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創作物には解がない。という救い。

世の中はお役立ちノウハウで溢れている。汚れの落とし方、お金の増やし方、ロケットの作り方もあれば、生き方や死に方まで。今や欲しいノウハウを探すよりも、誰も手をつけていないノウハウのネタを探す方が、ずっと大変なんじゃないだろうか。

たしかに、それらの情報に助けられることは多い。それに自分だって、どこかで自己流のノウハウを垂れ流していたりもする。

でも、人生の重要な問題には答えがない場合も多い。得る、失う。進む、退く。出会う、別れる。そこに唯一絶対の解はない。だから万人共通の有用なノウハウやマニュアルもない。

そして、大きな問題に直面している時、人は答えを探しているようで、それほど探していなかったりもする。ヒントは欲しくても、押し付けられるのを嫌う。人にはそれぞれ感情があるから。大事な局面にある時、感情はなかなか理性に追いつかないから。あるいは感情が暴走して、理性が置いてけぼりになるから。

ノウハウとは対照的に、創作物には明確な解がないものが多い。絵画、小説、映画、音楽、舞台、アニメ、ゲーム──。もちろんメッセージ性がハッキリしているものも多々あるけれど、どこか受け手に解釈の余地が残されている。多義的で、余白がある。

そしてその余白が、時に誰かの救いになることもある。

答えを求めていない時。答えが息苦しく感じる時。用意された答えではなく、自分なりの解が欲しい時。

芸術やエンターテインメントは何の役にも立たない、と言う人がいる。でも私はそうは思わない。直接的に問題の解決はできなくても、誰かに寄り添うことができるから。寄り添って、息苦しい世界で一緒に呼吸してくれるから。そして優れた創作は、時に大切なヒントを示してくれる。

だから私は創作物を愛し続けるし、ものを創る人を尊敬している。

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