見出し画像

史上最高の名君~後漢・光武帝劉秀とは 光武帝を理想とした歴代英雄たち


散々、中国史の文献を読みつくすと、ここまですごい皇帝はいないなと思う時があります。それが後漢王朝を設立した劉秀。

諡号しごうは『光武帝』 廟号は『世祖』と呼ばれています。

唐時代、宮廷画家の閻 立本作。「歴代帝王図鑑」より



いや、ひょっとすると世界史を見渡してもないなぁと。
何しろ、その存在と行いがケタはずれに秀でていて非現実的。
文武両道、戦場でも本を欠かさず読み、いざ戦闘となると真っ先に敵に斬り込み、圧倒的に勝つものスゴイ強さ。

ライトノベル「光武大帝伝」表紙より

精神面では、強さをくじき、弱気を助ける理念。降服した敵を許し、部下を大切にし、妻や子供に優しく。容姿もよく、衣服も正装で現れ、見る人に「神のようだ」と称えられて。天下を統一した後も、臣下や人民に対して気さくに接して、決して奢らず。質素倹約に努め、何より国家の安泰を心から願っていた皇帝でした。また、私たち日本人とオフィシャルで面会した初めての外国人でもありました。

※漢委奴国王印(かんのわのなのこくおういん、漢委奴國王印)は、日本で出土した純金製の金印)である。
光武帝自らが日本からの使者に授けた金印。
後漢書東夷伝に記録。

たくさんの名言も残しています。
代表的なものでは『柔よく剛を制す』『仕官するなら執金吾、妻を娶らば陰麗華』『疾風に勁草を知る』『隴を得て蜀を望む』など。
漢文で見てみると

劉秀の発言が故事成語となったものに、楽此不疲、得隴望蜀、有志竟成、疾風勁草、置之度外、差強人意、敝帚自珍、北道主人、厳陣以待、庸中佼佼、鉄中錚錚、旗鼓相當、披荊斬棘、日復一日、舉足輕重、落落難合、反側自安、憂國忘家、危在旦夕、千條萬端、心如金石、束身自脩、水火不避、瘦羊博士、人各有志、曠若發矇、浮語虛辭、力不從心、反風滅火、以時進取、指腹為婚、失之東隅收之桑榆などがあります。

近年、中国でドラマ化された~秀麗伝~より

さて、ここからは、光武帝について、詳しく描かれたサイトから、
引用させて頂きます。
今回は、彼を理想とした英雄たち。
有名どころが多いので、皆さんもよくご存じかと思われます。
知っておいて損はないかと思うので、ぜひご覧ください。


光武帝を理想とした英雄たち
 これほど驚異的な人物であれば、当然、高く評価する人たちがたくさんいる。
 まずは『三国志』の英雄たちである。

 この本を手に取った人には、同じ中国史モノとしてかなりの数の『三国志』マニアがいるはずだ。その『三国志』の英雄たちの心の中のヒーローこそ光武帝なのである。

 『三国志』の英雄たちはみな光武帝の真似をすれば天下を取れると考えていた。
 曹操が敵の文書を読まずに焼き捨てたのは光武帝の真似であるし、袁紹が河北から統一を目指したのも光武帝を真似たものである。袁紹は劉虞という皇族の容貌が光武帝に似ているという理由で皇帝に擁立しようとしたし、孫権は呂蒙に光武帝みたいに戦場でも本を読めといい、魯粛との関係を光武帝と鄧禹の関係と比較したりした。

 孫策はいつも光武帝とその家臣が若くして戦場で活躍したことに憧れていた。

そもそも漢の復興を考える諸葛孔明が次に戦場になるのが確実な南陽などに隠棲したのは、そこが光武帝の故郷だからである。

 さらに孔明と曹植は光武帝と家臣の論評を手紙でやりとりした。そこでは光武帝の二十八将などの家臣が有能かどうかが議題になったが、光武帝が凄いということについては疑問の余地もなく一致していた。曹植は光武帝こそが史書で予言される孔子の五百年後に現れる聖人であるとした。孔明は光武帝について、事前にすべてを予見して問題の起きる前に芽を摘んでしまうため何もしなかったように見える、次元の違う英雄としている。

