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今日一日を新たに生きていく2-4

9月に入っても気候はすぐに変わることもなく、気のせい程度に朝や夜は涼しく感じることもある。早く秋が来ないかと気が急いてばかりいると、今目の前にある素敵だろう色々を見落としてしまう。そんな事の無いように日々を生きている。

<前回のあらすじ>
誰の需要も興味も得られないであろう俺のお粗末・軽薄な初体験の話。そして身勝手な幻想を抱いた現実逃避という名の【家出】の話。そのどちらも当時はまだまだ未発達だった掲示板、SNSを用いた安易で危険な出会い。その反省の気持ちが自然と今の若者へ向かった雑記。

不純な志望校選び

一日未満の家出を終えた後、何食わぬ顔を装って学校生活に戻り、今度こそ高校入試へ向けての日々が続く。
高校進学にあたり、自分の希望としてあったのが【普通科】以外への進学であった。

その理由は至ってシンプル。
『同じ中学の人間と一緒の学校に進学したくないから』である。
本当にひどい理由だと思う。
なんでだったのだろう。今思うと不思議なのだが、当時はもちろんそんな理由は誰にも言えないが、胸の内で確固たる想いを持って進学する高校を探していた。

高校受験では、今でもそうなのだろうが公立校を選択する場合、決められた校区内の学校を選択する事になり、そうすると高確率で同じ中学の人間と受験に挑む事となる。公立校の【普通科】は分割された学区の中で選択をするので、当時は学校の数も限定される。

【普通科】以外の学科の場合だと、学区外の高校も選択肢に入ることを知った俺は、その時点で【普通科】を受験する選択肢を除外した。
そんな学校選び、アリなのかよwと思う。進学した高校への後悔なんて全くないし、むしろ良い選択だったと今でも変わらず思うが、選択の仕方は本当にいただけないな、と反省する。

なぜ、そんなに同じ中学の生徒と一緒に進学することを拒否していたのか?

理由の1つとして思い当たるのは、当時ゲイであることを自覚したばかりの俺はそれを周囲の人には知られたくなかったのだと思う。同じ学校に進学したとしたら、それを知られ周囲にバラまかれることが怖かったのだろう。

初めての場所で、多少なりにも過去を知る人間が居て、そのことで何かが伝わる事が怖かった。何が?と言われると困るのだが、漠然とした恐怖感に囚われていた様に記憶している。

そしてもう一つは、卒業する中学そのものに全くといっていいほど【思い入れ】が無かったからだ。
それはある種の【反抗期】故だと認識する。あの環境に置かれた俺の家族や学校やなんだったら社会に対する、精一杯の抵抗だった。
どういった抵抗なのだろうか?

『俺はどこか遠い所へ行ってやる』
こんな所だろうか?笑ってしまう。悪あがきの様な選択だった。
思い入れを持たない所から離れたい、そんな静かな抵抗だったのだろう。

複雑な合格発表

もちろん受験とは競争事になる。同じ学校の生徒同士でのそれを避けたい気持ちがあったのかもしれない。蹴落としたくなければ、蹴落とされたくもない。とにかく昔から【嫌な気持ち】になる事が嫌だったのだ。

ところが現実はそう甘くなかった。
ここなら他に誰も受験しないだろうと、住んでいた家から結構に離れた場所にある学校を選択した。
どうやら、新しい学科を設立するようで、【普通科】とは全く異なる授業選択方式ということもあり興味がきちんとそそられた。
その学校になんと俺ともう一人女子生徒が受験をすることとなったのである。

複数人の椅子取りゲームよりも結果、遥に【嫌な気持ち】になるという訳だ。
新規に学科を設立したこともあり、倍率も2倍を超えていた。
この事実だけでも内心で【失敗した】と思った。ただでさえ勉強ができない人間がそんな競争率を戦える訳がない。

その学校の偏差値そのものは実は全くもって高くなく、下から数える方が早い位だったのだが、そんな事実を打ち消す程の倍率の中、同じ学校から自分ともう一人。色んな意味で不安だった。

二人とも受験に失敗するのも嫌だったし
二人して合格し、将来どうかかわるか分からないが、一緒に生活することになる事も嫌だった。
まして、どちらか一方だけが合格し、もう一方が不合格になった時、双方どんなに嫌な思いをするのだろうか……

受験から合格発表まで、色んな意味で生きた心地がしなかった。
で、結果というと……俺だけが合格してしまった。
どんな結果でも嫌な思いはすると思ってはいたが、このパターンも想像以上に苦い想いをすることとなった。

隣で、一緒に掲示板の番号を確認する。自分の番号は【203】。こんな気持ちになったからだろうか?今でも受験番号を覚えていることに驚く。
自分の番号を確認し終えてホッと胸を撫で下ろすのも束の間、隣にいる彼女を見ると顔を地面に向けている。たったそれだけの姿で【不合格】だったことが伺えた。

