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「狼は生きろ、豚は死ね」~角川映画と石原慎太郎~昭和ハードボイルドの残像

ブログ 「ダウンワード・パラダイス」様より引用しました。

狼は生きろ 豚は死ね ~戦後史の一断面

2015-10-24 | 政治/社会/経済/軍事

 「狼生きろ 豚は死ね」という警句は、わりと人口に膾炙しているようだ。ただ「狼は生きろ 豚は死ね」と思っている人が多いのではないか。一般にはこちらのかたちで流布している。グーグルで検索を掛けると、「狼は生きろ 豚はしね」などと、なぜか平仮名で出てきたりする。


(追記 2019.11. サンドウイッチマンの富澤たけしが、かつてこのタイトルでブログを書いていたことを最近になってようやく知った。それと共に、ぼくのこの記事に妙にアクセスが多い理由もわかった。みんなホントにお笑い好きだね。まあぼくもサンドは大好きだけど)


 ともあれ本来は、「狼生きろ 豚は死ね」が正しい。「オオカミイキロ・ブタハシネ」で、七五調なのである。古代の長歌、中世の和歌から江戸の俳諧、近代の短歌へと至る日本古来のリズム(韻律)に則っているわけだ。


 これが「狼は生きろ~(以下略)」に転化したのは、高木彬光の原作をもとに作られ、カドカワ映画が1979年に公開した『白昼の死角』の宣伝用テレビCMにおいて、渋い男性ナレーターの声で「狼は生きろ、豚は死ね。」とのキャッチコピーが繰りかえし流されたからである。ついでにいえば、主演は松田優作ではなく夏木勲だ。

 若い人はご存じあるまいが、気鋭の社長・角川春樹ひきいる当時のカドカワ映画の勢いたるや誠にすさまじいもので、その宣伝攻勢も、ちょっとした社会現象を形成しかねぬほどだった。ぼくなども、じっさいに劇場に足を運んで本編を観たことはないが(小学生だったんでね)、テレビで見かけた予告映像だけは今でもよく覚えている。『犬神家の一族』(1976年公開)の、湖面から二本の脚がニョッキリと突き立っているイメージなど、忘れようとしても忘れられるものではない(のちに同じ市川崑監督によってリメイクされた)。


 口に出せば分かるが、「おおかみはいきろ」と一息で言って読点(、)を挟むと、これが8文字で「字余り」になっていることは気にならず、わりとしぜんに「ぶたはしね」に続く。やはり助詞を省くと気持がわるいこともあり、むしろ「おおかみはいきろ、ぶたはしね」のほうが語呂がいい気さえする。


 こちらのほうが広まったのも当然かと思えるが、とはいえ本来はあくまで「狼生きろ」なのである。さっきから本来本来と何をしつこく言っているのかというと、ちゃんと元ネタがあるからだ。1960年、28歳の青年作家・石原慎太郎が劇団四季のために書きおろした戯曲のタイトルなのである。それをカドカワ映画(の宣伝部)が約20年後に引っ張ってきて、一部を手直ししたうえで使ったわけだ。


 しかも、字句が変わった以上に重要なのは、意味そのものが変わってしまったことである。時あたかも「60年安保」の真っただ中、弱冠28歳で、まだ政治家にはなっておらず、しかもしかも、にわかには信じにくいことだが「革新」のサイドに身を置いていたシンタロー青年は、「既存の体制の上にあぐらをかいた醜い権力者ども」を「豚」に、「それを打ち倒す真摯で精悍な若者たち」を「狼」になぞらえていたらしいのだ。


 らしい、とここでいきなり私も弱気になってしまったが、これは当の芝居を観たこともなく、新潮社から出たそのシナリオ版を読んだこともないからだ。つまり原テクストに当たっていない。原テクストにも当たらぬままにこんなエッセイを書いてしまうのは、研究者としてあるまじき態度ではあるが、しかしあの小保方さんに比べればはるかに罪は軽いと思われるのでこのまま続けることとする。そもそもよく考えてみると私はべつに研究者でもないし。


 原テクストに当たらぬまま、ネットで調べた資料を頼りにいうのだが、「狼生きろ豚は死ね」の「豚」はもともと「既存の体制の上にあぐらをかいた醜い権力者ども」で、「狼」は「それを打ち倒す真摯で精悍な若者たち」のことだった。大事なことなので二度言いました。


 それが今では「豚」は「弱者」で「狼」は「強者」、すなわち「弱肉強食」の意味で使われている。『白昼の死角』は、戦後の世相をさわがせた大がかりな詐欺事件(光クラブ事件)を題材に取った作品である。今ならばさしずめ、「振り込め詐欺」にやすやすとひっかかる「情弱」の民衆が「豚」で、「それをまんまと誑かす連中」が「狼」といった感じか。


