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柴田勝家の短編小説【甘い法廷】

ホワイトデーに柴田勝家先生から短編を頂いたので掲載します。SF小説を中心に活躍する柴田先生ですが、今回はまさかのミステリに挑戦!! モテない3人の高校生のところに、宛先不明のチョコレートが……自分こそがチョコを受け取るべきだとみつどもえの争いがはじまるのだけれど……? 予想の上をいく法廷ミステリ、開幕……!!


著者プロフィール

柴田勝家(しばた・かついえ)……2014年、『ニルヤの島』で第2回ハヤカワSFコンテスト大賞を受賞しデビュー。代表作に『ヒト夜の永い夢』『アメリカン・ブッダ』など。2018年、「雲南省スー族におけるVR技術の使用例」で第49回星雲賞日本短編部門受賞。


【甘い法廷】

 


 去る二月十四日、当校の男子生徒Aが管理する下駄箱において、包装紙で装飾されたチョコレートが発見された。
 このことに対し、Aは「何か手違いではないか、自分はチョコを受け取れるような人間ではない」といった旨の供述を行い、それを受けてAの友人であるBは「当日はAと下駄箱を交換し、自分の靴を入れていた。チョコを贈った人物は、下駄箱の位置とは関係なく、靴の所有者である自分へ渡すはずだったのではないか」と主張した。これに対し、AとBの共通の友人であるCは「当日にBが履いていた靴は特徴のあるもので、普段なら自分が履いていたデザインの靴である」と訴え、その特徴をもとに、本来はCへチョコを渡すはずのものに誤認が生じたと反論した。
 本審理はこれら三者の主張をつまびらかにし、かつ男子校である当校において、平時より女子との交流を持たないAらの中で、誰がチョコレートの所有権、および送り主に対する優先的交渉権(この行使時期は三月十四日のホワイトデーに設定される)を得るのかを明らかにするためのものである。
 また、下駄箱で発見された当該物は現時点でも未だに開封されておらず、これをチョコレートと断定することに、AとB、およびCも議論の余地ありと訴えた。しかし、発見日である二月十四日がバレンタインデーであることからも、これがチョコレートであることは社会通念上明らかであり、まして本審理は当該の内容物いかんに拘わらず、その所有者を確定させることを主目的とするものである。よって当法廷は、当該物の中身を暫定的にチョコレートと扱って支障のないものと判断する。

 放課後の教室で、一人の男子生徒が滔々と申立書を読み上げた。
「――とのことですが」
 そこで男子生徒は手元の書類を教卓へ置いた。窓から差し込む西日が、彼の眼鏡に反射する。
「当校は古くより、揉め事は腕力で解決、というのが基本でした。力こそが法。しかし、僕はそれを受け入れたくない。僕らは野蛮な男子校の生徒であってはいけない」
 教室に集まった男子たちの間で、静かな興奮が共有されていく。コの字形に並べられた机、その中央には証言台がある。また教室後方には傍聴席が用意され、そこに一般生徒たちが座っていた。
「ゆえに我が弁論部では、当校における暴力による解決を廃し、言葉と法によって事態を裁定することを決めました。それは十代前の弁論部部長から託された願いでもあります」
 今や、この高校に暴力だけの闘争は存在しない。喧嘩に明け暮れた不良たちは去り、真実と法を尊ぶ者たちが秩序を守っている。生徒間で紛争が起こるたび、弁論部が調停と仲裁のために法廷を開くことになる。
「よって今回も、弁論部の当代部長である僕、那賀谷(なかや)シンが審理を担当しましょう」
 那賀谷が眼鏡越しに、挑発するような視線を生徒たちに送った。それを受けて、傍聴席の一般生徒たちのボルテージもあがっていく。彼は去年の冬に先代から部長職を譲られて以降、二年生ながらも取り仕切った裁判の数は三十件を超える。その武勇伝は近隣校にまで知れ渡り、法による闘いで敵う者はいないと言われていた。
 当の那賀谷は、そうした評価を気にする風もなく、今も悠然と壁掛け時計を眺めていた。
「では、始めましょう」
 その宣言によって、傍聴席の間で静かな興奮が共有された。この高校において弁論部の主催する法廷は、以前までの喧嘩に変わる、青春のエネルギーを発露する新たな場となっていた。
「入廷お願いします」
 那賀谷の声を合図として、教室後方の扉が開かれる。今回の審理を訴えでた三人の男子が、揃って証言台のそばに向かう。取り仕切る那賀谷は、裁判長にして弁護士、そして検察官であった。
「まず人定質問に入ります。星野(ほしの)君、証言台の前へ」
 傍聴席からの冷たい視線を背に受けながら、星野が教室の中央に進み、教壇側に座る那賀谷と対面する形となった。緊張しているのか、普段から厳しい顔が一層険しいものになっている。
「星野ワタル、十一月四日生まれ、二年一組、柔道部所属。間違いありませんね?」
「ああ、その通り」
 深く息を吐き、星野が大きく肩をいからせる、威嚇しているように見えるが、彼自身が落ち着くために必要な儀式だった。
「続いて、丸山(まるやま)君と角田(かくた)君も同様に前へ出てください」
