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小説「素ナイパー」第1話

 豪奢なシャンデリア。ベロア素材のワインレッドの絨毯。天蓋のついたキングサイズのベッド。そして部屋を埋める時代遅れも甚だしい中世ヨーロッパを思わせるロココ調の家具の数々。

(なんて趣味の悪い)

 ゴッドファーザーに出て来るマフィアの家は決して派手ではないのに、どうして日本のヤクザの家はどれも無駄に煌びやかになってしまうのか。時間を気にしながら、直哉は今までの数十件に及ぶ標的の家を思い浮かべていた。

(これで俺がバスローブを着て、ブランデー飲んでいたら完璧だな)

 するとインカムから不機嫌そうな姉の声が響いた。

「ちょっとあんた。真面目にやりなさいよ。一人で笑って。気持ち悪い!」

 姉の里香は今回の仕事の役回りのせいですこぶる機嫌が悪かった。

「わかってるよ。つかそんな大きい声だすなよ」

 すると里香の声が急に低く変わった。

「標的が帰ってきたわ」

 時計の針は予定通り帰宅時間の二十時を指していた。直哉は寝室の扉の脇に隠れた。床には愛人がシルクのバスローブを着たまま失神している。美しかったが意識を失う瞬間の表情に面の皮の厚さが垣間見えた。
 標的が階段を上る足音を聞きながら冷静に時計を確認する。リビングにいない愛人を探しに部屋に上がってくるまでおそらくあと15秒。

(もう一次会、半分過ぎちゃったなあ)

 ふと洋介と一平の楽しそうな顔が浮かんだ。この仕事が入っていなければZOOM飲みに参加できたと言うのに。文句を言いたい気持ちを抑えてPMマカロフに母が作った特製サイレンサーを取り付けた。

 「佐和子ちゃん。帰ったよ」

 標的が甘い声で愛人の名前を呼びながら寝室の扉を開けた。直哉は床に転がる愛人の姿を見て固まった標的の禿げ上がった後頭部にマカロフの照準を合わせた。すると強欲なヤクザのボスは意外な反応を見せた。泣き始めたのだ。
 

 子分の嫁にすら手をつける鬼畜な男。肥大した身体で女を組み伏せた時の表情は醜く、今回の依頼人もこの男に妻を手籠めにされた部下だった。
 しかしそんな男が飽きたら捨てるはずの愛人の倒れる姿を見て泣いている。しかもその泣き方が喚く子供のように無邪気なのだ。この愛人のことを愛していたのか。支配欲が満たされた後は実はとても優しい男だったのか。
 直哉は男の振れ幅に驚きつつも動揺に支配される事なくすばやく引き金を引いた。男は気絶している愛人の上に倒れ込み死んだ。
「終ったよ」インカムに告げると「私ならあと5秒早くやれた」とまた不機嫌そうに姉が返してきた。
 しかし弾丸が標的の頭を貫通した瞬間に仕事の解放感に包まれた直哉には姉の嫌味はさほど気にならなかった。

「わかったよ。それより、俺もう帰っていいんだよね?」 
「ええ。どうぞ。今日は私とおじいちゃんで後始末やるから。さっさと合コン行きなさい」
「何で知ってんの?つかまた盗聴しただろ!」
「うるさいわね。ちがう依頼の盗聴してる時にたまたま聞こえてきたのよ。いいからさっさとそこ出なさいよ。邪魔」

文句を言おうとするとインカムに祖父の源次郎が割り込んできた。

「こらこら。現場からはさっそうと立ち去るのが殺し屋の原則だと言っただろうが。直哉はもうあがっていいから、里香は早く後始末に行きなさい。愛人さんが起きちゃうでしょ」
「ちっ」

 姉がわざと直哉に聞こえるように舌打ちをしてインカムを切った。直哉も舌打ちをすると窓から飛び降りた。
 庭に降り立つと疾風のように走り豪邸を取り囲む塀に飛び上がった。侵入する際に防犯カメラは破壊し、見張りは残らず始末しておいたので彼を遮る者はいなかった。
 高い外壁を登り切り道路に誰もいないことを確認すると静かに歩道に降り立った。その姿はさながら豹のように滑らかだった。
 5メートル先の外壁から里香が標的の家に入っていくのが見えた。直哉はそれを視認すると盗聴のことを思い出しまた腹が立ったが次の予定への焦りが怒りを諫めてくれた。

 心はすでに新しい出会いの場にあり年相応の普通の青年に戻っていた。足早に駅に向かう直哉の姿を見て彼が数分前に人を殺したなどと思う者はいなだろう。時間を気にしながら急ぐその姿からは豹のようなしなやかさはとっくに失われていた。

僕は37歳のサラリーマンです。こらからnoteで小説を投稿していこうと考えています。 小説のテーマは音楽やスポーツや恋愛など様々ですが、自分が育った東京の城南地区(主に東横線や田園都市線沿い) を舞台に、2000年代に青春を過ごした同世代の人達に向けたものを書いていくつもりです。