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50年前の記憶

私の父は、私が5歳の時にくも膜下出血で急死しました。まだ40歳になったばかりでした。

もう50年以上前の話です。

朝、いつものように車で出勤する父親を、幼稚園児だった私は玄関まで見送りました。しかしその日の夜には父は帰らぬ人となってしまったのです。

母は、職場から父が体調が悪くなり病院に運ばれたという連絡を受け、すぐ病院に駆けつけましたが、間に合わなかったそうです。

私と3つ上の姉は、その日の夜は親戚の家に預かってもらいました。

そして、最後に父に会ったのは、葬儀の日。棺桶の中で眠っている父の姿を見たのが最後でした。

母と姉はずっと泣いていましたが、私は泣いた記憶はありません。告別式でもずっとニコニコしていたそうで😓

大きくなってから、あなたは小さくてよくわからなかったみたいで、と母に言われたことはありますが、5歳だったらけっこういろんなことはわかっていたはずです。それでも泣けなかったのは何故だろう。

私は父が死んだ時に、え〜、人間ってこんなに簡単に死んじゃうんだ!っていう驚きの方が強く、悲しいという感情があまり湧かなかったのを覚えています。

それと、わたしは父親っ子ではありませんでした。母曰く、父は子供が小さい時は厳しく躾けるという教育方針だったらしく、大雑把でだらしない私はいつも父に怒られていて、怖かった記憶しかなかったのです。

もともと怖がりの私には父の教育方針は合っていませんでした。

父に優しく可愛いがってもらった記憶がほとんどない私は、残念ながら泣いて悲しむという感情があまり起こらなかったのでしょう。

父自身も、思いがけず命を落とし、娘にも悲しがられずさぞ無念だったと思います笑。

それともう一つ。父があっという間に死んでしまったことで、人の死に対して私は子供なりに悟ってしまったのです。

人間はいつか必ず死ぬと。

親戚の叔父叔母が亡くなったり、友だちが不慮の事故や病いで亡くなっても、残念だったとは思いますが、号泣して悲しむということをしない子供でした。

自分でも、そういう可愛げのない、ドライな自分が嫌でしたが、こればっかりはどうしようもありません。。

諸行無常といいますか、幸せなことはずっと続かないということを知ってしまった冷めた子供だったと思います。

少なからず、父の死は私の性格に影響を及ぼしました。

それでも、今まで生きてきていろんな人と出会いましたが、嫌だなぁと思う相手と出会っても、その人の生い立ちに問題があったのだなと考えられる余白ができ、何とかうまく合わせてこれたんじゃないかなと自負しております。

無理やりまとめてしまいました(^_^;)

最後まで読んで下さりありがとうございました😊


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