見出し画像

忘却の彼方

昨年の10月から月に一本のペースでコラムを書いている。誰かに見られることを期待しているわけでもなく、どういう反響があるかも気にせず、心の内で思ったことをつらつらと書き連ねている。たまたま私のコラムを目にされた方々の一部に面白いと思っていただけたのなら本望である。各月に何を書くかを事前に決めていることはめったになく、基本的には思い浮かんだことを書くようにしている。それで面白い文章になるときもあれば、ひどい文章の時もあるが、「今最も強く思っていること」を書くにはこの方法が良いと思っている。

さて、今月は暑さにうなされて何も思い浮かばないまま最初の一週間が経過してしまったのだが、ある早朝に目が覚めた時に良さげなテーマが思い浮かんでいた。これにしようと思ったのだが、時計を見たら時刻は午前3時。さすがにまだ早すぎるというのと、ワクチン接種後の腕のだるさから再び眠りについてしまった。二度目の起床は午前7時30分。この時にはそのテーマはきれいさっぱり忘れていた。メモを取らなかった自分のうかつさを後悔しながら脳内のあらゆる引き出しを捜してみたものの、どこにも見当たらない。まるで夢で見た景色を現実に追い求めているかのようだった。

それにしてもアイデアというのは実に神出鬼没だなと思う。ふとした時に現れ、そのときに捕獲しなければ忘却の彼方へ消えてしまう。一度いなくなったアイデアに再び出会うのは簡単ではなく、こちらから探しに行っても決して出てきてくれない。再びアイデア側から姿を現すのを待つしかない。近づこうとすればするほど遠ざかるのに、無視すると向こうから近づいてくる。よいアイデアには初恋の香りがする。

アイデアは思い浮かぶ瞬間にも特徴があり、今回は目覚めたときだったが、私の場合はシャワーを浴びているときが一番多い。シャワーの水にアイデアが溶け込んでいるのか、あるいはシャンプーで汗や皮脂とともに脳内の余計な考えが流されていくのかはわからないが、ともかく浴室は私にとってアイデアの宝庫である。一説によるとエドワード・ヴァン・ヘイレンがタッピング奏法を思いついたのもシャワールームでのことだったらしい。また、外山滋比古先生の名著『思考の整理学』にはこういった話がより詳しく書かれている。「三上・三中」の項を参照あれ。

そんな訳で、良きアイデアへの片想いを拗らせながらトリートメントを毛髪に練り込んだりしている今日この頃である。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?