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繰り返されること


先日、ジェットコースターのような秋の休日を過ぎた後にも、またもや同じような出来事があった。
その日は、大阪の超結社の俳句のメンバーと奈良に吟行に行く予定であったが、うっかりとして乗り換える駅を乗り過ごしてしまい、現地で乗る予定のバスに間に合う急行に締まる直前に乗れて、またもや問題にはならなかったが、その乗り換え駅に行くまでは、何とも落ち着かない気分に包まれた。

ジェットコースターのような秋の休日|junchan (note.com)


この出来事も、要は私の不注意で乗り過ごしたということに尽きるのだが、
何故、同じことがこうも繰り返されるのか、改めて深く考えさせられてしまった。

2年前から続けている夢分析においても、私は列車を乗り換える夢をかなりの頻度でみている。その中で、乗り換えがうまくいかないで焦っている場面もあれば、そうでないときもある。

ドリームブックでは「駅」は人生行路の停留地点で、切り替え可能なところとある。
切り替え可能なところにはやはり変化、変革と象徴する天王星の関与があるのではと思う。

無意識の中でも変化を求めていること、また、そもそもの本来性を示すアセンダントが水瓶座であり、チャートルーラ―が天王星であることで、サスペンスなものを好み、結果としてサスペンスな出来事を導いているのではないかと受け止めた。こじつけな要素があるかもしれないが。

振り返ると乗り換えの際にうっかりでハラハラドキドキしたことは、還暦旅行で東南アジアにひとり旅に行った際でも乗り換えの空港内に間違った搭乗口に3時間もゆったりと過ごし、乗り換えの飛行機の離陸30分前に搭乗口が間違っていることに気がつき、慌てて10分近くも走って正反対のウイングに走って何とか乗り込んだということもあった。

また、以前の通勤電車でも本を読んでおり、乗り換え駅を乗り過ごしてしまったことは何度か経験している。いずれも大きな影響はなく終わっているが。

同じ体験が繰り返されることの理由として、そこに私自身が気づき、学ぶことがあるからとよく語られている。
ハラハラドキドキした局面の後、以前はその不安定な精神状態を引きづってしまい、そのような状況を招いた自分を責めてしまう自分があった。
最近は、そのようなことは以前よりはかなり軽減され、切り替えてその後の時間を楽しめている自分がある。

自分の至らなさを反省して意識していくことと過去を悔やみ、自分を責めることとは明らかに異なる。
過去に生きるのではく、イマを生きるためのレッスンとして受け取めたいと思う。




紅葉且つ散る足音に振り返る

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