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(本)つらいと言えない人がマインドフルネスとスキーマ療法をやってみた。

以前、少しBLOGにも書いたのですが、昨年末、身近にいる大事な人が急逝しました。
いまだにはっきりとした理由はわかってませんし、本人の言葉を聞くこともできない以上、明確な答えを知ることのないままなのでしょうが・・
人間、いろんな可能性を考えて宙ぶらりんの状態を解消しようとするのか、良くも悪くも、いろんなことを考えてしまうようです。

・明るく見えてたけど、実は表出しない辛さがあったのかな。
・もしそうだとして、その辛い気持ちまで思ってあげることはできてなかったな。
・もしかしたら、完全にアクシデント的なものだったのかな。

時々、ふと浮かんできてはモヤモヤしてしまいます。

一方で、近くに目を向けると、仕事で苦しんでいる後輩がたくさんいる。
「ここまでやったら報告してね。疑問点出てきたらすぐ共有しようね。」といった言葉をかけても、結局は抱え込んしまうようなタイプがいることも、経験的にわかってきました。
もしかすると、この辺の感覚はわかる人にはわかるし、わからない人は全然わからないのかも。
そんな背景もあり、ある1冊の本を手に取ってみました。

内容はタイトルの通り。
著者がこれまでの臨床の経験をとうして設定したヨウスケさん、ワカバさんという2人を認知行動療法、マインドフルネス、スキーマ療法を通して治療するという内容。

病的に症状が出てきてしまっている人の皆らず、日々、何かしら生きづらさを感じている人が少し楽に生きられるようになるヒントが溢れた一冊でした。

認知行動療法の考え方は、
ストレッサー(環境) → 認知、行動、身体反応、気分・感情
を一連の流れとして捉え、ストレスに対する反応のうち、変えられる「認知」と「行動」を改善していきましょう、というもの。

例えば、
包丁を突きつけられて(ストレッサー)怖いと感じ(認知)、このままではヤバイ(気分・感情)と思い、全身から冷や汗が出て(身体反応)、隙を見て逃げ出す
(行動)というプロセス(物騒ですが・・)あった場合、自分が介入して変更できうるのは認知と行動だけなわけで、そこに介入していきましょう、というもの。

まず第一にやるべきは、上のプロセスをセルフモニタリングによりちゃんと分類して捉えることです。なんかイライラする、なんか落ち込むという解像度の荒い感情ではなく、きちんと各ステップを意識する、ことからスタートなわけです。
個人の体験としても、それができている人はメンタルが安定している人が多い気がします。(以前もBLOGに書いた、怒られた上司に対し「あの人も大変なんだ」とのたまった先輩など)
このセルフモニタリング能力はマインドフルネスでいうところの、自分の思考を客観視するのと通じるものがありますね。考えが浮かんできたら、批判するでもなく、ただ浮かんできた、と認識する。
その上で、スキーマ療法はその考えが浮かぶ「原因」までを過去に遡って特定し、矯正していく方法です。文字で書くと簡単そうですが、過去の自分を嘘偽りなく振り返りながら言語化し、原因を突き止めていくプロセスはかなりの労力を要しそうです・・・

面白いな、と思ったのがこれらの手法が自分にも使えることと、症状が軽度である場合にも有効である、ということ。
本書で登場するワカバさんなんか、自分の職場にも似たような人がいて思わず唸ってしまいました。

・隙がなく、言われたことを完璧にこなしてくれる頼り甲斐がある
・こちらからのお願いにNOと言わない
・申し訳ない気持ち・責任感がものすごく強く、「すみません」を連呼してたり、休暇を取るのも申し訳ないと言って躊躇ったりする

こんな人、いませんか。
病気ではないですし、近くにいてくれるとありがたい存在ではあるのですが・・・・もしかしたら、ご本人は大変な思いをしてしまってるのかもしれません。

本書の中では、上記の手法により、ワカバさん本人の家庭環境(父が不在がちで、母親の愚痴を聞きながら、母親にだけは迷惑をかけまいと生きてきた長女)により、今持っている「スキーマ」が醸成され、それにより生きづらくなっている現状が明らかになります。
多かれ少なかれ、自分と他人との考え方、受け取り方の違いにより生きづらさを感じている部分、皆持っているのでは。
そういう時に紐解くと、少し生きづらさを解消するヒントが詰まってるかも、です。

また、誰にでもオラついてしまうヨウスケさん。自己愛性パーソナリティー障害の気があると紹介されています。

こちらも立派な病名がついていますが、現在の学歴社会・偏差値変調気味の空気の中でコントラストはあれど、思い当たる部分がある人もいるのでは?


お恥ずかしながら、正直何項目かは当てはまるような気がします。
自分の父親は、家庭環境もあって高校卒業してすぐに働きに出て、自分も含めて複数の子供(兄弟)を育て上げてくれました。立派な人で、今の自分から見ても、かなわないなという部分がたくさんあります。
父親は自分が学歴を持たずに苦労した経験から、自分達兄弟には「勉強をしろ」とは言いませんでしたが、一生懸命努力して、良い大学に行くよう勧めていました。テストで良い点数を取ればお小遣いがもらえ、教育に関する投資は惜しまない、そんな家庭でした。
幸い自分は大学院まで行かせてもらい、無事に就職できたのですが、無言の圧力というか、東大・京大など、高い偏差値の学校を出た人やTOEICでも良いスコアを持っている人を、なんとなく無条件で「すげーな」と思ってしまう部分があります。
また、立派であらねば、真面目であらねばという気質も人よりも強い部分があり、ダラダラ過ごすことを嫌い、いつも何かをやっていたい、自分を高める活動に時間を使いたいという思いもある。
もしかしたら、こういう考えの背景には(人のせい、という意味ではなく)自分の育ってきた環境という要因もあるし、あまりその考えに縛られ過ぎてしまうと息苦しくなってしまう部分もあるんだな、と思いました。

自分が心理学なりこういった分野に興味があるのは、もしかしたら自分の漠然とした生きづらさからきてるのかも。(と言っても、特に今の生活にストレスや不満があるわけでもなく、なんですけどね。)
他者理解の意味でも学びの多い一冊でした。

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