 その言葉に二人の男子が立ち上がる。華奢で甘いマスクの丸山と、細身で気だるげな雰囲気の角田。それが星野を左右から挟むと対照的なシルエットとなった。
「丸山マサオミ、八月十日生まれ、二年一組、生物部所属。角田リュウノスケ、一月二十六日生まれ、二年一組、美術部所属。二人とも、間違いありませんね?」
「はい、間違いありません」
「うーす、角田でーす」
 二人が自身の名前を確認したところで、那賀谷が自身の眼鏡のブリッジを直した。
「ご着席ください。ここで再度、申立書の内容を確認します」
 教室中の注目を浴びながらも、那賀谷は無駄のない動きで卓上の書類をめくっていく。
「先月、十四日。午後四時三十分ごろ、星野、丸山、角田の三名は揃って下校を試み、本校一階、西玄関へ到着。直後、星野君が管理する下駄箱にて不審な梱包物を発見。これをチョコと判断した上で、丸山君がチョコは自身に贈られたものと主張。また角田君も本来は自身に贈られたものとし、三者間で所有権を巡る争いに発展。弁論部はこれを仲裁し、審理の上、所有者を確定させるものとする」
 そこまで一息で読み上げ、那賀谷は座って並ぶ三人を見据えた。
「皆さんには黙秘権があります。本審理において終始の黙秘も可能です。また質問に対する陳述拒否ができます。ただし、発言した内容は有利、不利を問わず全てが証拠となります。わかりましたか?」
 言葉の最後、那賀谷は僅かながら語調を緩めた。それに三人が小さく笑みを返し、それぞれが頷く。
「それでは審理に移ります。まず重ねて状況を確認しますが、二月十四日、星野君の下駄箱にチョコが入っていた。間違いありませんね?」
 那賀谷が促すと星野が力強く頷いた。
「そうだ」
「当日の状況について、もう一度、それぞれの口から説明願います」
「あの日、帰ろうとして、下駄箱から靴を取り出したんだ。すると中にアレが入ってて――」
 星野が続けて話そうとしたところで、丸山が小さく手をあげる。それに対して那賀谷が手を差し出して発言を促す。
「そのチョコが落ちそうになったので、僕が受け止めたんです。最初は単なる荷物かと思って、でも上等な紙に包まれてたのと――」
 今度は角田が手をあげ、それを那賀谷が了承する。
「なんていうか、手紙、みたいのが下駄箱に一緒に入ってたんスよね。ただ、こっちは俺が取ろうとしたら、そのまま落ちちゃって」
 三人の発言を聞き届けた後、那賀谷が手元でスマートフォンを操作する。写真フォルダから選ばれた一枚はプロジェクターを通して、天井から下げられた白いスクリーンに投影された。
「これが、その手紙ですね」
 スクリーンには可愛らしいデザインの便箋と、そこに書き込まれた短いメッセージ。それと紙を持つ角田の手が映し出されている。
「そっス、ただ肝心の差出人の名前が消えてんスよ」
 角田の説明の通り、手紙の文字は後半から滲み、差出人が書かれていたであろう箇所は、文字が青黒くぼやけているだけだった。
「証言によれば、当日は大雪で、校庭にも雪が降り積もっており、下駄箱周辺の床は溶けた雪と泥で濡れていたそうですね。手紙が落下した時に、この箇所が濡れ、判別できないようになっていた、と考えられます」
「そっスねぇ。俺が手紙を拾った時もびしょ濡れで、少し乾いてから中を見たんスよ」
 ここで那賀谷がスマートフォンに指を添えて、手紙のメッセージがわかるほどに写真を拡大する。
「内容を読み上げます。『いつも頑張っている貴方を知っています。こんなものでしか気持ちを表現できませんが、どうか』と、ここから先は判読が難しい状態ですが、恐らくは『受け取ってください』と続くのでしょう」
 手紙の後半は文字が滲んでおり、その後にもメッセージが続いているようだが内容は依然として不明のままだった。
「おや」
 ここで那賀谷が不思議そうな声をあげた。
「お三方、どうしました?」
 視線の先、三人の男子がそれぞれの仕草で今の気持ちを表現しているようだった。
「純情だ」
「尊い……」
「可憐すぎる」
 星野は目頭を押さえ、丸山は両手で顔を覆い、角田は仰け反って天井を見ていた。
 長く同年代の女子と触れ合ってこなかった男子高校の生徒である。三人には間違いなく堅い友情があるが、バレンタインデーのチョコというのは、それを惑わせるだけの魔力があった。
 いつの間にか傍聴席の生徒たちにも真剣な空気が伝播したのか、証言台で葛藤する三人に対して「頑張れ」や「羨ましい」といった囁きが漏れるようになった。
「お三方は、本校の一般的な男子生徒と同様、異性との交流は少ないものと想像します。星野君は異性とのコミュニケーションに自信がなく、丸山君は真面目な性格から異性との接触を避け、また角田君は恋愛に関しては引っ込み思案なきらいがありますね」
 これは那賀谷の三人への評価だった。普段より友人として付き合っている人物からの的確な人物評に、三人ともが小さく呻く。
「異性との交流において、社会的なディスアドバンテージがある状態、と言い換えておきましょうか」
 それは〝モテない〟という言葉の婉曲的表現だった。
「改めて伝えますが、今回の審理は三人の内で誰が恋愛的栄誉を得るか決めるものです。結論次第では、友情に亀裂を生むことになるかもしれません。それでも審理を続けますか?」
