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小説「素ナイパー」第31話

 淳也は大昔に買ったロレックスの時計を見つめると、まるで今の直哉のようだと思った。
 その時計は仕事を始めてしばらく経って大きな仕事を成し得た自分への御褒美として買った物だったが程なくして仕事中に銃弾を受け壊れてしまった。しかし当たり所が良かったのか表面のガラスは砕けているのに秒針だけがカタカタと駆動する。

 「少し休め」

 淳也がそう言うと直哉はそれを拒否した。どこか頼りなかった表情は消え、身体からは緊張感が迸る様になった。そしてあれ以来、仕事もすべて完ぺきにこなす様になった。
 家に帰れば家族とそれなりに会話し団欒を過ごし寝る。傍から見れば何の問題もなく日常を過ごしているように見えた。

 しかし沖田家の誰もが、そんな直哉を受け入れられずにいた。何かに迷い、何かを探しているような、どこか頼りのない直哉こそこの家族の中の直哉なのだ。
 忙しなく一心不乱に動く秒針はそんな直哉の心の様を現しているように思えた。壊れているのにその事実を認めないように動く秒針・・・。
 源次郎も里香も母のサーシャもそんな直哉を受け入れようと努力していた。家族はわかっていた。その心の中は凍りついている事を。そして直哉も必死にそれを悟られまいとしている事を。変化のない日常を演じながら、家族は直哉の悲しみが氷解するのを待っていた。

 「しかしお前も突然帰ってくるね」
 「ホントだよ。ろくに連絡もしないで」
 「いいだろ。英語ばっか話すのも疲れる時があるんだよ」

 BAR「ゆるい」の店長が久しぶりだからと出してくれたワインを直哉が煽った。

 「で、どうなの?二人は」
 「どうってなにが?」
 「いや仕事とか、もろもろ」
 「おまえそりゃ俺らのなり見ればわかるだろう。絶好調よ」
 「そうか。彼女とはい上手くいってるの?」
 「別れた」
 「え?だってそっちの方がもてるって言ってたじゃんか」
 「あのな、俺らは気付いちゃったわけよ。別にそんな事しなくてももてるって事に。金ならあるし黙ってても女は寄ってくるからな。つかそんな事はいいんだよ。お前こそどうなのよ。金髪ねーちゃん」
 「別に普通だよ」

 すると一平が一人だけで飲んでいた焼酎のグラスを置いた。

 「普通って、一番日本人的な答えじゃん。それじゃ外人納得しないでしょ?」
 「うるせーな。お前ら日本人だから分かるだろ?」
 「じゃあ、なんもないってことね」
 「かーまったく、お前って奴は」

 直哉は洋介がその後に口にするであろう名前を聞くのを恐れて話題を変えた。こういう話の先には必ず知子の名前が出てくることは目に見えていた。

 「しかしお前、酒強くなったな」

 しばらくすると空いたワインの壜を持って洋介が言った。気付けば直哉は洋介がグラス一杯半飲む間に壜に残っていた分を空けてしまっていた。

 「そうか?今日は体調がいいんだよ」

 おどけて直哉はそう言ったが自分でも酒が強くなった事は自覚していた。ただ正確に言えばそれはあの事件以来、酒に対する警戒を強めた結果だった。
 自白剤が入っていたとは言え酒に酔い組織の術中にハマった事は紛れもない事実だった。そのトラウマは直哉の酒に対する免疫を強くした。
 そして酔って弱くなった時、今でも胸に残る傷を作り出した知子を記憶から呼び覚まそうとする事を恐れてもいた。
  仕事を精力的にこなすようになったのも彼女のことを思い出したくないからだった。好きだった相手を殺してしまった。本当はもっと違う結末を導き出せたのではないだろうか?自分がもっと強くいれば・・・後悔は常に直哉にまとわりついていた。

 「はい。サービスでもう一本」

 店長が久しぶりに現れた直哉の為に二本目のワインを差し入れてくれた。

 「お!店長。ありがとうございます。よし飲むか!」

 3人はこの日、2度目の乾杯をした。

僕は37歳のサラリーマンです。こらからnoteで小説を投稿していこうと考えています。 小説のテーマは音楽やスポーツや恋愛など様々ですが、自分が育った東京の城南地区(主に東横線や田園都市線沿い) を舞台に、2000年代に青春を過ごした同世代の人達に向けたものを書いていくつもりです。