その時俺は、彼女になんと声をかけたのだろう。それ以外の事ははっきりと覚えているのに、それだけが思い出せない。
今もこうして頑張って思い出そうとしているのだが、その部分だけがまるで抜け落ちたページのように記憶が落丁を起こしている。

まさか、とは思うが何も声を掛けなかったことはないだろう。
しかし思い出せないのは致し方ないので、話を前に進める事にする。

合否を確認した後は、まず親と学校に連絡することになる。
親には事実をそのまま伝えるだけなので、特に気を揉まなかったのだが問題は学校である。
自分だけが合格した事実を伝えるのに気が滅入るのだ。おそらく彼女の方も自身の報告をするだろう。彼女がどのように伝えたのか定かではないが、俺としては自分だけが合格した事実を伝える事にえらく気が引けたものだった。

先生の言う『合格おめでとう』の言葉にどんなテンションで返事をしたものか、もちろん彼女のそばを離れてから電話をしたのだが、見られたくもないし、だからと言ってハキハキと返事を出来る神経も持ち合わせていない。
本当に苦痛の時間だった。その後も予定が詰まっていたため、逃げる様に電話を切り、気を取り直して校内へ手続きの為に向かったのである。

しかし、結局は自分の望み通りに同じ中学の生徒と一緒に高校に通うことなく、真っ新な状態から人間関係を構築できることに心から胸を撫で下ろしたのだった。

孤立の中学卒業

高校受験が無事に終了し、残すは卒業。
その卒業式も自分にとっては面倒事の1つで、何が嫌だっていうと、その【練習】。小学生の時にも思ったものだが、卒業式って練習するものなのかと煙たい気持ちを持っていた。

しかし、卒業のおよそ2週間前。丁度これからさぁ練習を始めようというタイミングで【帯状疱疹】所謂【ヘルペス】を患うのである。
この病気は主な原因が子供の頃い患ったであろう【水疱瘡】の名残が強いストレスにより色んな箇所に潰瘍としてできるというもの。

卒業式の練習が嫌なだけでそんな強いストレスがかかる訳ではないだろう。
前回の【家出】の話や、受験や、家庭内でのこと。本当に色々な事でストレスを抱えていたのだろう。その自覚はあったものの、そのどれもが別々の問題の様に捉えていた。だが、身体にいっぺん症状が現れるくらいストレスという問題は実は1つの大きな自分の問題だったのだ。

このヘルペス、様々な箇所に発症するそうなのだが、俺の場合よりにもよって【臀部】それも尻の半分の広さに出てしまったのだ。
もちろん痛くてどうしようもなかったのだが、何が一番辛いって俯せでしか居られないという事。歩くとこすれて痛いわ、当然仰向けては居られないわ。とにかく俯せで安静にしている他ないのだ。

そのおかげで卒業式の直前まで学校を休む事になり、式の練習をさぼれる事にはなったのだが、その代償があまりにも釣り合っていない。それでも確かに俺の心は思った以上に休まったように記憶している。

それほど思い入れのない中学校。約一年間嫌でも通わなければいけなかった学校。仲良くしてくれた友人は居たものの、心は常に引っ越す前の学友達。
卒業式当日、帯状疱疹とはおさらばし、そして中学校との別れ。

当時も今も何とも思っていなかったのだが、その式に俺の親は出席しなかった。義理の父親は仕事だったし、母親は体調が悪かったのではなかろうか?
『ごめん』とは言われた記憶はあるが、特にその言葉に感情もなく、『構わない』と言った。

本当にそれで構わないと思っていた。なぜならそのおかげで俺は卒業式が終わり、クラスメートで集まって集合写真を撮ろうという時に、何食わぬ顔で学校を後にする事ができたのだから。
賑やかにみんなが笑っている中からそっと抜け、校門から一度も振り返ることなく家に帰る。そんな自分に間違いなく俺は酔っていたのだろう。

そしてその日以来、その中学の同期と一度も会うことなく過ごしている。
今こうして振り返ると、彼らやその中学校に何も落ち度はない。それなのに自身の不寛容さが一方的なだけで恨みや怒りなど何もない。
ただ、恨みや怒りを持てるほどに興味や縁を感じる事ができなかったのだ。

寂しい奴だとは思う。しかし今さら何を想っても仕方がない。後悔するほどの想いが持てないことは良い事なのかもしれない。引きずられることなく、高校へ進学し悪い方へ向かいはするが、今をも含めて前に進めている。

今はそれでいいのだと思う。

つづく

長い長い15歳の話がようやく終わった。
文章の長さに辟易するが、お付き合いいただいている皆さんはどうだろうか?もっと短く区切った方がいいだろうか?
読みやすさを意識はしているつもりなのだが、どうも長さはどうしようもない領域な気がしてならない。

次回は、高校時代の話になるのか、また少しベクトルを変えた自分の話になるのか。少し考えて書き進めていこうと思う。

【狼蓮】

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