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自分だけの物語を紡いでいく


先日、noteでフォローさせていただいているユリシスさんの不登校でも大丈夫という投稿に触れ、さっそくこの本を購入して読んだ。

https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784005008810



読んでユリシスさんが衝撃を受けたと語られているとおり、普遍的なことが、簡潔に他人からの借り物ではない自分の言葉で、語られている。

不登校でも大丈夫|ユリシス (note.com)

タイトルの「不登校でも大丈夫」というメッセージは、本書の中でも語られているが、彼女が講演会などで一番、伝えたいことであり、彼女自身がまさに大丈夫と肌で感じたからこそ生まれてきた言葉。
だから、本当に大丈夫というエネルギーに包まれる。

 両親、同居されていた祖父母の存在が彼女を腫物に触れるような距離をもつことなく自然に明るく交流をもってくれたこと。
少し風変りな学校の先生が、彼女の学校に行きたくないという気持ちを尊重してくれたこと。
不登校に関する映画を新聞の記事にみつけてそのグループにメールしたことで、不登校の映画作りにも関わることができたこと。
たまたま生け花の先生が曜日を間違えたことで彼女が生け花の世界と出会ったこと。
いずれも出会うべくして出会い、そして彼女はその出会った体験を戸惑いながらも自分の感覚を信じて大切な学びとして素直に受け入れていった。

ユリシスさんも語られていたように、彼女は自分の太陽で、ただひたむきに自分の真実というものを信頼して歩んでこられた。だからこそ、月によってエネルギーを消耗することなく、他の水星、金星、火星のエネルギーも自然に湧き上がっていくことで、どんどんの素敵な出会いと体験を重ねてこられたのだと思う。

その積み重ねを通して育まれた言葉は、まさに太陽の普遍的なエネルギーによるものであり、その言葉は普遍的なメッセージとして他者に伝わっていくように思う。

本書の目次のあとに「種」という題の彼女の詩があるが、まさに先ほど述べたような流れとなったことが象徴されており、とても美しい調べで、普遍的なものを内包しているように感じた。


一つ一つの出来事が
一つ一つの葉っぱのように
重なりやがて土となり
ぽつりと落ちた種一つから
思いもかけぬきれいな花が
不思議な形づくって咲くよ

不登校でも大丈夫から引用


昨年のnoteで何度か投稿してきた次男も高校二年で不登校となり、どこにも所属しない状態で3年近く過ごした時期は、私たちも今はこういう時期なんだと頭では受入れようと努めてはいたが、その奥には次男の将来に対しての不安があったように思う。
彼女のように大丈夫という信頼をもって次男と向き合うことはできていなかった。

本当に彼女の詩でも思いがけぬきれいな花とあるように、常識を覆すような展開を次男を通して見せつけられた。今は、次男が電車の中吊りでたまたま見つけたアウトドアの専門学校に行くようになり、毎日が本当に充実しているようで、私はそれだけで十分という気持ちになる。

次男の昨年の精神状態の急変を通して病院の先生と接してきたが、次男の経過は常識では考えられない経過で治癒に向かい、病院の治療方針に従うか、彼自身そして見守ってきた私たちの感覚を信頼するかという局面にもなったが、私たちは後者を選択した。

まさに病院の世界においても、一人一人を見ているようで、見きれてはおらず、やはり私たちは自分の心身は自分で守り抜いていくという姿勢が問われるということをまざまざと教えられた。

本書でも「客観的な視点」の正しさよりも「個人的な真実」を信頼してきたという彼女のメッセージとも見事に重なる。

天体のホロスコープでは水瓶座に冥王星が入り、まさに一人一人が自分の感性を信じて生き抜いていくことに追い風が吹く時代となった。

彼女の本を一気に読み、離れ住む次男にすぐに、とてもいい本と出合ったので読むならば送るがと表紙のみをLINEをしたらすぐにうれしい、ありがとうと返事があった。

次男は11室太陽魚座であり、理屈ではなく感覚的タイプで、この本のタイトルと表紙から次男なりに感じるものがあったに違いない。

きしくも本書のサブタイトルは「自分だけの物語を紡いでいく」
心理学者の河合隼雄氏が大学の最終講義で語られた内容が、まさにひとりひとりが自分の人生を自分だけの物語として受け止めていくという内容であり、本書の普遍的な要素で占められていることを象徴している。

コンステレーション|junchan (note.com)



本を閉じ窓を閉じたる薔薇の雨





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