 『三国志』は後漢末に始まる物語である。その時代の人々にとって人類史上最高の英雄とは後漢を建国した光武帝に他ならないのである。

 もちろんまだまだいる。

 一人はまず司馬光である。司馬光は北宋の宰相であるが、『資治通鑑』という歴史書を編纂したことで知られ、『史記』を編纂した司馬遷と並ぶ二大歴史家である。

 司馬光はその著書で後漢論を書いている。後漢はおよそ二百年で滅ぶのだが、その後半の百年は皇帝不在の無政府状態だった。ところがいつまでも滅びずに続いたのは光武帝の力だというのだ。二百年近く後の国家の盛衰まで左右したというのだから驚きである。光武帝があまりに凄かったためにその王朝を倒すのを誰もが嫌がったのである。そこで司馬光は、光武帝を伝説時代の聖王(堯、舜、禹)に匹敵する存在とした。

 二人目には岳飛を挙げよう。

 岳飛は南宋の名将であり、中国史上最高の名将と考えられている人物である。岳飛は、皇帝に親征して自ら北方の金と戦うように進言しているのだが、そのときに名前を挙げるのが光武帝なのである。戦場で戦う皇帝と言えば、真っ先に思い浮かぶのが光武帝というわけなのだ。

 三人目に中国を代表する名君、唐の太宗李世民を挙げよう。

 李世民はその用兵において光武帝と類似した戦法を用いて天下を統一した。皇帝に即位した後も兵士を直接指揮して調練していたが、それを諫められたとき、光武帝の故事「赤心を推して人の腹中に置く」を使って説明した。家臣を表彰するため、光武帝の二十八将を参考にした二十四人を選んで祭るようにした。忠臣の蕭禹を光武帝の忠臣王覇と比較し、一番の腹心である房玄齢を光武帝の腹心である鄧禹と比較していた。天下を与える雉のエピソードや、白衣の老人に導かれて挙兵したのも同じである。

 四人目に中国史上最高の名君と考えられている清の康煕帝を挙げよう。清の康煕帝は、建国直後の清を統治し、三藩の乱の鎮圧を経て、清を大きく発展させた皇帝である。康煕帝は勤勉で知識欲旺盛で、夜遅くまで学者と討論したり読書をしたが、家臣に体の心配されて諫められたとき、楽此不疲(楽しめば疲れないものだ)という光武帝の故事を挙げて、その執務態度を見習っていることを述べている。

 五人目に世界初の近世の王朝、宋を建国した太祖趙匡胤を挙げよう。
 趙匡胤は光武帝の陵墓に碑文を書いて称えるほど心酔しており、功臣の待遇について光武帝を模倣していた。趙匡胤は心を開いて本心を隠さない性格であり、光武帝の故事である「赤心を推して人の腹中に置く」を意識して実行していた。

 六人目にはより近い時代の人、中華人民共和国の建国者毛沢東を挙げよう。毛沢東は光武帝について、人を使う能力、学問の深さ、戦争の強さにおいて中国史上最高であると述べている。

 光武帝を高く評価するのは、机上の理論家ではなく実際に政治にたずさわった指導者である。その手で世界を動かそうとした英雄が歴史を学んだとき、光武帝の凄さを痛感するのだ。

 『三国志』のすべての英雄たちのスーパーヒーローであり、中国最高の歴史家が聖なる帝王と称え、中国史上No.1の名君と名将が手本とした人物、それが光武帝なのである。

以上、引用でした。


いかがでしたでしょうか。

余りに名君過ぎて欠点が見当たらないことから、かえって地味な存在になってしまった光武帝ですが、もし、気になるようでしたら、続きを記していこうかなと考えています。

彼のような、名君、リーダーが現れたのなら、国家はたいそうよくなることでしょう。

最後までお読み頂きありがとうございました😊これからも頑張りますので、良かったらスキやフォローをお願いします💖

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?