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便宜上Xを名乗るということ

性別移行、特に身体的治療を進める中で、自身を表す言葉・カテゴリについて考えたことがあるので、今回はそれについてつらつらと。私もかつて名乗っていて、今はそれを改めようかと思っている呼称。私の観測範囲の話ですが、これはもしかして男性として生まれたトランスにありがちなことかも知れません。「真の○○」云々と論争をしたい訳ではないので悪しからず。

「便宜上/中性/F寄り(Mt)X」

この言葉について。私はこれを「成人ないし就業してから性別移行を始めるトランス当事者で、特に幼少期にわかりやすい兆候が無かった或いは抑えて過ごしていた者」にとっての性別移行のハードルの高さを示した言葉だと思っています。勿論、X/ノンバイナリジェンダーとして性自認が定まっておりそう過ごす方もいますが、今回は女性への移行の段階で名乗るそれについて考えてみようかと。

何故そう名乗るのか

その下地として4つ程の要因を挙げてみます。

①まず、男性の方が男性ホルモンの影響で出生時の性別の影響が身体に出易いこと。髭・体毛・声…多寡や高低はあれど、早期(20代半ばまでを想定)に治療できなかった当事者の身体を等しく蝕んでいる要素。実際、脱毛・髪を伸ばす・ホルモン投与といった行為による外見の変化には年単位の長期間を要します

②次に、主に就業時における社会的規範。昨今、 #KuToo をはじめとして性別により選択の自由が制限されていることを訴える運動が盛んですが、男性であるというだけで特に髪型や化粧といった外見の選択肢が極めて限定的な現状があると思われます(余談です、これは選択の自由という観点で #KuToo を潰すものではなく併存しうる命題だと私は考えます)。『髪を切れ』とかね。私も前職上司や原家族に言われたものです。但しこれは、所属する集団の風土次第で縛りは緩かったりきつかったり様々。

③加えて、「オカマ」が(時にゲイといっしょくたにされて)偏見・揶揄・侮蔑の対象とされてきた歴史的経緯もあるかと。それにより露骨な嫌悪感を直接的或いは間接的に示される多くの当事者が経験しているのではないでしょうか。

④最後に、「男ならざる者」を排斥するホモソーシャルの機能を挙げておきます。「オカマ」への偏見と被る所もありますが、ある程度の年齢に達してから移行するということは、そうでない当事者よりも男社会に身を置いていた時間が長く、見た目や所作が少しでも「男らしく」ないことでハラスメントを受ける機会も多かったと推察されます。

移行の制約

以上の理由から、「男性として生まれてある程度の年齢から移行するトランスジェンダー当事者は、性別移行に際する身体的・社会的制約があり、また即座に女性的な外見を取りにくい」と言えると考えられます。急に女性らしい見た目にはなれない。また、男として過ごした期間の長さ故にすぐに女性的な所作ができる訳でもないし、人によっては女性を目指して治療を受けることへの逡巡もあることでしょう。「男性的な特徴は無くしたい、だからといって女性として生きることまでを望んでいるのか…?中性的・ジェンダーレス男子という道は無いのか?」と。
これらから、性別移行中・初期の状況をして「便宜上/中性/F寄り(Mt)X」と自認する当事者が散見されるものと考えられます。

私の場合

私もその1人でした。元の外見は異様に男性的で、外見の変化も遅々として進まない。性同一性障害の診断がおりるまでは「(F寄りの)MtX・中性」を名乗っていました。だからと言って「MtF」を名乗ることにもまたハードルの高さを感じています。ここで「真の○○」論争を持ち出すのも癪ですし私の偏見がダダ漏れになってしまいますが、30代で治療を始めた者として敢えて書きます。MtFという言葉は、それこそ幼少期から日常生活に支障をきたす程に違和感バリバリで、容姿も趣味も交友関係も女性然としており、いわゆる「男扱い」「俺達」という扱いを生まれてこの方受けなかったような者にこそ許された「特権」「称号」のように思えていました。ざっくり言うと「典型的」ってやつ。そこに当てはまらない自身の居場所としてX/ノンバイナリという概念が安心感をもたらすものであったことは確かです。
説明と相手の理解が難しいこともあってか、最近は各媒体でも自身を表す言葉としてトランスジェンダーと書くようになりました。また、自身が欲したものが生まれながらの女性の身体であり最終的にはSRS→戸籍変更までいくのを望んでいる点からも、そろそろXという概念への居場所は無くなってきている気がしています。社会的には旧来の男女どちらの枠にも当て嵌められたくはないのですが、身体的には完全に女性への移行を望んでいる私という存在。「トランスセクシュアルのノンバイナリジェンダー」或いは「性自認は男ではない」と名乗るのが今はしっくり来ています。

「言葉」をうまく使う

いわゆるLGBTの典型に当て嵌まらない者として、対外的に伝わりやすい用語一言で説明できることは非当事者へのカムに当たって重要なこと。でも、時に用語を複数繋ぎ合わせ、時に用語に縛られず、自身を規定し且つしっくりくる言葉を持っておくことも重要だなぁと思う今日この頃です。

もしよろしければ、ご無理の無い範囲でお願い致しますm(__)m