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「頑張っている人が好き」は結局、分かりやすく頑張ってる人の一面を見えているだけ?

頑張っている人が好き!それを見て自分も頑張れるから。みたいな事を多くの方が言うように感じる。

みんながみんな頑張るのではなく、頑張っている人のために頑張りたいというような関係もあって、例えば神輿の上で担がれたいと思っていたような事から、神輿を下で担ぐ側にまわるというような意識の変化は、一緒になって良い祭りを作ろうという全体の大きな目標や目的に意味ややりがいを感じ、結果ではなく物事が出来上がる過程を共に楽しみ学ぶというのが最近の流れの1つとしてあるように感じる。

頑張ってる人に対してみんなで協力したり応援したいと思うような流れ。ちょっと言葉にするのが難しいがそんな世の中なんだと思う。


何かを純粋に一生懸命取り組んでいる姿は誰が見ても魅力的で、どこか惹かれるものがある。間違いなく自分もそう感じるうちの1人だ。そういった姿勢から学ぶことはとても多い。自分もそうなりたいからという頑張り欲求から、自分の頑張りを誰かと共有したいと思うような事なのかもしれない。


頑張っていない人は嫌いだ!というわけではなく、人それぞれ頑張り方が違っているのは当然で、誰の目にも分かりやすいカタチで頑張っている人もいれば、人目に触れず、評価される事もなく、それでもその人のリズムとペースで日々頑張っているような人も世の中にはきっと多いのではないだろうか。

どんな世界(業種やジャンルなど)にだって頑張っているとみんなから思われている人もいれば、たとえ同じだけ頑張っていても頑張りが足りないと思われている人ももしかするといるのではないだろうか。

分かりやすい頑張り方もあれば、理解されにくく分かりにくい頑張りもあるように思う。結果が出なかったり、そもそも表面化しない事で頑張っていたりもする。

頑張ってないのではなく気づいていないだけと思うと、少し違った見方もできるかもしれない。頑張りが足りないと感じるその人のその一面だけをただ見ているだけなのかもしれない。


「頑張らない事」を頑張ってみる

全部を全部、本気で頑張らなくてもいいし、人に合わせなくてもいい。どんなに頑張ってる人でも頑張らない事はちゃんとあって、グータラな日もある。

それを見せないし、見えていないだけなんじゃないかな。

頑張ってるあの人も今日は一日中パジャマだったりするかもしれない。お部屋が散らかってるかもしれない。洗い物がシンクにたまってるかもしれない。シワシワのシャツを着ているかもしれない。寝癖だって直ってないかもしれない。二日酔いで頭痛に苦しんでいるかもしれない。

今日はメイクお休み!みたいな事も頑張っていない事のようで、頑張ってる事なんじゃないかと思う。頑張るために頑張らない事もあるように思う。

ここは頑張るけど、ここは頑張らないというような線引きみたいなことは誰にだってあるのに、頑張っている事しか言わないし言えないというような空気と、その頑張っているところしか見ない、見ようとしない関係があるとしたら他の良い面はどうなるのかとふと感じた。

その人には他にもいろいろと良い面もあり、実際に頑張ってもいるがどうしても伝わらないというような人は、結局は何も頑張っていないというような決めつけによって頑張っていないというような思い込みのみが浮き彫りになる。


頑張っている人の他の面はどうだろうかと考えてみたり、頑張ってないと思うような人の表面化されない面も意識してみると少しだけ、ほんの少しだけその人の印象が変わってくるかもしれない。勝手な想像でもきっと良くて、少しだけその人に対して優しくなれるような気もするから。


本当にまとまりのない文章だけど、物事を見たり知ったりするときの視点というような話でした。(もっと頑張れ!(笑))


今は、コップ一杯の辛口ジンジャーエールでご機嫌である。

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