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諦めないカマス

ここのところ、充実していると言えばそうだけれど、マンネリ化していると言えばそうだ。

仕事は相変わらず、退屈だ。長年、率先垂範して成果を出してきた身としては、いまの部では自己成長につながるような業務もなく、消化不良気味が続いている。

自分の至らなさで逃げた(異動した)わけではないのに、結果的にはドロップアウトということになっているのが、悔しいままだ。

「いまはこれでいいんだ」と宥める自分と、「こんなはずじゃない」と認めたくない自分が交錯する。

そんな時、ひょんなことから同僚がおもしろい話を持ってきた。「カマス理論」というものだ。

カマスとは、海に生息する気性が荒い魚らしい。そのカマスの習性を利用した実験が、とても興味深い。

大きな水槽の中を透明な板で2つに仕切り、一方にはお腹を空かせたカマスたちを、もう一方にはカマスのエサとなる小魚たちを放流する。
カマスたちは小魚に喰らいつこうと、何度も何度も傷つきながら透明な板に体当たりして試みるものの、板の向こうの小魚を食べることができないとわかると、ついには諦めておとなしくなってしまうのだという。

そして、水槽の中の透明な板を外し、小魚を自由に食べられる環境にしてみる。しかし、カマスたちは目の前を小魚が泳いでもいても全く反応せず、そのまま餓死してしまうというのだ。
何度実験をしても、同じ結果になるらしい。

痛々しいカマス。
思い込みによって自滅してしまうという、メッセージ性の強い実験だ。

ちなみに、そのカマスたちが正気を取り戻す方法は、透明な板を経験していないカマスを1匹追加するということらしい。何も知らない新入りカマスが元気に小魚を食べる姿を見て、諦めていたカマスたちも我に返って食べ始めるそうだ。

いまの私は、透明な板に傷ついたカマスなのかもしれないと思った。

自由闊達にできる業務を与えられずハングリー状態で、何となく、闇雲に仕事を振られている感じがする。私はそれらを次々に打ち返しているけれど、しばらく放置されたり、その後どうなったのかも知らされない。このような環境ではキャリア形成や自己成長できるはずがないと、それでも組織なのだから仕方がないと、最近では諦めモードになっている。それが、傷ついたカマス状態。

透明な板は、私の目の前にある。

でも、この「カマス理論」を知ってからは、諦めてしまうのをやめてみようと思った。諦め切らずにちょいちょい透明な板を確認しつつ、目の前に現れた機会は最大限に活かそうと。

そういうわけで、いまの惰性的な環境からの脱却を目指してどんな業務依頼でも笑顔で受け入れ、先々に向けた種まきを行い、いざとなったら率先垂範できるように、水面下で “筋トレ” に励もうと思うのだった。

仕事って、モチベーションを保つことが大切。学習性無力感にならないように、何かしら意識を高めておかなければ。

カマスたちよ、大志を抱け。

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