Alex Murphy

1998年生まれ。都内の某大学院博士課程に通う。専攻は環境工学。研究内容は水処理技術、…

Alex Murphy

1998年生まれ。都内の某大学院博士課程に通う。専攻は環境工学。研究内容は水処理技術、水中の有機物の分解メカニズム、消毒副生成物など

最近の記事

どこの大学に行くかなんてどうでもいい

 本記事では、博士課程の大学院生の視点で、タイトルにあるように、どこの大学に入学するかなど、いかに些細な問題かについて書き連ねたいと思います。そろそろ高校生や浪人生、あるいはその保護者にとって受験が気になる季節だと思うので、気休めになれば幸いです。とはいってもこの記事での内容は私の立場では芯を食ったことだと思っていただければなによりです。決して東大に行けなかったことへのやっかみではありません^^ そもそも大学に入るだけでは何の意味もない  そもそも大学に入るだけでは何の意

    • 希望の大学に行けず、友達もろくに作ってこなかった私が、最高の友人に恵まれた話

       私は今年の4月から博士課程に在籍する大学院生である。本記事では大学に入学してから現在に至るまでの人間関係の変化について書きたいと思う。  今でこそ博士課程にまで進学しているので、大学への在籍期間は一般的な方々よりもかなり長くなっている。しかし、私は現在の大学を志望していたわけではない。目標としていた大学があったため、一年浪人して受験勉強をしたが、結局そこにはたどり着けずに現在の大学に入学した。そういった経緯もあったため、大学入学後は学問ではだれにも負けたくないと思い、友達

      • 夢に生きる

        はじめに:研究者という仕事私は現在、博士課程に在籍している大学院生である。学位取得後は研究者として自立していくことを念頭に置き、日々研究活動に勤しんでいる。今どき、日本で博士課程に進学する学生は少なく、研究者になりたいという確固たる意志がないとやっていけない世界な気がする。なんせ、普通に就職したほうが稼ぎはいいし、就活も日本では学士か修士卒の方が間口が広いであろうと思う。 しかも若手研究者は稼ぎが少ない割には多忙である。私のような査読付き論文が数本出たばかりの若手ですら、一

        • 聞かず嫌い克服の一年

           年の瀬になり、なんとなく一年を振り返ってみようという気がしてみた。今年も多くのことを学び、多くの芸術に触れてきたので、一年をとても濃密に感じているところなのだが、今回は題して「私的2022年レコード・オブ・ザ・イヤー」を考えてみたいと思う。  ノミネートの条件は、「2022年に私が初めて聞いたアルバム」である。断っておくと私は1998年生まれで、古い音楽を聴く趣味があるので、「私が初めて聞いた」というのは「古いアルバムがたくさん出てくる」という意味である。  正直に言って、

        どこの大学に行くかなんてどうでもいい

          学術研究の意義とは: 研究者を志す大学院生が考えること

           2022年3月2日、研究施設への電車に揺られながらこの記事について考えている。使い古したイヤホンからはPink FloydのEchoes(原曲ではなくRodrigo Y Gabrielaによってカバーされ、グラミー賞を受賞したほう)が流れている。春の訪れを感じさせるかすかな陽気と幻想的な音楽が私を白日の夢へといざなっているようだ。私は1月にシンガポールで聴講したとある講義について思い出していた。講師はフィールズ賞など数々の栄誉ある経歴をもつフランス人数学者のCedric V

          学術研究の意義とは: 研究者を志す大学院生が考えること

          秋の輪郭

          つい数週間前までは汗ばむ気温だったのに、いつの間にか日は短くなり、木々の葉は色づき始め、北向きの私の部屋では月夜の陰に冷気が立ち込めるようになった。秋の訪れである。変温動物は気温が高くなると活動的になるが、恒温動物の私は対照的に夏の終わりを感じ取るとカエデの葉のごとく気分が高揚する。 良く晴れた日にはどこか遠くに旅に出たいと思うのだが、実際は責任ある大人として研究室に向かうのが日常である。とはいえ、川の水面が朝陽をまばゆく反射していたり、風に吹かれた枯葉のこすれ合う音が季節

          秋の輪郭

          時間: それは友なのか敵なのかそれとも

          某ブランドの腕時計をかれこれ5年近く使っている。革製のベルトのみが茶色で、他のパーツはほとんど金色という配色と、時計としての機能以外はほぼ何もないシンプルさが気に入っている。一つだけ難点があるとすれば、日付の表示もついているのだが、それが31日周期で回っているだけなので30日までしかない月は、翌月1日になっても31日を表示してしまう。それを手動で直しているとき、もっと高級な時計はその辺の融通も利くのかとか思ったりもするのだが、今のところは私のお気に入りである。 それにしても