 那賀谷が真剣な眼差しで前を見る。しかし、それに怯むことなく三人は声を揃えた。
「はい、続けます」
 こうして、チョコレートの所有権を巡る裁判が始まった。

 さて、と那賀谷が居住まいを正した。
「少しばかり、堅苦しい言い方をやめておこうか。僕は君たちの友人で、入学時より三人で仲良くやってきたことを知っている。それが、たかがチョコ一つで争うのが悲しい」
 不意に見せた那賀谷の優しい表情だったが、対面の星野は苦しげに首を振った。
「たかが、じゃない」
 星野の絞り出すような声に、丸山と角田も悲痛な表情を作った。
「那賀谷君、僕らは女の子からチョコを貰えたかもしれない、そんな可能性に高校人生を懸けているんだ」
「そーね、俺らは生まれた日は違うけど、モテる日は同じって誓い合った仲なんスよ。それが一人だけ先に進むかどうか、その瀬戸際なんだ」
 三人の言葉に、傍聴席からは悲鳴にも似た嗚咽が漏れ聞こえた。この男子校に通う者たちにとって、女子からモテることの切実さを理解してのことだった。
「わかりました。では、君たちの意思を尊重して、僕も心して審理すると誓いましょう」
 そう宣言した那賀谷は、再び手元のスマートフォンを操作し、スクリーンに映る写真を別のものへと変える。今度は事件現場となった下駄箱付近を遠くから撮ったものだった。
 団地のように立ち並ぶ下駄箱は非常に古いもので、ロッカー形式ではなく、格子状に箱が連なる作りとなっている。
「まず暫定的チョコが入っていたのは、二年一組の使う下駄箱、東側から三列目の最上部、右端から二つ目の区画で、これは普段は星野君が使っていた。そうですね」
「ああ、その通りだ」
 那賀谷がスマートフォンに指を這わせ、スクリーンに映る画像を拡大する。下駄箱最上段の一区画、その天板側面に小さく「星野」と記されたシールが貼り付けられていた。
「しかし、バレンタインデー当日は丸山君と下駄箱の場所を交換していたと証言にあります。それは何故ですか?」
 ここで丸山は息を吐きつつ、小さく挙手をした。
「さっきリュウが言ってましたけど、あの日は雪が降ってて、床の辺りがびしょ濡れだったんです。それで僕の下駄箱って、ほら、そこの一番下の段なんです」
 丸山は話しながら、スクリーンに映った下駄箱の下段を指し示した。
「それで、僕はその日、新品の靴を履いてたんです。それが泥とかで汚れるのがイヤで。玄関でワタルに会った時に、下駄箱を替えてくれないか、って」
「しかし、当日は雪でしょう。どのみち汚れてしまうのでは?」
「履いてる分には良いんです。ただ、それを下の下駄箱に入れると、誰かが床を歩いた拍子に泥とか跳ねて、内側とかも汚れちゃうんです。前にも似たようなことがあって、それで……」
 なるほど、と那賀谷が頷いた。万年筆を紙に走らせ、丸山の陳述を記録していく。
「それならば、丸山君にとっては自分の靴にチョコが入っていたことになりますね。この場合、チョコの贈与者はどのような人間だと考えられますか?」
「どのような、って。そうだな、やっぱり古風な子なのかな。奥手だけど、でも素直に自分の気持ちを伝えようとする勇気もあって……」
「そうですね、概ね同意します。付け加えるなら、その人物は当日に大胆な行動をしたはずです。何故なら、当日に貴方が履いていた靴を知っていたから。たとえば、チョコを渡すつもりで登校中の丸山君を尾行していて、下駄箱の最上段に靴を入れた瞬間を目撃した。そこへチョコを置けば、丸山君へ届くと信じての行為だった、と考えられます」
 那賀谷の推理を聞き、自分が有利と思ったのか丸山は安堵の笑みを浮かべた。それに対し、角田が長い腕を上へと伸ばした。
「いースか?」
「角田君、どうぞ」
「証拠品、俺の靴の写真出してください」
 角田の要請を受け、那賀谷がスマートフォンを操作する。新たに映し出されたのは、暖色系のマーブル柄が特徴的なスニーカーだった。写真には同じものが二足並べられているが、一方は使用感があり、いくらか古ぼけた具合となっている。
「ボロい方が俺ので、綺麗なのがマルのっスね。見て貰えればわかると思うんスけど、結構、遠目でも目立つデザインなんスよ。これ、ウチの学校じゃ履いてるの俺くらいで」
「そうですね。この靴だけ見れば、知っている人なら必ず角田君を思い浮かべる。だから、靴にチョコを入れたなら角田君を贈り物の対象としたはず、という主張でしたね」
「うっス。これは俺の推理ってか妄想なんスけど、チョコをくれたのって、優しいけど独自の世界観を持ってる女子だと思うんスよ。こう、マフラーとか似合う子かな。で、俺って美術部で絵、描いてるじゃないスか? この間も市展に作品を出したんで、そこで俺のことを知ってくれた、きっと似たような美術系女子かもしれないっスね」
 理路整然と好みの女性像を語る角田に、傍聴席がいくらかどよめく。彼の描いた空想の女子に男子たちが興奮していた。
「確認ですが、角田君の下駄箱の位置はどこですか?」
「星野の隣っスよ。だから、場所を間違えた可能性が高いと思うんスよ」
 角田は余裕の笑みを浮かべ、なおも持論を展開していく。
「あと、手紙の最初にもあったじゃないスか。いつも頑張ってる貴方を知ってる、とか。頑張りって言うなら、やっぱ俺の活動を見てたってことスよ。それに、もしマルに告白したいなら、やっぱコイツがイケメンなこと書くと思うんス」
