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子育ては闘いなのか、癒しなのか ~卵との闘いについて~【子育てエッセイ】


ほっぺたの血と卵の関係

子育ては闘いである…。
そう感じる人は多くいるかもしれない。

私もその一人だった。
いつ終えるかしれない「闘い」感をつよくしたのは、赤ちゃんの柔らかなほっぺたがプツプツと湿疹で埋めつくされ、ただれて血を出しているのを見たときであろうか。

もちろん、小児科に駆け込んだ。
生後4ヵ月の頃だった。

診断結果は、
卵アレルギーですね」とのことだった。
 ── へ?
    でも、まだこの子、おっぱいしか飲んでいないので、
    卵なんて一度も食べたことないんですが。

「お母さん、卵食べてないですか?」
 お医者さんの問いに、
 ── え、私ですか? 
             私は、食べてますけど…。

それと、この子の出血となんの関係が???
勘の悪い新米ママの頭のなかは、疑問符ばかりだった。
しかし。

卵断ち


 お医者さんは、かみくだいて説明してくれた。 
「お母さんが卵を食べると、母乳を通じて、赤ちゃんの体に卵が入っているんですよね」
 ──  え…。
   母乳、おっぱいから…ですか?
やわらかい頬から赤く血がにじんで、痛々しい子どもの顔を、私はまじまじと見つめた。

「そうです。お母さんは卵を食べないでください

お医者さんの宣告は、
「懲役2年、と処する」
とでも言い渡されたようなもんだった。
これまで、アレルギーとはまったく無縁だった私が、アレルギー食材の除去を命じられるなんて。

母は大好きな卵だが…

それから、卵断ちが始まった。
私が卵を食べるのを止めると、
不思議と赤ちゃんの顔からの出血はぴたっと止まった。
再びきれいなつるんとした "ゆで卵のような” やわ肌が戻った。
皮肉なものだ。

けれども、子育てにおける卵との闘いは
まだ火蓋を切ったばかりだったのだ。

薬屋のおじいさん

薬屋のおじいさん、と書いて
今でも、なんともやり切れない気持ちになる。

長男を抱っこひもで抱っこして、
家の近くの薬屋に行った。

頬の出血は、おさまっていたが、
ちょっとしたことで、すぐカサカサになる
とてもデリケートな皮膚の赤ちゃんだった。

薬屋で買いたかったものは、
赤ちゃん用のクリームか何かだったと思う。
ごくふつうの。

ただ、買い求めるにあたって、
おじいさん、と言っていいと思う
かなり年配に見える男性の薬剤師から
「どういう状況なのか」を尋ねられた。

私は
「この子、卵アレルギーで、卵の成分が入った物は
避けないとならないんです」と、赤ちゃんのやわら
かなほっぺを見せながら、説明した。

すると、おじいさんは突然
そんなアレルギーになるのは、母親が悪い!
と、私にその責めをぶつけてきた。

あまりの事に驚いたのと、ショックを受けたのとで
言葉を返せないでいる私に、
「子どものアレルギーなんていうのは、
 母親の食べるものとか生活が、悪いからだ!

と、私に憎しみのこもった眼差しをぶつけてきた。

どうして、ちゃんと事実を説明できなかったんだろう。

私は、アレルギーになったことはないんです。
この子の父親が、アレルギー体質で、
子どもの頃は卵アレルギーだったんです、って。

悔しくて、悲しくて、みじめだった。

子どもの体質は、全部、母親のせい?

その薬屋には、二度と行かなかった。

1、2年後、通りかかると薬屋はなくなっていた。

心にずっと刺さっていたトゲのようなものが、
やっと取れて、その道を早足で歩かずに済むようになった。

給食の試練


5年後、小学校に上がるとき、また試練はやってきた。

保育園では、卵アレルギーの長男には、
代替食の対応をしてくれていた。
つまり、おかずに卵が入るメニューのときには、
卵を除去して、代わりになる食べ物を、何か加えてくれていた。
ありがたかった。

けれども、小学校の給食ではそうはいかなかった。
入学前に事情を話し、相談した結果、こういうことになった。

毎月、
栄養士さんから1ヵ月分の給食メニューと、材料表を受け取り
卵の成分が入る料理をチェックする。
卵をふくむ料理は、長男の食事には付けないでいただく

小学校では、卵の除去のみしていただけることになったのだ。

除去をしていただけることは、
それだけでも十分ありがたいことだった。

ただ、当然、その分の栄養は不足することになる

卵をつかう料理というのは、けっこう多いもので、
ハンバーグやとんかつ、フライ、天ぷら、もちろんオムレツなど
卵がメインとなるメニューもあった。

そこで、卵が入っているメニューの日には、
その料理に ”似せた料理” を、卵抜きで作って、子どもに持たせた。

とんかつの日には、卵の代わりに、
小麦粉を水で溶いた衣に肉をくぐらせ、
油で揚げた


ハンバーグの日には、片栗粉をつなぎにして挽肉をこねた。
だから、我が家のハンバーグはいつも、
なんとなくねっとりしていて、とろりん、ぷりんとしていた

天ぷらうどんの日には、
給食と同じ天ぷらの具材を前日に買ってきて、
小麦粉にお砂糖を少しと氷水を混ぜた衣に、
具材をくぐらせて、油で揚げた

卵とじうどんの日には…。
少し頭をかかえた。

いっそ給食のメニューから離れて、
まったく違うものを持たせてもいいのでは、と思った。

が、悩んだあげく、結局

小さく切った鶏肉や野菜を入れたうどんつゆを作り
魔法瓶の水筒に入れて、ランドセルの中に立たせて持たせた

おかげで長男のランドセルの中は、
うどんつゆがこぼれて汚くなった。

なぜ、こんなことまでして給食メニューに "似せた” かというと、

その数年前に、そばアレルギーのお子さんが、
給食でいつもそばを除去していたのに、あるとき、
みんながおそばを食べているのを見て食べたくなって、
食べてしまい、
アナフィラキシーショックで命を落とした、という
痛ましい事故のニュースが頭をよぎったからだった。

たった一度のことであっても、
子どもの命を失うようなことがあったら、
親御さんや周囲の人々の後悔は、
いくら悔やんでも悔やみきれないことだったろう。

母と子の、小学校6年間

結局、長男が小学校に通っていた6年間は、
給食メニューと材料表とにらめっこして、
卵の入る料理に蛍光ペンで印をつけ、
似せた材料で ”似せた料理を作る” という生活を続けた
のだった。

そのため、卵料理のない日の朝はすごく楽に感じた。
下の子を保育園に連れて行く忙しい日々だったけれど。

長男は、いくらかは母の状況が分かっていたのだろうか。

小学校で母の日に、「お母さんへの手紙」を書いてきて渡されたものは、赤い色紙をセロテープで不器用にはりつけた封筒に、入っていた。
開くと
画用紙で作られたお茶碗にてんこ盛りのご飯が
立体的に立ち上がる、手作りメッセージカードだった


白い画用紙のご飯には、鉛筆書きの下手くそな字で
「母の愛 いつもありがとうございます。ご飯です」
と書いてあった。

強制的に母の日メッセージを書かされたのだろうと、分かってはいるけれど、やっぱり嬉しかった。

10年以上経った今でも捨てられない 母の日カード

子育て、闘ったなあ。

でも、てんこ盛りのご飯の工作と
下手くそな鉛筆書きのメッセージが、
子育てを大事な宝物に変える「癒し」なんだろね




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