          時間: それは友なのか敵なのかそれとも

          全ては繋がって

          しんしんと降り注ぐ雨が夏の名残を洗い流し、街には秋の気配が漂い始めている。季節は移れど研究者としてなすことは変わらない。学術研究とは世の中に還元され社会の発展に寄与するためのものであり、人間の社会というのは今までもこれからも流れの中で形を少しずつ変えながら存在するので、ある意味では研究に終わりなど存在しない。なので学ぶべきものはいくらでもあるし、私の脳が回転木馬のように休みなく回り続けるのなら、いついかなる時でも学業に邁進したいものである。 ところが人間の脳も精神もそんなに

          全ては繋がって

          忘却の彼方

          昨年の10月から月に一本のペースでコラムを書いている。誰かに見られることを期待しているわけでもなく、どういう反響があるかも気にせず、心の内で思ったことをつらつらと書き連ねている。たまたま私のコラムを目にされた方々の一部に面白いと思っていただけたのなら本望である。各月に何を書くかを事前に決めていることはめったになく、基本的には思い浮かんだことを書くようにしている。それで面白い文章になるときもあれば、ひどい文章の時もあるが、「今最も強く思っていること」を書くにはこの方法が良いと思

          忘却の彼方

          強烈な違和感

          大変個人的な話だが、私は現在留学生用の宿舎に住んでいる。私自身は留学生ではないが、住み込みで留学生の生活の補佐をするアルバイトをしているといった具合である。この宿舎は3つの個室を1ユニットとして洗面所やダイニングは最大3人で共有するという環境なのだが、先日管理人からこんなことを聞かれたー部屋割りに関して宗教に関する考慮はしているのかーと。詳しく聞いてみるとムスリムの方と同じユニットに住む日本人の方が生活のうまが合わないという理由で退去するらしい。 ここまで聞いて私は強烈な違

          強烈な違和感

          人生なんてこんなもんさ

          子供のころ、オリンピックスイマーを目指していた私にとってのあこがれはイアン・ソープだった。私は自由形の選手ではなかったが、彼の自伝の『夢はかなう』(PHP出版、現在は絶版)を読んで以来、彼が私のヒーローだった。その本を読んでから15年近く経つが、いまだに彼の物事に対する考え方や大舞台での心構えなどに関する記述は私の心に克明に刻まれている。 その中に目標の立て方に関する話があり、そこで彼は短期、中期、長期で目標を立てることが大切だと述べていた。小さな(短期の)目標の積み重ねが

          人生なんてこんなもんさ

          日曜日、夕方5時、そよ風に吹かれて。

          毎週日曜日にひそかに楽しみにしていることがある。それは夕方5時ごろに一本の煙草を吸うことだ。夕食の下ごしらえだけしてテラスに行き赤いマルボロの箱から煙草を一本取りだしてマッチで火をつける。常習者からすると奇妙に聞こえるかもしれないが、私が煙草を吸うのは一週間の中でもこの一本だけなので、日曜日の夕方に何とも言えない10分をマルボロと共に過ごしている。特にこの時期の晴れた日の夕方はそよ風が妙に心地よく感じる。 一つ吸って一つはいて、もう一つ吸って今度は煙で輪っかを作ってみたりし

          日曜日、夕方5時、そよ風に吹かれて。

          9年は短すぎます

          かの有名な音楽雑誌、ローリングストーン誌の初代編集長ヤン・ウェナー氏の言葉に次のようなものがある。 「パーソナルな音楽趣向は、だいたい16歳から24歳の間に聴いたもので決まる。」 16歳から24歳といえば、高校生になってから大学を卒業して社会人として働き始めるまでの時間を指すことが多いような気がする。確かにこの多感な時期に多くの人は様々なことを経験し大人になり、「自分」という人間・人生を形作っていくと思うので、その時期に聞いた音楽の影響というのは一生続いていくものなのかも

          9年は短すぎます

          私の芸術

          最近、異なる二人の方から全く別の場で「休みの日は何をされているのですか?」と尋ねられた。この手の質問を受けたとき決まって私は「音楽を聴いたり、ギターを弾いたり、映画を見たり、美術館に行ったりして過ごしています。」と答える。私がそう答えると、双方とも「確かに芸術家っぽい見た目ですもんね。」と私に言ってきた。少なくとも私自身は自分の見た目に芸術家らしさがあるとは思っていない(そもそも「芸術家らしい見た目」が何なのかもよくわからない)が、全く違う二人の方に同じことを言われたのだから

          私の芸術

          エドワード・ヴァン・ヘイレンに想いを馳せて

          エドワード・ヴァン・ヘイレンが癌との闘病の末亡くなった.このニュースが公に明かされたのは日本時間の早朝であった.いつもより早く起床した私はこのことを知るなり,ただただ呆然としてしまった,朝の靄が私の脳内に立ち込めていたかのように.10年ほど前,初めて楽器店に足を踏み入れギターを購入したのは,ヴァン・ヘイレンの楽曲を聴いたことがきっかけだった.以来,彼らの曲を弾いてギターの腕を磨いていった.今ではハードロックを聴くことはあまりなくなってしまったが,私にギターを弾くという一生の悦

          エドワード・ヴァン・ヘイレンに想いを馳せて