 角田の主張の通り、丸山は女子との縁がないだけで、出るところに出れば男性アイドルとして通用する容姿だ。今も友人に褒められたことで、恥ずかしそうに顔を赤くしている。
「リュウ、別に僕はイケメンとかじゃ」
「いいや、角田の言う通りだ。自信を持て」
 横から星野が言葉を重ね、それに角田も応じる。二人が笑う分だけ、丸山は居心地が悪そうに身をよじるばかり。
「静粛に」
 那賀谷が咳払いをし、再び法廷に静けさが戻ってくる。
「角田君のスニーカーが特徴的であることは、チョコを贈る際の目印として妥当かと思います。では丸山君は何故、角田君と同じ靴を履いていたのですか?」
 それは、と丸山が伏し目がちにスクリーンに視線をやった。
「単にカッコイイな、って思って。リュウはオシャレだから、僕も同じものが欲しくなって」
「そっスね。前々から欲しいって言ってたスよ。ようやく買えたから、今度履いてきたい、って」
「ああ、俺も聞いた。あのバレンタインデーの日もそうだ。マサが履くから、角田は別のを履いて来ていた」
 三人の主張を聞いた後、那賀谷はスクリーンに新たな証拠品の写真を映す。当日に角田が履いていた靴で、白に赤いラインの入ったものだった。
「お二人の主張は、どちらも妥当性のあるものと考えます。ただ、チョコの贈り主の行動には差異があり、丸山君の主張を呑む場合は、その人物は事件当日の丸山君を見ている必要があります。他方、角田君の主張を呑む場合は、それ以前、普段から角田君のことを知っていた人物ということになります」
 那賀谷が意見をまとめたところで、星野が静かに手をあげた。
「少し、靴にこだわりすぎてないか」
「そうですね。星野君の場合は、まず自分の下駄箱に入っていたという事実があります。これは重要な状況証拠ですが」
 いや、と星野が手を前に向けて那賀谷の言葉を遮った。
「アレを贈った人間は、男子の可能性もある」
 その発言に教室の空気は一気に張り詰めたものになった。

 十分の休憩の後、審理は再開された。
「戻りました」
 トイレから帰ってきた那賀谷が教卓の前に座り、既に戻っていた三人と向かい合う。
「チョコの贈り主は男子の可能性がある。この星野君の主張ですが、一考の余地があるものとし、この点について審理を行いたく思います」
「ああ、頼む」
「では星野君は、どうしてチョコの贈り主を男子だと考えたのでしょうか?」
 問いかけられた星野は、顎に手に当ててしばらく考える素振りをみせる。それで考えがまとまったのか、何かを覚悟するように口を開いた。
「イタズラだ。モテない俺らをからかうため、誰かがアレを用意した。居もしない女子に浮かれる姿を見たかったのかもな」
 星野の主張を聞き、隣の二人も驚いた様子だった。丸山は悔しそうに唇を噛み、角田はその場にくずおれた。傍聴席からは「ひどすぎる」やら「なんて残酷な」といった声があがる。
 教室がどよめく中、那賀谷が場を制するように手を振った。
「静粛に。これがイタズラならば、まさに男子の純真さを利用した残虐かつ非人道的な犯行、人倫にもとる行為と言わざるを得ません。しかし、この件に関しては証人尋問を行いたく思います」
 そこで那賀谷がスマートフォンを使い、教室の外に待機していた人物に連絡を取る。一同が見守る中、少しして一人の男性が入室し、廊下側の証言台へと移動する。
「先程、この方に証言をお願いしました」
 おお、と傍聴席から声があがる。召喚されたのは、この高校に勤続して三十年のベテラン、守衛の関本だった。
「関本さん、ありがとうございます」
 那賀谷が頭を下げれば、それを見習って生徒たちも関本へ頭を下げる。彼は気のいい初老の男性だが、かつては不良相手に一歩も退かずに校門を死守したという。また柔道の有段者としても有名で、星野に至っては全員が顔をあげた後も深く礼を続けていた。
「皆さんのお役に立てれば」
 ニコニコと笑う関本に対し、那賀谷もへりくだった様子で一枚の紙を手渡す。それは証言に関して偽証を行わないといった旨が記された宣誓書で、関本は一言一句を丁寧に読み上げた。
「では関本さん、先月の十四日のことについてお聞きします。当日、西玄関の下駄箱付近で怪しい動きをしていた人物を見かけませんでしたか?」
 そう問われた関本は腕組みをし、当日の様子を思い出すような素振りをみせる。ややあって、うん、と頷きがあった。
「見ましたよ」
「それは、我が校の生徒ですか? それとも女子ですか?」
「女の子だよ」
 関本の証言に教室中がざわついた。これにより男子生徒によるイタズラという可能性は消えた。また恋心の有無とは関係なく、ひとまず贈り主が女性であると明言されただけでも、この場の男子たちを熱狂させるのに十分だった。
「女性がいたのは何時頃でしたか?」
「午後四時くらいだね。まだ七時間目の途中くらいで、ウチの生徒さんたちはいなかった」
「重ねて尋ねます。その女性と関本さんは話しましたか?」
「いや、それがね、守衛室にあるカメラで確認しただけだったんだ。すぐ声をかけに行ったんだけど、もう帰ったみたいで」
「顔や容姿はわかりますか?」
