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チカムリオ(その⑩最終回)

「さてどうするかね。このままチカムリオまで行くかね」

「いえ、すみませんが、あの公園に戻って下さい。できるならもう一度、始めからやり直したいんです」

「ふむ。私もそれに賛成だ。人生はいつでも、何処からでもやり直しがきくものだ。あのときは言わなかったが、一人一人の人生は不確定要素が多くてね。実に変化に富んでいるのだ。まあ、このへんのことになると理論的には少し難しいんだが。不確定性原理というのを耳にしたことがあるかな?例えば君たちの世界で信じられている物理学の理論に、素粒子の動きは予測し難いという考えがある。まあ、結構いい線を行っているが、理論的にはまだまだ大雑把で不備だがね。もう少しすると、君たちの世界でも、人間についてもっと深く知られるようになるだろう。文明の飛躍的な進歩というものは、精神的な成長が伴なわなければあり得ぬゆえ、今は壁に突き当たった状態が少々長く続いとるがね。前にも言ったが、あと1200年もすれば再びキリストや仏陀のような天才が出現して、精神世界で革命的な発展を遂げることになる。文学や芸術なども同様にね。同時に、君たちの世界の科学も劇的な進化を遂げることになるだろう。そして、そのことは確定要素に入っておるのさ。大きな歴史の流れという意味ではね」

「はい。少しおっしゃることが分かってきました。チカムリオをもう一度見られないのは残念ですが、戻って来れなくては元も子もありませんからね」

「そうかね、それはよかった。・・・ふむ。これに2度も乗る人間は極めて珍しいことだ。少しばかりサービスしてあげようか」

「サービスですか、どんな?」

「あのとき君に見えなかった未来の姿さ。言い換えるなら、今度の旅行が終わり、この車を降りた後の君の未来だよ。どうだい、見たいかね?先刻君がこれに乗ったときから、実は君にとっての新しい未来が始まったのさ。わかり易く言うならば、今の君の状態に応じた未来が予測しうるというわけだ」

私はそれを聞いて飛び上がりそうになった。

『じゃあ、今回この車に乗らなけりゃ、やはり俺の未来はなかったんだ』

「ありがとう。でも、いいんです。そりゃあ、本当は見たくてたまらないけど、何だか恐いし、それに・・・やっぱり自分の未来は自分で作らなきゃ。そうですよね?」

僕はそう言った後で少しだけ後悔した。でも、ほんの少しだけだ。

「ふむ!よく言った。それでよいのだ。ご褒美にひとつだけ教えてあげよう。いいかね、心しておきたまえ。君に与えられた使命は君が考えているよりも重いのだぞ。しからばサービス第2段といこうか。今回は特別に君の記憶を残しておいてあげよう。ふふふ、本来ならばこれは職務規定違反だが、まあいいさ。どうせ規則を決めるのはこの私なのだから」

「本当ですか?それは有難い!じゃあ、この記憶をもとにして、書いてもよいってことですね?小説やファンタジーを」

「うむ。大いに書きたまえ。とびきりよい作品を頼むぞ。それこそが即ち君の未来というわけさ」

『そうか、そういうことだったのか』

私は、この瞬間、全てを理解していた。今まで起こった出来事はすべてそうなる理由があったことを。
 些細なことも、今のこの瞬間が「ある」ためには、みな必要なことだったのだ。

『カオリ、ミサト、ごめん、これから帰るよ。まだ、僕を待っていてくれるのなら・・・』

「うむ。大丈夫、待っているとも。君の家族には、どうしても君が必要なのだ。それと、君の大切な友人たちも」

夢の世界にまどろむ幼子おさなごを暖かい眼差しで見つめる母親。
 ふと、その子の小さな手に、紙切れが一枚、しっかりと握られているのに気づく。そう、それは紫色の切符。

それを手に取った彼女は不思議そうに首を傾げ、やがて、記憶の奥深くに眠っていた物語を懐かしく思い出すと、遠い眼差しでにっこりと微笑む。 

さまざまな時代の、さまざまな場所に住む子供たちが、それぞれの精神に応じた状況であのタクシーに乗っていく場面の数々。

そして・・・。

ああ、今の僕にはすべてわかる。
 あのタクシーの正体も、あの老紳士が何者で、何処から来たのかも。
 本当は僕だけじゃなくって、世界中の人々が知ってるはずなんだ。

時の支配者。この世界が始まってから常に世界と共に在り続けてきた存在。

そして、世界の終わりのときを観察する存在。この世に在ってこの世の埒外の存在・・・。

宇宙の時間を支配するもの。僕たちはその名を知るべきなのだ。

ぽつり、と冷たい水滴が手の甲に落ちて、僕はふと目が醒め、思わず立ち上がった。
 口に咥えたままの煙草から、長くなった灰がぽとりと膝の上に落ちる。
 そこは夜明け前の公園。僕は、始まりのときと同じベンチに腰掛けていたのだった。

