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僕らの幸せ。

バンコクに着いたのは深夜だった。飛行機を降りると温暖なモワッとした空気に包まれ、僕は疲れと眠気に襲われながら入国審査の長蛇の列に並んでいた。年越しをどこか海外で過ごし写真の旅に出ようと気候や滞在費の安さでタイを選んだ。入国審査では何事もなく通過し、空港からタクシーで向かってホテルに着いたのは深夜2時。チェックイン後はそのまま何もせずベッドに倒れ込んだ。

次の日の朝、写真を撮りにホテルを出ると昨日の深夜の静けさとはガラッと変わり、車やバイク、通勤の人々が行き交う光景に様変わりしていた。その喧騒から離れた路地裏で写真を撮っていると僕の目の前を子供たちが元気よく走り抜けていく。子供たちに導かれるようについていくと彼らは工事現場の中に入っていった。

工事現場の入り口には荒々しいタトゥーの入った上半身裸の男が立っており、その脇を子どもたちが駆け抜けていった。男は僕と目が合うとその見た目とは裏腹にとても優しい笑顔で笑いかけてきた。僕が英語で話しかけると彼はタイ語で返してきたが、何を言っているのかさっぱりわからない。ただ、なんとなく彼の優しい笑顔と子どもたちに惹かれ、ジェスチャーで「中に入って写真撮っていい?」と聞くと彼はまた優しい笑顔で僕を工事現場の中に招いてくれた。

奥に入るとトタンで囲まれた小屋の前に10人ほどの人々が朝ごはんを食べていた。自分が想像していなかったその光景に少し驚きつつも、いつもと変わらない日常の朝に見ず知らずの外国人がいきなり入ってきたにも関わらず、彼らは僕を温かく迎え入れてくれた。彼らにまた英語で話しかけるも誰1人として英語が通じない。僕は警戒心を持たれないよう笑顔で身振り手振りし、写真を撮りにきたことを伝えた。

様子を伺っているとどうやら彼らはこの工事現場で働きながら住んでいるらしい。彼らはタイ人ではなく隣国のカンボジアから来ていて、ここには3つの家族が一緒に暮らしているそうだ。日本に住んでいる僕からしたら家?とは言えないトタンで囲まれた小屋。隙間風や土埃もお構いなく入ってくる中は綺麗とは言えないが、TVや冷蔵庫、洗濯機など暮らすには問題ない家電製品も備わっている。

ここで建築している建物は立派な一軒家で3階建ての9LDKくらいあり、その中にもテントで生活している人もいた。2階に上がるとまた別の人たちが働いていて、入り口で会った男は僕を建物の中に案内しがてら、こいつは怪しい奴じゃなく写真を撮りにきた日本人だ。のようなことを彼らに言っているのだろうか。彼らもまた優しい笑顔で迎え入れてくれた。日本や欧米の先進国の工事現場にいきなり入ればすぐに追い出されるか、最悪不法侵入で警察を呼ばれるだろう。東南アジア諸国や田舎特有のこの緩さがいい。

一階に戻ると彼らは僕にご飯と飲み物を用意してくれていた。見ず知らずの外国人がカメラ片手にある日突然自分たちのスペースに入ってきて片っ端から写真を撮っているのにご飯と飲み物まで出してくれる。なんて優しい人たちだろう。彼らが特別でたまたま出会った人たちが良かったのか、タイ初日から素敵な人々に出会え、気が付いたら僕は言葉も通じない彼らと3時間も一緒にいた。

僕を暖かく迎え入れてくれた彼らの気持ちに対して何かの形でお礼ができないかと思い、たまたま目の前を通りかかった物売りトラックから子供たちに何かプレゼントすることにした。トラックには日用品や衣類など様々なものが揃っていて子供たちは大喜びでトラックに駆け寄っていった。子供たちにと言ったけど、1人の母親がキラキラした目をしながらシャンプーを持ってきてこれもいいかと聞くので快くそれも購入した。シャンプー一つであれだけ嬉しそうにする姿は僕の心に触れ、中学生くらいの女の子2人はショルダーバッグを肩からかけ、満面の笑みを浮かべて本当に嬉しそうにしている。小さな子供はドラえもんの描かれた枕をその小さい体で力いっぱい抱きしめ、幸せそうな顔を枕にうずめていた。それら全てでも日本円にして2000円程度だったと思う。もちろん値段ではないが、彼らがこんなにも喜ぶ姿を見て僕は彼らから大切なものを教えられた気がした。

彼らは決して裕福とは言えず、日本の感覚からすると考えられないような小屋に住んでいる。でも彼らの表情や子供たちの真っ直ぐな澄んだ目を見ると幸せとはなんなのかということを考えさせられる。もちろん彼らも今の生活に満足していないかもしれないが、人によって幸せをはかる物差しは違うだろう。どこに住んでいたとしてもどう幸せを感じるかは自分次第でもあり、毎日の生活の中で何を見出し、何に幸せを感じるか。それはお金や住んでいる場所ではなく、常にひとりひとりの自分の中にあるのではないだろうか。

ある人にとってはわざわざタイに行ってまでそんなつまらない時間を過ごしてもったいないと思うかもしれない。タイのフォトジェニック的な場所に行けばもっと良い写真が撮れるじゃないかと思う人もいるかもしれない。人それぞれの価値観や幸せに対する考え方は違うだろう。でも僕は人との出会いや人と育む時間こそが人生において本当の幸せだと思っていて、これらの写真はどんなフォトジェニック的な写真よりも美しく、自分自身が大切にしたいと思える写真だ。

彼らの家を後にした僕が見えなくなるまでずっと手を振り続け、バーイと大きな声で何度も叫ぶ子どもたちの声は単に旅をしただけでは聴こえない声であり、タイに10日間滞在した中で初日に起きたこの出来事が僕の1番の思い出となった。彼らと出会い、短い時間の中で一緒に過ごし笑い合った時間はタイで見出した僕の幸せだ。



石橋純

東京を拠点に様々な国や地域の自然に触れながら登山活動をする写真家。 山岳写真をはじめ東京・南青山にあるジャズクラブ BLUE NOTE TOKYO では国内外のトップアーティストを撮影し、ファッション雑誌やアルバムジャケットの撮影やコラム執筆など幅広い仕事を行っている。
またユネスコの無形文化遺産であるブラジルの伝統芸能「カポエイラ」を25年間学び、LAを本部に置くCapoeira Batuque カポエイラバトゥーキではContra Mestre(副師範) の位を持つ。20年近く子供から大人までを教えながらTVやCM、アーティストのMVや広告などでカポエイラの監修や指導をしながら自身もパフォーマー兼モデルとして活動する。2022年に写真集「Life is Fleeting」を刊行。

Jun Ishibashi is a Tokyo-based photographer. He travels around the globe, engaging in mountaineering and other nature-related activities. His wide range of work includes writing columns and photographing mountains, fashion, album covers, and top artists worldwide̶including ones in Japan’s BLUE NOTE TOKYO, a famous jazz club in Tokyo. He also studied Capoeira for 24 years, a traditional Brazilian art form that is listed in UNESCO’s Intangible Cultural Heritage. As a certified Contra Mestre in the LA- based group Capoeira Batuque, he has been teaching people of all ages for over 15 years. Furthermore, he is a performer and model, supervising and teaching Capoeira on TV, such as in commercials, music videos, and advertisements for artists.

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