「カメラには背中しか映ってなかったからね。ただ制服を着てたよ。詳しくはわからないけど、あれはブレザーだ。多分、中学生か高校生じゃないかな」
 その情報に傍聴席が色めき立つ。証言台にいる三人も冷静を装っているが、内心では制服姿の女子を思って気が気でない様子だった。
「お三方からも、何か質問はありますか?」
 那賀谷に促されるのと同時に、丸山と角田の二人が真っ直ぐに手をあげた。
「角田君から、順にどうぞ」
「はい、あの関本さん、その子の髪型ってわかります?」
 関本は再び考え込む素振りをみせてから、角田の方を向いて口を開いた。
「肩くらいまであったかな、ボブって言うんだっけ?」
「あー、ボブかぁ! 好きだけど、俺はセミロングくらいの方が好きっスね!」
 素直に好みを述べる角田。その発言は全て那賀谷が記録し、証拠となっていく。
「あの、僕も聞きたいんですけど、その女子の身長ってどれくらいでした?」
「そうだねぇ、下駄箱の上の方に届いてなかったから、一五〇センチくらいかな」
「よし!」
 続く丸山のガッツポーズも証言として記録された。一方、星野は思案顔で二人のやり取りを観察していた。
「星野君は、質問はよろしいですか?」
「ああ、俺は大丈夫だ」
「そうですか。では、僕から関本さんに、最後の確認をよろしいでしょうか?」
 ここで那賀谷が手元のスマートフォンから目を離し、関本の方を真っ直ぐに見つめた。
「関本さんは、どうしてその女子が帰ったと判断したのですか? 玄関の辺りにいたなら、そのまま校内へ入った可能性もあります」
 ああ、と関本が肯んじる。核心を突く質問だった。
「近くを見回っても誰もいなかったのと、万一のために監視カメラも確認したからね。その女の子は下駄箱の辺りで何かした後、すぐに玄関の外へ出ていったよ」
「なるほど、ありがとうございます」
 那賀谷は関本の証言を手元の紙に書き記してから、再び三人の方へと向き直った。対面する三者は彼が何かに気づいたことを知り、表情を険しくさせる。
「今の話で、一つの推理が成り立ちます。まず下駄箱付近にいた女子は、そこが目的の場所であると知っていたと考えられます。何故なら、西玄関は上級生用のもので、通常の来客は正門から表玄関に向かうはずです」
「つまり、どういうことですか?」
 丸山と角田が揃って声をあげ、那賀谷の推理を確かめようとしていた。
「二つの可能性があります。一つ目は、先に丸山君に伝えた人物像と同様で、お三方の登校時に尾行するなどして、誰がどの下駄箱に靴を入れたのかを観察していた。ただし、この場合は確認から実際に下駄箱に近づくまで時間が空きすぎているのが不自然です」
「もう一つはなんスか?」
「最初から知っていた可能性です。あらかじめ星野君の下駄箱の位置を知っていたか、もしくは角田君の靴を普段から見ていたか」
 そこで那賀谷は言葉を区切った。教室は静まり返り、雲間から覗いた夕陽が証言台の三人を赤く照らす。
「星野君、君にはたしか、中学生の妹がいたね」
 あっ、と声を発したのは丸山と角田だった。
「黙秘します」
 中央に立つ星野は目を閉じたまま、この場の空気に身を任せているようだった。しかし、隣の角田がそれを許さず、彼の肩に手をかけた。
「星野、黙んなって! 妹ってアイリちゃんだよな、俺ら前に会ったって!」
「そ、そうだ、アイリちゃんだ。僕も会ったことある。少しギャル風で、可愛い子だった」
 友人の妹、その存在に思い至った丸山も肩を震わせている。傍聴席も明かされた事実に浮足立っていた。
「アイリちゃん、今は中三だっけか? サブカル女子みたいな感じで、話してて楽しかったけど」
「ああ、あと良い子だ。気遣いができて、僕の方に話とか振ってくれて」
 左右から妹の評判を聞かされた星野は、大きく肩をいからせてから、深く大きく息を吐いた。
「そうだ、俺には妹がいる。マサと角田は会ったことがあるし、この高校にも来たことがある」
 星野の告白に、丸山と角田が顔を見合わせ、優しげな笑みを作った。
「はーん、なるほどねぇ。全部わかったわ、アイリちゃん、俺のことが好きなんだわ。前に靴もカッコイイって褒めてくれたし、あれが俺のだと思って間違えちゃったんだな」
「いや、リュウ、それは違うよ。だって、君がアイリちゃんと靴の話をした時に、僕が同じの買いたいって言ったんだし。リュウはあの時、ボロいから換えるか、って言ってた。アイリちゃんは新品の靴を見て、僕のだと思ったはずだ」
 無言の星野を挟んで、男が二人、小さな火花を散らし始めた。
「マル、諦めた方が良いって。アイリちゃん、かなり陽キャだし、堅物なお前じゃ相手できないだろ?」
「リュウの方こそ、アイリちゃんを勝手に決めつけない方が良い。あれでアニメや漫画に詳しいから、僕の方が話しやすいはずだ」
 どちらが星野の妹に相応しいか、両者が互いに言い争う。既に戦いは別の次元へと及んでいた。未だに審理は続いているが、もはや二人にとっての結論は決まっていた。
「やめてくれ」
 いよいよ丸山と角田が取っ組み合いを演じようかというところで、中央に座す星野が声をあげた。
「こんなことで、二人が争うな」
 静かな叫びがあった。自分の妹を取り合って親友が争うというのは、高校生の男子にとっては耐え難い恥辱であった。
