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人生なんてこんなもんさ

子供のころ、オリンピックスイマーを目指していた私にとってのあこがれはイアン・ソープだった。私は自由形の選手ではなかったが、彼の自伝の『夢はかなう』(PHP出版、現在は絶版)を読んで以来、彼が私のヒーローだった。その本を読んでから15年近く経つが、いまだに彼の物事に対する考え方や大舞台での心構えなどに関する記述は私の心に克明に刻まれている。

その中に目標の立て方に関する話があり、そこで彼は短期、中期、長期で目標を立てることが大切だと述べていた。小さな(短期の)目標の積み重ねが大きな(長期の)目標を実現を可能にし、小さな目標の積み重ねが嫌になった時は大きな目標を思い出すと再びやる気が出るといった内容だった。競泳選手だった彼にとっては短期が1年、中期が4年(オリンピックごと)、長期が10年くらい(キャリア全体)という具合だったらしい。

つい数か月前まで大学生だった私も自分の大学4年間(最初の一年はボーっと過ごしていたので、実際は3年間)に対して、短期、中期、長期に分けて目標を立てる考え方を実践してみた。学期ごとの目標、一年ごとの目標、3年間の目標を立てて、3年間の目標を達成するために各学期、各学年で何をなすべきかを考えていた。そしてそれらを順調に達成し、大学生として記録に残るような実績も残していた。

しかし一番大きな目標を達成することはできなかった。海外の大学院に進学することが目標だったので、パンデミックの影響を受けたことは少なからず認めなければならない。とはいえ、パンデミックを理由にするのは言い訳がましい。誰のせいでもなく、ただ私は一人の人間の努力とは無関係な壁に自分の目標が阻まれた現実を見つめるしかなかった。

大きな目標が達成できなかった時、そのために積み重ねた小さな目標はどうなってしまうのだろうか。それらを達成するために重ねた努力、その過程で手にした能力は残るだろう。ただし達成したという事実は大した意味を持たないのではないかと思う。私にとって積み重ねた小さな目標たちはもはや終わった出来事に過ぎず、過去の遺品だと思っている。

結局、人生はこんなものなんだろうと今は考えている。どれだけ願っても手に入らないものがある。だからといって諦めてはいけない。これで終わりではないので、新たな目標を立ててそこに再び邁進していかなければならない。諦めずに努力を重ねれば思いがけないところで幸運に巡り合えるかもしれない、それもまた人生なのだから。そしてなによりも全ての巡り合わせに感謝しなければならないと思う。良かったことも期待通りにならなかったことも、今を生きる私はこれら全ての過去の屍の上に成り立っているのだから。

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