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池波先生の味。小説創作の進捗状況。

おかげさまで


7月29日にnoteをスタートしてから、早いもので1か月以上たちました。

新しいブログを始めると、最初はがんばろうとするのに、しばらくするとパタッと止まってしまうことが、ここ4~5年は多かったです。
今回のnoteは、不定期でも記事をあげられているし、負担も感じず楽しくできています。なかなか良いリズム・距離感で続けられているかなと思います。
今回続けられている理由に、読んでくれる方の反応やコメントが励みになっている面も大きいです。いつもありがとうございます。

一番人気のあった記事は……


ちなみに、私の記事で一番人気で、嬉しいよろこびなのが以下の記事です。

東京神田の「山の上ホテル」に行った時のレポートです。「山の上ホテル」で、池波正太郎さんが愛用していた部屋に、泊まったことを書いています。

SNSでも、こんなに「いいね」「好き」をもらったことがなく、とても嬉しいです。

本当に感動したことや、本当に心が強く動かされたことを書くと、文章からもリアルな感情やエネルギーが伝わるんだなと思った次第。

そして、不思議なことに、先日松山に行ったとき、町の古い古書店になんとなく行ってみたら、こんな本を見つけました。

この手のグラビア本が昔から大好きなのです。

池波正太郎『剣客商売 包丁ごよみ』という、池波先生の企画したお料理本です。料理を監修し、本の中で再現しているのは近藤文夫さん。「山の上ホテル」料理長を経て、「てんぷら 近藤」を開いた名料理人。

この本、見つけた時、うわーって興奮しました。
何度も何度も、料理写真のグラビアとレシピを見ちゃうやつです。「剣客商売の秋山小兵衛が作っていた料理を再現」というのがこの本の趣旨なのですが、むしろこれが池波先生の味の好みなんだねえと、そちらの興味が立ってしまう。

鉄板焼きにスパイスソースをかけている。やきそば?エプロンもかわいい♡
文月のお料理。季節ごとの旬の素材を、昔ながらの和風で。
一月。甘鯛の味噌漬け。やってみたい!寒鮒の甘露煮もおいしそう。

四季折々の味が披露され、江戸の粋な味を想像することができます。なかには、すっぽん鍋や寒鮒,猪鍋といった素材もあって、素人には再現が難しそうなものも……。ただ、この本を参考に作れそうな料理もあるので、私も簡単なものは再現してみたいです。

後で調べたら、この本は今でも新潮の文庫本で入手できるようなので、ご興味のある方はぜひ!。

小説執筆の進捗は……


小説を書くためにスタートしたnote。
なのに、進捗状況も報告せずに私の日常ばかり書いているので、「どうなってるの?」と感じられた方もいらっしゃるかもしれません(;^ω^)すみません。

これまで20年間くらい、小説が書けないという奇妙なトラウマ、コンプレックスに縛られながら生きていました。

小説を書きたい気持ちを、人に話すことすら、恥ずかしくてできないくらいでした。

なので、本当に少しずつ少しずつ、焦らずに。
今はリハビリだと思って作業しています。

とはいえ、今年の一番の収穫は、「小説らしきもの」を書けたことです。

その短編は、おそらく来年の5.6月あたりに募集されるだろう、徳島の文学賞「阿波しらさぎ文学賞」に応募することを目標に進めています。

文章としては7割方書けたのですが、まだまだ推敲の余地ありで、構成や文章を練っているところです。

それを推敲しながら、他にも温めているネタがあるので、どんな形で書くのかを検討しています。

ここ数か月で、自分にとっての大きな変化は、ジャンルに固定観念や縛りを感じなくなってきたことです。

長年、「純文学を書きたい」という強い気持ち。
むしろ「純文学でなくては!」みたいな思いがありました。

しかし、それは「思い込み」だったなあと、今は感じています。

なぜなら、設定やプロットをじっくり考えていく中で、
純文学に向いている素材と、エンタメに向いている素材と、
素材によってジャンルが決まってくることのほうが大きい、と気づいたからです。

純文学の新人賞の内容に求められているもの、と、エンタメ小説の新人賞の内容に求められているものは、明らかに異なると、今は冷静に分析しています。

ジャンルは異なれど、重なる部分はあると思います。

しかし、ある程度、この素材・このテーマ、このストーリーなら、こちらだなと、方向性や戦略をもって作品を書く方がまだまとまりやすいし、求められるものをクリアできるのでは?と。

それは同時に、自己分析にも繋がっていました。

結局、自分はどんなスタイル、どんなテーマ、どんな世界観を書いていきたいのか。それによって、ジャンルの位置は自ずから、大まかにでも決まってくると思います。

いま、純文学でこういうものが求められるからと、自分の感性とはかけ離れた、共感できない人物を書くのは、私には結構苦痛かもしれないと、最近感じています。

器用な人はそれができるかもしれない。だけど結局、本気で競り合ったとき、好きな人の方が最終的には勝つと思うんですよね。継続していくという意味でも、そのスタイルが好きな人の方が、楽々と継続できます。

いま、思うのは、「自分が書きたいこと=自分が残したいものは何か」です。

そんな時に、なぜか司馬遼太郎の存在が思い浮かびます。その後、山本周五郎や池波正太郎のことが連想され、遠藤周作や大岡昇平など、自分が感動した作品の作者を思い出します。

↑を思い浮かべるあたり、すでに純文学オンリーではないことは、自覚せざるをえない。

こんな考えに至った背景には、
尾田栄一郎『ワンピース』との、遅すぎる出会いもあったりします。

が、とりあえず、今日はここまで☺。それについては、また別の時にまとめてみます。







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