「那賀谷、これ以上は耐えられそうにない」
 星野が呟いたところで、まさに下校時刻を告げる鐘が鳴った。
「ああ、時間もある。今日の審理はここまでのようだ」
「すまない」
 那賀谷がスマートフォンを操作し、プロジェクターを停止させた。スクリーンを戻し、その後は席も使用前の形に戻すことになる。
「星野、悪い。熱くなっちゃって」
「ごめんよ、ワタル」
 左右から丸山と角田が謝罪し、星野もそれに対して頷いて許した。そして三人は席から立ち上がると、那賀谷と共に深く頭を下げた。
「審理は中断、本日は閉廷します」
 その口調は重々しく、次こそは審理を終えようという気概がある。窓の外で沈みゆく太陽が、那賀谷の決意の表情を照らす。

 それから三日の後、法廷は再び開かれた。
 六時間目の授業を終えた後、前回と同様に星野、丸山、角田の三者は弁論部が使う空き教室に到着。また傍聴席には弁論部部員の他、前回の経緯を聞いた多くの生徒たちも集まっていた。
「第二回の審理を始めます」
 準備を終え、入廷した那賀谷が一礼し、それに三人も応じた。
「先に、今回は二つの証拠品を用います。いずれも当校の各部活に所属する生徒により提供されたものです」
 そう言いつつ、那賀谷は通学カバンの中から二つのビニール袋を取り出す。それぞれ大きさが異なり、写真と紙資料が入っていた。
「まず写真について、これは二月十四日に撮影されたもので、写真部において保管されていたものです」
 証言台で三人が見守る中、那賀谷が前回と同様にスマートフォンを使ってプロジェクターから画像を投影する。
 スクリーンに大きく映ったのは、校門付近から校舎を写した風景写真だった。夕陽と残雪、下校する生徒たちの晴れやかな表情が切り取られている。
「この写真の左方、西玄関の付近に複数の足跡が映っています。撮影時刻は二年生がまだ七時間目の授業を受けている頃で、西玄関に残っている足跡は登校時のものが大半です」
 そこで写真が切り替わり、西玄関付近の拡大画像が表示された。
「ここに残っている足跡を解析し、履いている靴の種類をいくつかに分類しました。この作業はコンピュータ部の協力によって行われています」
 さらに画像は切り替わり、靴底のパターンを再現したCGが現れた。溝が刻まれたものが多いが、その一つに爪先部にのみ溝があるシンプルなものがあった。
「この中に一つだけ二十三センチのものがあり、他と比べてサイズが小さいことがわかります。また形状からローファーであること、そしてこれが、近所にある桜斎館(おうさいかん)女子中高等学校の指定のものであることが判明しました」
 那賀谷の説明に傍聴席がざわつく。桜斎館といえば中高一貫の有名女子校であり、駅のホームでそこの女子生徒を見かけただけで一日の話題が決まるほどの存在だ。
「星野君、質問をいいですか?」
「はい」
 先日と変わらず、星野は神妙な面持ちで佇んでいた。
「星野君の妹さん、星野アイリさんは桜斎館中等部の生徒ですね」
「その通りです」
 答えるのと同時に傍聴席から怒号が溢れた。この事実は丸山や角田などは知っているが、他の男子生徒にとっては看過できないものだった。妹のコネクションを使えば、桜斎館の女子と知り合える。星野の恵まれた環境を非難する声は大きくなるばかりだった。
「みんな、やめろ! ワタルは妹がいるからってモテない!」
「そうだ、アイリちゃんが紹介してくれるはずがない!」
 先日は星野の頭越しで相争った二人が、今日は揃って星野のことを庇っていた。
「いいんだ、二人とも」
 甘んじて罵声を受け止めていた星野が、静かに左右に座る友人たちを気遣った。それを見てから那賀谷が手をあげ、傍聴席で騒ぐ生徒たちを制した。
「続けます。この証拠物から、まず桜斎館の女子生徒が本校に来ていたと考えられます。そして、それは星野君の妹である可能性が高い。しかし、次の証拠を見てください」
 スクリーン上の画像が変わり、今度は文字の集合体が表示された。
「これは書道部の協力のもと行われた、手紙の筆跡鑑定です」
 手紙にあった文字の一部が抜き出され、同じ文字と並べて比べられている。文字のとめやはらいが赤く表示され、二つの文字の違いが明確にわかるよう作られている。
「これは、どういうこと……?」
 思わず呻いたのは丸山だった。筆跡鑑定の下部にある「不一致」の文字が一つの事実を浮かび上がらせる。
「この鑑定に際して、星野君から妹であるアイリさんの文字がわかる資料が提供されました」
 那賀谷が指を振り、スクリーンに新たな画像が現れる。国語科目の答案用紙で、星野アイリの名と三十二点の文字が特に大きく書かれていた。
「筆跡鑑定の結果、星野アイリさんと手紙を書いた人物は別人であると判明しました」
 突きつけられた事実に、丸山と角田が不安げに顔を見合わせる。一方、妹のテストを流出させた張本人である星野は、その言葉を噛み締めているようだった。
「これらのことから、バレンタインデーの当日に桜斎館の女子生徒が来ていたこと、かつ手紙の差出人は星野君の妹ではないことがわかります」
 事実を並べていく那賀谷に対し、角田がそろそろと手をあげた。
「あの、いースか?」
「角田君、どうぞ」
