったものじゃない。 自分以上に、友人たちが「私=せんせい」として付き

    • 「短時間労働者」の品格

      「ハケンの品格」ってドラマがあった。篠原涼子が演じる、スーパー仕事のできる派遣社員さんが、派遣されているその短期間で、その会社の問題を鮮やかに解決していくって内容の。 他の社員と多くは関わらず、残業なしで、きっちりと時給分以上の仕事をして、華麗に退社していく、みたいな内容だったはず。 私がそのドラマのことを思い出すのも無理はない。 10分前そこそこに現場に入り、時間になったら「失礼します」と、そそくさと帰る生活を手に入れた。 同僚らしい同僚はおらず、挨拶と簡単な会話はするけ

      • 教育的じゃないといけないって、誰が決めた

        私が仲良くしているうちの1人であると、誰だかすぐに特定されてしまうので、ここから先は職業名などの事実を一部改変してお届けする。 教師として生徒の前に立った最後の日、私はある小説家と岡山でお酒を飲んでいた。彼女の書いた小説が、岡山をロケ地とする映画になったためで、「撮影に使われたお店にすごく飲みに行きたいんだけど、一人じゃさみしいから、行こー」と、お誘いが来たのだ。 これからカウンセラーになることをそのお姉さんに少しずつ話していたので、ことあるごとに、「聞き方うまくなったね

        • いい文章とは

          シンプルすぎるタイトルで、何を書くかというと、文章について。 文章こそ、知らず知らず、そして誰に対してかも分からないんだけれど、マウントの取り合いになるよね、って、書くの好きな子と自嘲気味に笑って、これまでの投稿を読み返してみた。なんかかっこつけてるなぁって、思った。そして、その割に、あまり心を動かされなかった。 ちょっと話は脱線するけれど、カウンセリングを学んだこととは関係があるような、ないような、でも明らかに最近、自分について理解を深めたことがある。それは、何十年も経

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          Chat GPTに毎日はげまされてる!!!

          ひとり暮らしの一般的イメージ(生徒談)は、 ひとりごとが多そう Chat GPTと会話してそう(今どきの子たちだな!!) ・・・らしいので、ある意味、ひとり暮らしらしい投稿かもしれない。 私は一生懸命に書いた文章が、うねうね、長ったらしくなる傾向がある。(これでも削ぎ落としているつもりですが) だから、 「ん?これ、何が言いたいんだろう?書ききったけど、要約してって言われたら難しいな・・・」 と、自分で作った文章を高校入試の問題にされて、作者なのに設問の答えが導き出せない人

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          災害ボランティアについて書いた文章がきっかけでラジオに出演した話

          元旦、年越しから実家に泊まり込んでいる93歳の祖母の散歩に付き合った。義妹と甥もついてきてくれた。帰宅したら、テレビ画面いっぱいに、地震のニュースが映し出されていた。 甥も姪も、地震の映像をリアルタイムで観るのは初めてだったようで、津波の映像を見ているときに表情が強張っているのがわかった。 あれから一週間。走っているときも、北陸の寒さを思った。 テレビのインタビューに答える被災地の方々。 ニュースで気がふさぐとき、それでも起床の時間を一定にして、規則正しく生活するのがいいら

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          『干し肉を食らう夜』助ける側・助けられる側の境界線で

          津山の叔母から干し肉をもらった。同じ岡山だというのに、叔母たちの住む津山のことをこの年になるまでよく知らなかった。何度も津山で従兄と飲み歩いたのに、津山の食文化において特徴的である干し肉の存在も知らずに生きていた。 先月あった従兄の会社の定点観測的なゴルフコンペにおいて、ゲスト参加の私は、いつしか賞から除外してもらうようになった。今年は代わりに叔母が、参加賞として干し肉を持たせてくれた。 そんな干し肉を、自分ひとりで記憶に残る形で食べたのは、おそらく昨年のあの日が初めてのこ

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          『動き出した日』独立を口に出した”あの日”のこと

          それは、およそ3年ぶりに親友と緊急会議をした日になるだろうか。 私たちの地元からうちまで迎えに来てくれた彼女と、イタリア料理店で久しぶりに向き合ってごはんを食べた。私たちは3年分、太ったり老けこんだりしていたはずだ。 「飲んだらいいじゃん」とアルコールを促されたが、飲まなかった。 ただでさえ、つらいことを話しているときも、それをユーモアでごまかしてしまう性分なのだ。「しらふ作戦」は成功し、4時間ほどの会議で一瞬だけ、人目もはばからず、私たちはお互いのために涙を流した。(あとの

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