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強烈な違和感

大変個人的な話だが、私は現在留学生用の宿舎に住んでいる。私自身は留学生ではないが、住み込みで留学生の生活の補佐をするアルバイトをしているといった具合である。この宿舎は3つの個室を1ユニットとして洗面所やダイニングは最大3人で共有するという環境なのだが、先日管理人からこんなことを聞かれたー部屋割りに関して宗教に関する考慮はしているのかーと。詳しく聞いてみるとムスリムの方と同じユニットに住む日本人の方が生活のうまが合わないという理由で退去するらしい。

ここまで聞いて私は強烈な違和感を感じた。その時はうまく言葉にできなかったが、魚に足が生えているような、チューニングのずれたギターの音を聞いているような、キューブリックが自身の作品に妥協しているような強烈な違和感を感じずにはいられなかった。後日、自室でこの違和感の正体を頭の中の藪をかき分けながら探っていると、違和感の正体は「ジャンル分け」にあること気づいた。

宗教、国籍、性別、人種など様々な背景を持った人びとが暮らしているが、彼らをこのような「ジャンル」でわけても彼ら自身を語ることにはならないだろう。人が誰かを好きになるとか、うまが合わないとかはそれぞれの個人によるものであって人々の表面的な「ジャンル」で決められるものではないだろう。だからこそ私は、一人の日本人が一人のムスリムとうまくやれなかっただけで、宗教の配慮がどうのこうのなどという話につなげられたことに憤りを感じたのだろう。

言うまでもなくハラル用の食器を用意するなどの配慮は必要である。正しい表現ではないかもしれないが、それはしかしムスリムの方々の性質上の配慮であって、個人の関係に影響があるべきではないと思う。必要なのは配慮ではなく歩み寄りなのではなかろうか。互いに互いの文化を尊重し理解し合う、そして互いに学び成長する。そんな姿勢を持てばこの宿舎での生活は非常に面白いものになるだろう。

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