「それってワンチャン、桜斎館の子が俺らの誰かに気があるってことスよね? チョコを渡して告白するくらいの」
 角田の発言に対し、傍聴席の男子たちがざわつく。特に反応していたのは弁論部の部員たちで、彼らの多くが審理の結果を既に予想していた。
「あの、僕もいいですか?」
「丸山君、どうぞ」
「チョコを贈ったのがアイリちゃんじゃないなら、僕らはちょっと、不利かなって思いました。だって、僕らはアイリちゃん以外の桜斎館の子なんて知らないし」
「そうそう、コレはもう決まりっスかね。それこそ俺らのどっちかが、見知らぬ女子に一目惚れでもされてない限りは」
 丸山と角田には、どこか晴れやかな表情があった。二人に羨望の眼差しを向けられた星野は、この結果を喜ぶこともなく、ただ粛々と事実を受け止めていた。
「お二人の想像も理解できます。チョコに添えられていた手紙には、いつも見ていた、といった旨の記載があり、既に何かしらの接点のある人物、それも桜斎館女子校の生徒だと考えられます。この点において、妹さんが同校に通う星野君には接点を持つ可能性があります。たとえば、その人物は妹さんの友人で、普段から星野君の話題を聞いており、片思いをしていた、など」
 片思い、という言葉に傍聴席の男子たちが歓声をあげた。星野を茶化す者、指笛を鳴らす者など、反応は様々だったが、いずれも彼を祝福していた。
「そういうことも、あるかもな」
 これまで多くを語らなかった星野が、この時になってようやく微笑んだ。
「やったな、星野。やっぱ運動部はモテんだな」
「良かったね、ワタル。ホワイトデーに返事してあげなきゃ」
 二人の友人もまた、恋愛の勝者となった星野を称えていた。星野もまた二人と肩を組みつつ、那賀谷からの喜びの判決を待っていた。
 しかし、当の那賀谷は表情を崩すことなく、ゆったりとした手付きで自らの眼鏡を直した。
「最後の、証人尋問を行いましょう」
 誰もが聞き間違いだと思った。那賀谷は星野を祝うこともなく、怜悧な瞳で見つめているだけだった。
「誰を、呼ぶんだ?」
「星野アイリさんです」
 審理の最終局面、法廷において二人が向き合った。

 夕暮れの教室に呼び出し音が響く。
「審理を続ける中で、いくつかの事実がありました。それを積み上げていくと、ある答えが浮かび上がってきます」
 星野のスマートフォンは証言台の上に置かれたまま、彼の妹であるアイリへ発信を続けている。相手は未だに通話に出ることはなく、時間が過ぎるほどに緊張感が増していく。
「まず関本さんの証言によれば、我が校に来た女子は背が低く、下駄箱の上段に頭が届かなかったといいます。そのことから、最上段にある星野君の下駄箱では名札を確認できなかったはずです。その場合、チョコを贈った人物は星野君の下駄箱を判別できなかったと考えられます」
 それは、と丸山が反論の声をあげた。
「前に話したみたいに、僕らを尾行してて、近くで見てたんじゃ」
「いいえ。まず贈る相手が星野君だったと仮定すると、その場合、星野君は下駄箱の位置を丸山君と交換していることから、下段にチョコを忍ばせるでしょう」
 じゃあ、と今度は角田が手をあげる。
「その女子は前にもウチに来てて、既に星野の下駄箱の場所を知ってた、とか?」
「それも違います。我が校の生徒は、桜斎館の女子をひと目見ただけで噂するほどです。星野君の下駄箱の位置を知れるような時間、つまり登下校時に校舎内にいたなら、誰かの目について騒ぎになっていたでしょう。だから、そもそも尾行していた可能性もないのです」
 那賀谷は一つずつ事実を積み上げる。それと同期するように、星野のスマートフォンは無機質な音を重ねていく。
「また審理中、星野君の証言に不自然なものがありました」
 誰もが成り行きを見守る中、星野は沈黙を続けていた。
「丸山君、角田君は下駄箱に入っていたものに対して〝チョコ〟という言葉を使いました。しかし、星野君だけは〝アレ〟などと称し、チョコという言葉を使っていません」
 次に那賀谷が口を開いたのと同時に、それまで響いていた呼び出し音が止まった。
「星野君は、贈り物の中身がチョコでないと知っていた」
 教室に静寂が訪れる。
 丸山も角田も驚愕の表情のまま固まり、傍聴席の一群も固唾を呑んで見守ることしかできない。事実を突きつけられた星野は、満足そうに笑ってみせた。
 そして、星野のスマートフォン上に「通話中」という文字が表示された。
『あ、兄ちゃん? なんか用?』
 スピーカーを通して、教室の男子たちに星野アイリの声が届く。普段ならば興奮していたであろう状況に、この時ばかりは誰も反応できなかった。
『おーい、どしたー?』
 星野は大きく息を吐き、力なく肩を落とした。
「アイリ」
『なんだ、聞いてんじゃん。てかアレどうなった?』
「そのことなんだが」
『ちゃんと、角田君にバレンタインデーのヤツ渡せた?』
 傍聴席から男子たちの声が溢れるより早く、星野はスマートフォンを手にし、その太い指で通話終了のボタンをタップしていた。
「そういうことだ」
 星野は隣に立つ角田に向け、精一杯の笑みを送っていた。

 去る二月十四日、当校の男子生徒であるAは、休み時間を利用し、友人であるCの下駄箱へ贈り物を忍ばせた。
