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映画『ミッドナイトスワン』鑑賞

昨日、仲間を誘って映画鑑賞へ。

観たのは草彅剛主演の「ミッドナイトスワン」

前からチェックしていて、公開前にYou Tubeにあった15分の予告を観てなおさら映画館へ行きたくなり、いざ実行!
映画館も休日は食べることこそ出来ないけれど座席100%で行っていました。

で、映画を観てわたくし、久しぶりに涙が流れましたのよww
いやいや、何年ぶりだろうか、映画で泣くのは 汗

トランスジェンダーの女性として生きる渚のもとに、親の育児放棄の末預けられる事となった一果の物語。
「強く生きないといけんのじゃ」と一果を抱きしめる凪沙
バレエの才能があるものの、大人たちに翻弄され己を表現できない一果
そんな二人の【選択】の物語

いやぁ、ストーリが取り分け良かった訳ではないのですが、ピアノと映像の使い方と、バレエのシーンがとても良かった。
ピアノの一音一音の響きとそれに合わせた映像美が俺の胸に刺さる刺さる。
ピアノの音とセリフの無い映像の中に、沢山の感情がおり混ざっているのだと感じ、それが何かを想像する時間が愛おしい程だった。

バレエに造詣なんて持ち合わせていないけれど、彼女(服部樹咲)の身体の動き、指先足先の動きが物語の補完するがの如く繊細で圧巻だったように感じる。

それぞれの【選択】に深く【生死】が絡み合うストーリが遣瀬もないけど、惹き込まれるものもある。最後の一果のセリフにこの物語の全てが詰め込まれているように感じた。

けれど、一つだけ違和感を感じた事があって、それはエンドロールの中で【トランスジェンダー指導】と言う役割の方が居たそうで・・・
別にそれをした人の方を非難するのではなく、
単純に【トランスジェンダー】を演じるにあたり、それは【指導】が必要なことなのか?ということ。

普段、こういった事に関しては口を出さないようにしているのですが、流石にこういう映画なので素直に感じた事を書こうかと。

いやね?誰に対しての指導なのかと、どんな指導かにもよるんだとは思うんですけれど、【トランスジェンダー】っていう方々も一様ではないはずで、個性の広がりが良さでもあるのに、それを【指導】するってことは、誰ぞやの【トランスジェンダー】に対する価値観を演技の中に押し付けることにはならんのか?と思っただけですw

実際の所そういう意味合いではなかったのだとしたら【トランスジェンダー指導】と言う表現はどうなのかなぁ?と違和感を感じただけです 汗

まぁそうなるとどう表現するのか良いのか、難しいんですけどね 汗
俺もそういった意味では勉強が足りないなぁとは感じました。
(こんな事いうなら、代替案を示せ!って話なのでww)

で、そんな硬い話は置いといてww

観終わってからの仲間の分かち合い。
映画の最中でトイレに行った仲間がいたんだけど、よりにもよって重要なシーンの所で2回も行っちゃうもんだから、本人曰くあんまりだったそうで、他の仲間とみんなで「そりゃそうだ」と総ツッコミww

でも、こういう事もあって、後でこうして笑い合う事ができるって言うのも映画鑑賞のいい所なんだな、とホッコリと終わる事のできたフェローシップでした!!

ミッドナイトスワン

ストーリーに関しては、多分色んな感想があるんだろうと思うし、それ故に嫌煙される人もいて致し方なし、なのかな?とは思う。
けれど、一果のバレエの過程とシンプルかつ力強いピアノと映像美を劇場でこそ観て欲しい作品だな、と思いました。

【狼蓮】

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