チカムリオ(その⑤)
(前回までのあらすじ)
僕とキヨシとユミは小学校の同級生。ある日、秘密の抜け道で紫色に輝く切符を拾ったことから、夜明け前の公園で不思議なタクシーに乗り、時間と空間を超えた旅をすることになった・・・。
宇宙の旅
「あっ、見て!」「星だ!」
「あれは何?」「星雲だ!」
真っ黒い巨大なトンネルの中心部から、大小の星々や星雲が次々と現れてきた。そして、現れたかと思うと、次の瞬間には僕たちの横をすごい勢いで通り過ぎ、後方へ消え去っていった。
「すごいや。どんどんスピードが上がってる」
車のフロントガラスから見える光景は、まるで小さくなった自分が水の中にいて、巨大なホースに吸い込まれていくような感じだった。
僕たちは強烈な速さで前方に引き寄せられ続け、真正面から飛び出した無数の星が、あっという間に通り過ぎていった。
「振り向いてごらん。君たちの宇宙の後ろ姿が見えてくるだろう」
僕たちは座席のシートにへばりついて後ろを見た。そこには藍色の宇宙が広がっていた。
「あっ、いま土星が見えたよ。間違いないよ、だって輪がはっきり見えたもの」
「あの星はなに?横縞が何本も見えるわ」
「木星さ。縞模様は色んなガスでできた雲なんだ」
そうしてる間にも、周囲の星々はものすごいスピードで後方に過ぎ去っていった。やがて、ふと気がつくと、後方にとてつもなく大きな円盤状の雲が広がった。
そう、そこにはたった今、僕たちが抜け出してきた銀河があったのだ。本で何度も見たことのある渦巻き状の銀河系宇宙。
そして、その銀河系すら、みるみるうちに遠ざかり小さくなっていく。
もう誰にも止められないように感じるほど、僕たちを乗せた車は猛スピードで進んでいるのだ。
「うわー、一体全体どうなってるの?」
「まるで掃除機の中にでも吸い込まれてるみたい」
「きっと、僕たちは宇宙の果てに向かって移動中なんだよ」
「砂時計を想像するといい。砂時計の中は、上の方は比較的変化が少ないが、中央のくびれた箇所では砂が勢いよく落ちているだろう」
「狭い所を通り抜けるから勢いが増すんですよね。理由はよくわからないけど」
「まるで今の私たちみたいね」
「いま我々は砂時計のくびれ部の幅ゼロ地点、すなわち時空の狭間を通り抜けようとしているのだ」
「じくうの、はざま・・・」
”時空の狭間”という言葉が、僕たち3人の頭の中で神秘的に響き渡った。それは、これから向かう未知の世界への期待を、いやがうえにも掻き立てるのだった。
僕たちは「無」を見た
気がつくと、車の外は真っ暗闇だった。文字通り真っ暗で何も見えない。
それどころか、なんだか妙な暗さだ。
僕は窓の外をじっと見つめているうちに、そこに引き込まれていくような気がして、あわてて目をそらした。
・・・この感覚にはなんとなく覚えがある。
そう、あのときの感じだ。
風邪をひいてひどく熱を出して寝込んだあと、少しよくなって、布団の中でウトウトしているときなど、ごくたまに、こんな気持ちになることがある。
布団の中からぼんやりと天井を見上げているうち、いつの間にか目の焦点が合わなくなるというか、遠近感が失われてしまうと同時に、物の大きさにたいする感覚がおかしくなってしまうんだ。
自分がうんと小さくなって、周りの物がどんどん大きくなっていくような、あるいはその逆で、自分がどんどん大きくなっていくような気がする時もある。
急に、見つめているものが・・・僕の場合、たいてい天井の隅っこの時が多いのだが、猛スピードで遠ざかっていくような気がしたり・・・。
そして、めまいがするような不思議な感覚。戸惑いにも似た気持ちになることがあるんだ。
僕はひどいめまいに襲われ、不安になって窓から顔を離した。
ふと気がつくと、キヨシもユミも同じように顔をしかめ、目をこすったり首を振ったりしているではないか。
「3人ともたっぷり”無”を満喫したかな?それくらいにしておいたほうがよかろう。あまり”無”を見つめすぎると”無”に魅入られてしまうから」
僕たちはおじさんの言ったことが理解できず、呆然と運転席の方を見た。
「”む”って、ええと、無のことですか?」
「何もないってこと?」
運転手のおじさんは前方を見たまま軽くうなずいたようだった。
「無っていったい何なの?空気もないんですか?」
キヨシが不思議そうにたずねた。
「どんな場所でも分子や原子はあるはずだけどなあ」
「・・・文字通り虚無の世界なのだ。すべての物質を形成する素粒子すらここには存在しない。観察すべき対象なきがゆえに、時間の流れもない。空間さえもないのだ」
おじさんはさらに続けた。
「君たちは、数学的世界においては、点や線に面積がないことを学んだはずだ。”無”もそれに似ているのさ。ついさっきまで、君たちは自分たちの宇宙を見ていたはずだ。そして今は無を見た。」
「だから黒く見えるのかしら。だったら、無の色は黒色?」
「無に色があるのかなあ」
「仮に、君たちの住む世界が大きな一つの立方体の内側だとしよう。立方体は3次元だから、縦横だけの平面ではなく、高さも加わっているわけだ。」
「立方体って箱みたいなもの?なんだか狭苦しい感じだわ。でも、きっと、とてつもなく大きな箱ね」
「箱の中で生きている分には、何の問題もない。しかし、いったん外の世界に出てしまえば、君たち3次元の種族はお手上げ状態になってしまうのだ」
