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『僕が出会った風景、そして人々』②

”記憶の引き出し”の中にある宝物

今回は、舎人で経験したことや、人々との交流について書いてみたい。

これから書く一連の記事の中で、お店や施設の名称、あるいは人名など、あえて実名を記したいと、強く思った箇所がある。
 それは何故かというと、誰かが何かの機会に言及しなければ、大切なものが、時間の経過の中で忘れ去られてしまうような気がするからだ。
 いや、忘れ去られるのではなく、存在そのものが気づかれないというか、なかったことにされてしまうというか・・・。実際、それらの名称はすべて、今回ネットで検索してもまったく出てこなかった。
 
僕が好きな小説家、Y氏が書かれていたある文章を読んで、”その通りだなあ”と感心した覚えがある。それは大まかにいうと、「・・・たとえば、或る神様の存在を、地球上の誰か一人でも信じているならば、”その神”は存在し続ける。しかし、信じる者が一人もいなくなった途端、”その神”は消滅する・・・」といった内容だったと思う。
 観察者がいるからその宇宙が存在する。なんだか、最先端の宇宙物理学にも通じるような話ではないか。

この考え方でいくと、このままでは、僕にとって大切なものが、時の流れとともに、いつしか忘れ去られてしまうのではないか?
 大げさかもしれないが、僕はそんな不安をいだいてしまうのだ。
 やはり僕は、「こんな場所があった。こんな人たちがいた。こんな出来事があった。」という記録を、どこかに残しておきたいんだ。

そういう意味では、「note」は格好の場所だと思う。noteよ、ありがとう!

さて、名前については、もう、数十年も経っているのだから実名を紹介してもいいかとも思ったが、やっぱりやめておこう。
 僕のひとりよがりで、かつて交流のあった人々を傷つけることになっては申し訳ないし、この場(note)の趣旨にも反するだろう。

ということで、名前にはあえてアルファベットや記号を使うことにした。

赤提灯Mのこと
僕が足繁く通った飲み屋さん。ここのママに聞いたのだが、店の名は、ある女流作家が書いた小説に登場する少女の名をとったという。

ママは華奢な感じの美人で、いつも潤んでいるように見える、美しい瞳が印象的だった。飲み屋さんのママをしている割には人見知りで臆病で、初見の客が来たときなど、店に僕しかいなかったら、「A君、こわいから最後までいて頂戴ね。」と耳打ちするような人だった。まあ、これは僕に限らず、常連さんのうち何人かは、ママのボディーガード役を喜んで買って出ていたような気がする。

マスターは、一見クールなロマンスグレーといった風貌だったが、粋な江戸弁をあやつり、小説家を志していた僕の、よき理解者でもあった。

残念ながら、このお店、今はもうない。

ところで、本当に不思議な話なのだが、前回触れたように、僕が学生時代に書いた文章をまとめ始めてから1週間ほど経った頃、Mのママの娘さんから、僕が今働いている職場に突然電話がかかってきたのだ。

電話応対した事務所の女性社員から、「Aさん、東京の知り合いの方から電話です」と言われて出たら、いきなり、「舎人にあった赤提灯Mの、娘の○○です。」と言われたのだ。彼女はママに似てとびきりの美人で、時々お店を手伝っていた。
 それにしても、あまりにタイミングが良すぎるではないか。僕は職場にいることも忘れ、思わず「○○ちゃん?」と大声を出したので、周囲の社員たちの耳がダンボになった(・・・ような気がする)。

娘さんが言うには、ママはかなりのご高齢だが、とてもお元気とのこと。それで、なぜかここ数日、「A君(僕のこと)は元気なのかしら。」「A君にもう一度会いたい。」としきりに繰り返すので、思い立ってネットで検索してみたとのこと。
 そうこうするうちに、偶然が重なって僕の職場と僕の写真が検索にひっかかり、すぐさま電話してきたというのだ。
 
あまりに不思議な体験だったので、当時、舎人で生活を共にした親友Oに、さっそくメールで報告した。

やがて、こんな返事が返ってきた。

「創作ノートと電話の件、驚きました。人は、大切な気持ちや大切な人のことを忘れないために、時折反芻して確認するのでしょう。そのタイミングが遠い時間と空間を経てシンクロしたんですね。きっと久しぶりにとった筆を、ママさんが後押ししてくれたんですよ。娘さんも、連絡先を探し当てるのはそう簡単ではなかったと思います。ネットワークの恩恵でもありますね。」

・・・という、冷静だが、心温まる返事が返ってきた。僕も、そう思う。

(最後まで読んでいただき、ありがとうございます!・・・すみません、このお話、まだまだ続きます。よかったらまたお立ち寄りくださいね。)

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