「ハックション!」くしゃみの音の、最後のほうが耳に残った。周囲はまるでミルクのような霧に包まれている。まるで、音さえも吸収されてしまうように思えるほど濃い霧だ。

いや、まてよ。

「ドルルル・・・」耳の底に、低いアイドリング音が残っていた。それは、つい今しがたまで、そこにあの・・タクシーが止まっていたことを物語っていた。

そのとき私は、右手に何かをしっかりと握り締めていたことに気がついた。恐る恐る、震える手を上げ、開いた。

深く満ち足りた喜びが胸を満たし、私は思わず呟いていた。

「ああ、本当だったんだ。本当に僕は・・・。」

『チカムリオ行き』

そよ風にさえ吹き飛ばされてしまうほど軽いが、普通の紙とは違って妙に弾力があり、艶やかな紫色に輝くその小さな紙切れには、はっきりとそう書かれていた。そしてもう一つ。『未来回り』と。

そのとき、私は目の前に彼らが立っているのに気がついた。

キヨシとユミだ。

2人は並んで立ち、ベンチに座り込んだ私を心配げに見下ろしている。

「・・・おい、お前、いつからそこにいたんだ?」

「ついさっきまで誰も座っていなかったのよ」

「そうだ。それは俺も確認したよ。一体今までどこに行ってたんだ?」

「え?・・・ああ・・・まあ、話せば長いんだけど」

「話せよ。どうせ今日はもう仕事になりゃしないんだ」

「本当ね。こうして3人で会うのも久しぶりだし。ところであなた、またあそこへ行ってきたの?」

キヨシとユミは辺りをキョロキョロと見渡した。

「おいおい、お前ひとりで抜け駆けしたのかよ。ううむ・・・。お前が行けたってことは、俺たちにもまだチャンスがあるってことかな?おい、今日はじっくり話しを聞かせてもらうからな」

「・・・ああ。話すことは山ほどあるさ。ああ、すまん、その前に、家内と娘に電話しないとな」

 人々から忘れ去られ、荒れ果てた公園に朝日が差し、辺り一面に繁茂した雑草が風にそよいでいた。

キヨシとユミは、風の向こうに、ふと懐かしいアイドリング音を聞いたような気がして振り向き、思わず顔を見合わせたのだった。


エピローグ

チカムリオとは?

壮大な大宇宙のビジョン。我々が観察できる宇宙はその一部に過ぎない。

タクシーが到着した場所は?

上下の感覚がない。重さも感じない。自分は今立っているのだろうか、それとも座って?暖かさも寒さもわからない。それでいて、頭の中は妙に冴えわたっており、体全体がきらきらと光に囲まれているような感覚。

ここはいったい何処だろう?

目の前に、小さな渦巻がいくつも現れる。それらとの距離感も掴めない。

「これは?」

「宇宙の全てが、ここにある。呼吸しているようなものさ。もっとも、ここでの一瞬は君たちの世界だと永遠にも等しいがね。言わば、一呼吸がビッグ・バン一回分に相当するわけだ」

「そんな・・・。あまりに壮大過ぎて僕には想像もつかない」

 そのとき、ふと、渦巻の一つに目が止まった。

あたかも高速度撮影をしているかのように、その渦巻が急激に大きくなってくる・・・。もうすでに、渦巻き全体は視野に入らなくなっている。そしてなおも渦巻は拡大し続ける。

ぼくたち人間が住む宇宙は、別の物体を構成する粒子の一粒に過ぎない。そしてその物体もまた、さらに大きな物体を構成する一要素でしかないのだ。

どこまでも、どこまでも、永遠に。無限に。ときとして拡散し、あるときは凝縮して・・・。

 チカムリオは人々の心の中に存在している。

心の中の奥深く、ひっそりと息づいている。

そして、僕たちがそれに気づくのを待っているんだ。


オマケ

この物語は、ずいぶん昔、10代の終わり頃に、僕と親友のキヨシが深夜の井の頭公園を歩いていて考え出したものです。
 問われるともなく、ごく自然に僕の口から「なあ、チカムリオっていう不思議な場所があってさ」というフレーズが飛び出しました。

「ふむふむ、それで?」

「あるとき、子供だった僕らが、紫色の切符を拾うんだよ。誰も知らない、僕たちだけの秘密の抜け道でね・・・」

こうして紡ぎ出されたチカムリオの物語は、僕たち二人にとって神秘的な輝きを持つ宝物であり、それを育てていくことが、大人になりかけた僕たちが忘れてはならない”何か”を保ち続けるために必要だったのかもしれません。

後年キヨシは僕に一編の詩を贈ってくれました。

それは「地下無量」という、怪しくも奥深い詩でした。

ではまた。

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