 それはむしろ「狐」か「狸」ではないかという気もするが、いずれにせよ、本来の内容が転化して、「狼は生きろ、豚は死ね。」が「弱肉強食」を指すようになったのは、『白昼の死角』のみならず、当の石原慎太郎じしんの存在も大きい。


 戯曲のタイトルだとは知らずとも、この文章の出どころはシンタローだよってことだけは何となくみんな知っており、あのシンタローが言うのなら、そりゃ「社会的弱者はとっとと死ね。んで、強ぇ奴だけ生き延びろや」ってことだよなあと、誰しもが思ってしまうのである。


 それはつまり、かつて大江健三郎らと連帯をして「若い日本の会」などの活動をしていた石原慎太郎が、自ら政界に進出し、そこで現実の政治の汚泥にまみれることによってどう変節していったかの好例であるし(まあ、ああいう人格は根本のところでは何も変わっていないのだろうが)、さらにまた、戦後のニッポンそのものの変節をあらわす好例でもあろう(まあ、この国も根本のところでは……以下略)。


 さて。じつはこの稿、「旧ダウンワード・パラダイス」に発表したものがもとになっている。それを新たに書き直しているのだ。ここまでの記述と重複するところもあるが、より詳しく書いてあるので、以下、元の稿をそのままコピーしよう。

 「狼生きろ豚は死ね」というフレーズを、ぼくは長らく誤解していた。しかもその誤解は、かなり多くの人々に共通のものではないか……。この字面をパッと見たら、誰しもが「弱肉強食」という成句を連想する。ましてや政治家シンタローの「差別的」言動をさんざん見聞きしてきたわれわれならば……。もう少し知識のある人なら、「太った豚よりも痩せたソクラテスになれ。」なんて文句を思い浮かべて(じっさいのソクラテスは、まあ、太っていたと言われているが)、「豚」とはたんに「捕食動物」の意味ではなくて、「ただ漫然と日々を生きている人。俗物」の寓意と考えるかもしれない。その伝でいくと「狼」は、「明確な目的意識にのっとって、毅然たる態度で日々を送っている人」みたいなニュアンスになろうか。じつはニーチェも、『ツァラトゥストラ』の中で、これに近い使い方をしている。


 「狼生きろ豚は死ね」は、浅利慶太が主宰する劇団四季のために、若き日の石原氏が提供した戯曲のタイトルである。じつは氏はこれを梶原一騎原作の劇画から取ってきたのだという説もあって、そういうことがあってもおかしくないとは思うが、確認はできない。しかし先述のニーチェの事例を除けば、ほかにネタ元と思しきものが見当たらないのも確かだ。このとき石原氏はまだ28歳。「太陽の季節」で一世を風靡してから四年のちだが、まだまだ青年といっていい年齢だ。


 時はあたかも1960(昭和35)年。まさに安保闘争の年である。GHQ占領下での数々の怪事件を取り上げた松本清張の「日本の黒い霧」が文藝春秋に連載されていた年でもあった。戦後史において際立って重要な年度に違いない。5月19日に強行採決、6月10日にハガチー来日(デモ隊に包囲され、翌日には離日)、6月15日が「安保改定阻止第二次実力行使」で、国会をデモ隊が取り囲む。あの樺美智子さんはこの時に亡くなった。新安保条約は19日に自然承認されるも、その代償のように、岸内閣は7月15日に退陣を余儀なくされる。


 「狼生きろ豚は死ね」は、このような空気のなかで書かれ、上演されたわけだけど、それが「キャッツ」やら「オペラ座の怪人」などの商業演劇に専心している現今の劇団四季からは考えられない作品であったことは容易に想像がつく。しかしそもそも、なぜ石原青年が戯曲なんぞを書いたのか。ちなみにこのシナリオは、1963年に『狼生きろ豚は死ね・幻影の城』として新潮社から出ている。60年代から70年代初頭くらいまでは、小説家がけっこう戯曲を書いており、それがまた単行本として出版されていたのだ。出版物としての戯曲が商業ベースに乗っていたらしい(今に残っているのは、井上ひさしを別格として、三島由紀夫や安部公房など、一握りの人のものだけだが)。「文壇」と「演劇界」との垣根が今よりずっと低かったのだろう。しかしさらに調べていくと、石原のばあいは、たんに「浅利慶太と仲がいいから頼まれた。」という話ではなかった。