 一方、Aの妹であるDが同日午後四時頃に来校。DはAが携帯し忘れていた家の鍵を届ける目的があり、兄の下駄箱に鍵を入れるつもりで西玄関から校舎内へ入った。その際、Cの下駄箱に置かれた贈り物を発見。Dは以前よりCを知っており、その靴が特徴的であることを覚えていた。しかし、当日にCの下駄箱に入っていた靴はDにとって見覚えがないもので、代わって隣の区画に同じ型の靴(Bの所有物である)を見つけた。
 この時、Dは「兄の下駄箱の位置は大まかにしか覚えていなかった」とし、「名札でわかるかと思ったけど見えなかった」ため、兄であるAの下駄箱をCのものと誤認した。さらに「兄が贈り物を入れる場所を一区画だけ間違えた」と考え、親切心から贈り物を抜き取り、本来はAの管理する下駄箱にこれを投入した。
 なお、Aに渡す予定の鍵はそのままDが持ち帰った。

 論告文が那賀谷によって読み上げられ、ついに審理結果が言い渡されることとなった。
「これらの事実は、改めて星野アイリさんから証言頂いたものです」
 星野が通話を切った後、他ならぬ那賀谷が再度の連絡を取った。電話口で話すアイリは意味不明といった様子だったものの、バレンタインデー当日に何をしたのかを証言するに至った。
「つまり、えーと、ワタルがリュウに渡すつもりだったプレゼントを――」
「アイリちゃんが勘違いしたせいで、わざわざ下駄箱から箱を取り出して、星野の方に入れたってこと?」
 丸山と角田の説明に対し、星野が申し訳なさそうに頷いた。
「すまない」
「あ、謝らないでいいって!」
「そうそう、俺らが変に騒いだせいで……」
 そこで三人が押し黙る。誰も笑うことなどできない、ある種の悲壮感に空気が支配されていた。
「でも、ワタルも最初に言ってくれれば……」
「それは」
 丸山の問いかけに星野は口ごもる。それを見た那賀谷が、手元の論告文をゆっくりと教卓へ置いた。
「できなかったんだろう。違うかい、星野君?」
「ああ、那賀谷の言う通りだ」
「おそらく、彼自身もどうして自分の下駄箱に、角田君宛てのプレゼントが入っていたのかわからなかった。そんな状況で星野君はこう考えた。角田君がプレゼントを迷惑に思ったんじゃないか、と」
 那賀谷の指摘に対し、星野が観念したように頷いた。
「そうだ。きっと俺みたいな人間からの贈り物はいらなかった。当然だ。男が男からバレンタインにものを貰っても嬉しくない。だから返したんだと思った。添えていた手紙を角田が落としたのも、わざとやったんだと思ってしまった」
「しかし、この法廷が開かれることになり、君も自分の勘違いに気づいた」
「その通りだ。角田もマサも、本気でプレゼントの贈り主を探していた。だから俺は、どうしてこんな事態になったのか知りたく思い、弁論部の審理を受け入れることにした」
 そこまで言って、星野は重荷を下ろすように、安らかな笑みを浮かべた。
「まさか、妹の勘違いの結果だとは思わなかったが」
 星野の一言を機に、場の空気が朗らかなものとなった。傍聴席から小さな笑い声と話し声が聞こえてくる。
「途中、星野君がプレゼントを自分宛てのものとして受け入れたのは、所有権が自分のものになれば、真実を伝えずに済むと考えたからだね」
「ああ、みんなの前で余計なことを言わなくて済むと思った」
 大きく息を吐き、星野が証言台を離れた。
「マサ、角田、迷惑をかけたな」
 そのまま法廷を去ろうとする星野に対し、二人が無言のまま彼の肩を掴んだ。
「待てよ、星野」
「そうだよ、まだ審理は終わってないよ」
 振り払おうと思えば容易いはずだった。しかし、星野は友人たちの手に押されるまま、再び証言台の前に戻ってきた。
「星野君、最後に聞いておこうか。君は何故、角田君にプレゼントを贈ったんだい?」
「簡単だ。俺が角田を気に入ってるからだ。好き、と言い換えても良い。友達として、という言葉を入れるかどうかの判断は任せるが」
 星野から思わぬ好意を向けられた角田は、いくらか目を瞬いてから、恥ずかしそうに鼻をこすった。その様子に丸山も少し悔しそうに笑っていた。
「いや、好かれて悪い気はしないけどさ。からかうなよ、俺ってそういうの本気にするから」
「法廷では真実だけを言う。それは全て証拠になる、だろ?」
 そう言いながら、星野が余裕の笑みを那賀谷に向けた。
「では、審理の結果を告げるよ」
 それまで冷徹に話していた那賀谷も、今は優しげな声を作っている。
「バレンタインデーの贈り物の所有権は角田リュウノスケにある。また、これは星野ワタル本人が改めて手渡すものとし、かつ角田は三月十四日のホワイトデーに、この返礼品を星野に渡すものとする」
 ここで那賀谷が教卓の下から一つの箱を取り出す。今日まで彼が保管してきた、例の贈り物だった。
「ちなみに一ヶ月近く経っているけど、中身は大丈夫かな?」
「心配しなくていい、腐りはしない」
 星野は那賀谷の方へ近づき、包装紙とリボンに飾られた贈り物を受け取った。そのまま振り返り、今度は角田の前まで歩いていく。
「チョコなんて俺のガラじゃないからな。こいつは手作りの――」
 そして、再び星野は角田に向けて箱を差し出す。
「かりんとう、だ」
 モテない男子たちの友情に、教室中から盛大な拍手が送られた。


(了)