「箱の外に出るって?いったいどうやって?たとえば、どんどん上に向かって行けば天井にぶつかって、天井を突き破るってこと?」
「上に向かってどんどん行けば、やがては大気圏を通り抜けて宇宙に出るんだ。その先はどこまでも続く宇宙空間・・・まてよ、何かの本で読んだことがあるぞ。そうそう、たとえばロケットに乗って宇宙空間をどこまでも突き進んだ場合、いつかは宇宙の端にぶつかると考えるのが普通だけど・・・」
「うわっ、宇宙の端にたどり着いたらどうなるの?急ブレーキをかけても間に合わないぞ。うまいこと無傷で箱の天井を突き破れるといいけど」
「高性能レーダーがあれば大丈夫じゃないの?」
「いや、そういう問題じゃなくて・・・宇宙の端にぶつかることはできないんだ。突き当たったと思っても、いつの間にか元の位置に戻ってしまうんじゃなかったかな、確か」
「ほう、なかなか勉強しているね君は」
「はい、いや、本が好きだから、たまたま読んでただけです」
キヨシは照れくさそうに頭をかいている。
「なかなかいい線をいっているよ。ただ、実際には端にぶつかることができないのではなく、たどり着く方法を知らないだけなんだがね」
「ええと・・・じゃあ、とにかく箱の天井までたどり着くことに成功したとして、その先はどうなるんですか?」
「もうジュン君、先を急ぎすぎだってば」
「ふふ、まあいいだろう。若者というのは、いつの時代も結論を急ぎたがるものさ。君たちが住む世界・・・宇宙は、まったく別の宇宙と、ごくごく小さな点でつながっているのだよ。わかりやすく言えばだ。隣の宇宙へ行くには、その点を通り抜ける必要があるのさ。たとえばその点を特異点と呼ぼうか。君たちの宇宙にはこの特異点が数多く存在していて、それぞれが全く別の宇宙につながっているのだ」
「うわあ、すごい!宇宙と宇宙が点でつながっているのか」
「例えばの話だ。実際にはもっと複雑で、今の君たちの理解を超えた状態なのだ。ううむ、君たち人類の思考形態は、目や耳といった五感から得た情報に頼りすぎる傾向があるから厄介だな。現在の地球における最高頭脳の持ち主といえども大同小異だ。君たち人類がこのことを理解するのはもっとずっと先のことだな。ええと・・・」
おじさんが正面の計器を操作し始めた。
「ふむ、あと1200年ほど先のことだな。数学や物理学といった学問の進歩は、大部分は精神の深層レベルにおいて働く直観によるところが大きいのだ。そして直観というものは概ね文明の到達している段階によって左右される。それは、視覚、聴覚、触覚といった五感にとらわれず、物事を思考することができるようにならなければ理解できないのだ。そういう意味において、仏教の宇宙観などは、なかなかいい線をいっているといえるかな」
「何だか難しくってよくわからないわ」
ユミが首をかしげながら囁いた。
「あの、おじさんが今触っていた計器は何ですか?」
「アカシック・レコードのことかね。うむ。これはつまり、全宇宙に関するすべての記録をとどめた記憶装置のようなものさ。無限に繰り返される宇宙の誕生から消滅までのすべての出来事が、この中に記録されているというわけだ」
「その中に全部?うわ、DVD何枚分なんだろう」
「ちょっと待って。誕生から消滅までって、宇宙はまだなくなっていないけど」
「ああそうか。君たちの時代の時間的概念には、時間のつながりのみを意味する過去・現在・未来の3要素しかなかったな」
「ああ、また難しい話だわ」
ユミが口を尖らせた。抗議のしるしだ。
「ふふふ、たとえば過去を例あげるとするならば、宇宙には実際にあった過去と、あり得たけれど実際にはなかった過去が存在する。この両者は同時に起こりえることでもあるし、いつでもどこでも実際に起こっているのだ」
なんだか頭が痛くなってきた。
「ええと、それはきっとパラレルワールドのことだと思うな。つまり、僕らの住む宇宙のほかにも、たくさん宇宙があるってことさ。SFで読んだことがあるよ」
キヨシが腕組みをしながら言った。さすが読書家は違う。学校から帰ってから僕らと遊んだり、塾に通ったりい、家で勉強する以外に、いったいいつ本を読んでいるのだろう。
「とにかく、この計器を使えば、これから先に何が起こるかがわかるってことですか?」
「すごーい!」
ユミが両手を口に当てて叫んだ。
「ああ。大筋ではね。無論、枝葉の部分で変化の余地はあるがね。宇宙の進化にとって重要でない部分については、厳密な意味での筋書きはないといってよいかもしれない。もっとも、何が重要で何がそうでないかは、これまたちと難しい問題だが」
「ってことはつまり、先週僕がテストで50点しかとれなかったけど、80点とれたり、100点満点とれた宇宙もどこかにあるってこと?・・・あっ、いくらなんでも100点は無理か」
「ふふふ、まあ、そういうところかな。間違って、失礼。テストで100点をとれるような君もどこかには存在しているかもしれないよ」
「ホント?やったあ!」
「ハハハ!」
みんな大笑いした。
でも、それと無と、どんな関係があるんだろう。僕の心の中は?マークでいっぱいになっていた・・・。
(続く)
©
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?