 石原慎太郎青年は、1958(昭和33)年に「若い日本の会」という組織を結成している。この会のメンバーが今から見ると瞠目すべき顔ぶれで、大江健三郎、開高健、江藤淳、寺山修司、谷川俊太郎、羽仁進、黛敏郎、永六輔、福田善之、山田正弘等々とのこと。福田・山田両氏のことはぼくはまったく存じ上げぬが、ほかの方々の名はもちろんよく知っている。いずれも各々のジャンルで一家をなした、錚々たる文化人である。しかし1958年の時点では、いずれも20代かせいぜいが30代で、新進気鋭というべき年齢だった(ここで列記した人名はウィキペディアからの引き写しなので、フルメンバーを網羅しているかどうかは定かでない)。そして、浅利慶太もまたその中の一人だったのだ。石原氏の「狼生きろ豚は死ね」と同じ時期に、寺山修司も「血は立ったまま眠っている」を書き下ろして劇団四季に提供している。ただしこの時点での寺山は、大江・開高・石原といった芥川賞作家たちに比べ、ほとんど無名の一詩人に近かったらしいが。


 顔ぶれの豪華さから考えて、この「若い日本の会」のことはもっと知られていてもいいように思うが、まとまった研究書も出てないし、ネットの上にも有益な情報が置かれていない。こんなところにも、ニッポンという国の「過去の遺産を次の世代に継承しない。」悪い癖が表れている……。ただ、関係各位がこの会のことをあまり熱心に語りたがらないのも確かなようで、それはまあ、改めて指摘するまでもなく、メンバーの中にこのあと明瞭に「保守」のサイドへと参入していった方々が少なくないからだ。江藤、黛両氏はもちろん、浅利氏にしてもそうだろう。むろん石原氏は言うまでもない。「黒歴史」という表現がふさわしいかどうか知らないが、「体制」側に与したほうも、そうでない側に残った(?)ほうも、双方にとってあまり触れたくない「若気の至り」だったのかも知れない。


 言うまでもなく、「若い日本の会」は「反体制」のサイドに属するものだ。それが現実の政治運動の中でどれほどの力を持っていたのかはよく分からないけれど、そもそもが「当時の自民党が改正しようとした警察官職務執行法に対する反対運動から生まれた組織」であり、「1960年の安保闘争で安保改正に反対を表明した」組織であったのは事実である。国会を解散せよとの声明も出していた。文中のこの「」内はウィキペディアからの引き写しだけど、「従来の労働組合運動とは違って、指導部もなく綱領もない」というのはいかにも(そりゃそうだろうな……)という感じで、これだけ個性の強い売れっ子たちが集まって、指導部もなにもないだろう。まあ、「綱領」くらいは作ってもよかったんじゃないかと思うが、きっとそれも纏まらなかったんだろう。


 それにしても、その「狼生きろ豚は死ね」ってのはどんな芝居だったのか? しかしなんとも困ったことに、「若い日本の会」以上に、ほとんど資料が出てこない。先述の『狼生きろ豚は死ね・幻影の城』はamazonで法外な値をつけているし、図書館で読むしかないのだが、さすがにぼくもこの件に関して、そこまで時間を費やすわけにいかない。困った困ったと言いつつネットを探して、やっと見つけたのが牧梶郎さんという方の「文学作品に見る石原慎太郎 絶対権力への憧れ――『殺人教室』」という論考。その冒頭にはこうある。「若い頃の作家石原慎太郎が、政治は茶番でありそれに携わる政治家は豚である、と考えていたことは『狼生きろ豚は死ね』に即して前回に書いた。」


 なんと! 「豚」とは「政治」という「茶番」に携わる「政治家」のことであった! まことにびっくりびっくりで、びっくりマークをあと二つくらい付けたい気分なのだが、これではそれこそジョージ・オーウェル『動物農場』の世界観ではないか。つまりこれは28歳の石原青年が披瀝した、諷刺小説ばりにマンガチックな世界観のあらわれだったということだ。とにもかくにも、「豚」というのが「弱者」ではなく「政治家」を意味していたとは、ぼくをも含め、世間の通念とは180°正反対の事実と言ってよいだろう。


 「政治は悪と考える純血主義が六〇年代には支配的だった……(後略)。いいかえれば六〇年代の学生運動は全然政治的運動ではなく、現実回避への集団的衝動であったということでしょう。」と関川夏央(1949年生)さんが自作の小説のなかで自分の分身とおぼしき男に語らせているが、「太陽の季節」を書いた青年作家石原慎太郎の1960年における感性(ちょっと思想とは言いがたい)は、ここでいう「純血主義」の見本みたいなものだったらしい。


 牧梶郎さんは「前回に書いた。」と記しておられるので、ぼくとしては当然、その「前回」の論考も探したのだが、あいにくネットの上にはなかった。ほかの論考も見当たらず、「文学作品に見る石原慎太郎」という連載エッセイの内で、どうやらたまたま「絶対権力への憧れ――『殺人教室』」の回だけがアップされているようだ。はなはだ残念ながら、ネット上ではこういうこともよく起こる。ともあれ、重要なのは「豚」とは「弱者」ではなく「政治」という「茶番」に携わる「政治家」のことであったということだ。これにはぼくもほんとに驚いたので、この場を借りて特大明記しておきたい。ところで、じゃあ「狼」のほうは何ぞやって話になるが、それはやっぱり、「権力の上にあぐらをかいてぬくぬくと肥え太る豚」どもを、その鋭い爪と牙とで打ち倒す「新世代の覚醒した若者」たちなんだろう。


 「安保闘争」の1960年から八年が過ぎた1968(昭和43)年、これもまた戦後史におけるもう一つのエポック・メイキングな年だが、36歳の石原慎太郎は7月の参議院選挙に全国区から立候補し、300万票余りを得て第一位で当選する。これが今日に至る政治家・石原慎太郎氏の軌跡の華々しい幕開けだったわけだが、この八年という歳月のあいだに、戦後ニッポン、および、石原慎太郎という「時代の寵児」の双方にどのような変化が起こったのかは、字数の都合で今回は触れることができない。


 しかしあくまで想像ながら、かなりの確信をもって言えることがひとつある。36歳の石原氏は、けっして「豚」となるべく国会議員に転進したのではなかろうということだ。そうではなくて、どこまでも氏は自らを「狼」と任じて政治家になったと思われる。つまり、「政治はすべて悪」と考える「純血主義」から、もう少しばかり大人になって、「政治の中には悪(豚)もあれば善(狼)も含まれている。」という認識に至った。そして自分は「狼」としてこの国の政治に関わっていく。心情としてはそういうことだったと思うのだ。もちろんまあ、現実にはもっともっとドロドロしたことが内にも外にも山ほどあって、そんな単純な話ではなかろうが、少なくとも心情としては、36歳の慎太郎青年はそう考えていたのであろう。


 そのように仮定してみると、1968年からかれこれ五十年近くに垂(なんな)んとする彼の政治活動の特異さの因って来たる所以がまざまざと見えてくるような気がしてくる。齢80歳を迎え、あれだけの権力を恣(ほしいまま)にするに至った現在も、あの人は自分を「豚」とは微塵も考えてはいない。いささか老いたりとはいえ、まぎれもない一匹の「狼」であると確信し続けているのであろう。だからこそあれほど矯激な言動を休むことなく取り続ける。もちろんこちらも、現実にはもっともっとドロドロしたことが内にも外にも山ほどあって、そんな単純な話ではないわけだけど、少なくともあの人の「心情」のレベルに即していえば、要するにそういうことであろうと思われる。


 以上。長くなったが、おおむねこれが、3年まえ(2012年)に書いた元の記事の大綱である。基礎になる情報をネットに置いて下さっていた牧梶郎さんには改めて感謝しなければなるまい。「狼生きろ 豚は死ね」について言いたいことは大体こんなところだが、ちょっとした後日談がある。当の記事についてコメントを頂いたので、ぼくはこう返事を書いた。



以上、全文引用としました。

セックス・ピストルズのジョニー・ロットンが、ベジタリアンについてのインタビューにこう答えています。

質問者

「あなたは豚肉を食べますか? 豚が気の毒だとか、かわいそうだとは思いませんか??」

ジョニー・ロットン

「豚は人間よりバカだから、仕方ないだろ。そういうもんだ」



最後まで、お読み下さり、ありがとうございました。よかったらスキ、フォローよろしくお願いします😉






 そういえば『狼と豚と人間』という邦画があったはずだ、と思って調べてみたら、1964年の東映映画でした。監督は深作欣二で、出演は三國連太郎、高倉健、北大路欣也。ここでは狼が健さん、豚が三國さんで、人間が欣也さん。それぞれ、一人で生きようとする者、人に飼われて生きる者、人間らしく生きたいと願う者、という図式だそうです。


 1979年の『白昼の死角』の宣伝用コピーは石原戯曲のパクリでしたが、角川映画はその前年に、フィリップ・マーロウの名セリフ「(男は)しっかりしていなかったら、生きていられない。優しくなれなかったら、生きている資格がない。」を、「男はタフでなければ生きていけない。優しくなければ生きていく資格がない。」と改ざんしたうえでパクッた前科があります。


 さらに、2002年の映画『KT』で、KCIAをサポートする富田(佐藤浩市)の「狼生きろ、豚は死ね」という言葉に対して、元特攻隊員で活動家くずれの新聞記者・神川(原田芳雄)が「豚生きろ、狼死ね」とやり返すくだりがあった、とYAHOO知恵袋に書いてありました。


 いずれにしても、権力者こそが「豚」なのだ、という「動物農場」的な発想がまったく見受けられないのは興味ぶかいところです。 投稿 eminus | 2012/11/16

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