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150. 【ただのボヤキ】一発目の印象で全て決めつけること

櫻坂3rdシングル「流れ弾」のテレビ初披露が2021年の10月だった。
センター田村は元々ほわほわした性格であり、果たして普段の印象とは真逆のシリアスな流れ弾をどう表現していくのか?
といったところに注目されていた。

最初の披露の時点でもパフォーマンスは作り上げられていたが、ライブや音楽番組での披露を重ねていくうちに田村の表現力はあきらかに増していった。


初披露から回を重ねて成長する様子が面白いというのに、なぜ初披露の印象だけで全てを総括してしまうのか?
ましてやこの曲は「こう」である。
と断定してしまうのだろうか?
確かに一度表に出れば楽曲や歌詞に変更はない。
だが途中で振り入れを変えたり、ダンスの完成度が上がっていったりする。
そういった伸びしろを考えずなぜ1発目の披露で全て総括してしまうのか?

さらにいえば、次回以降の楽曲がもしかしたら全然違う印象の曲になることもあり得て、比較したら意外と良いアクセントになったじゃん!となる可能性もある。

なぜそういった可能性や先の状況を踏まえて広い視野で捉えることが出来ないのだろうか?

坂道グループにとって「乃木坂工事中」「そこ曲がったら、櫻坂?」「日向坂で会いましょう」という番組は非常に大事で必要な物であると個人的に考える。

メンバーがバラエティの立ち回りが得意でも不得意でもそれはどちらでもいいのである。
大事なのはメンバーの喜怒哀楽の様子がバラエティを通して伝わるということが重要なのである。

伝わるとそのメンバーの本質、自然体に近いものをくみ取ることが出来る。
時には予期しない珍しい言動が出て、メンバーの素を感じることが出来る。

個人的にアイドルが面白いと感じる理由の土台はまさにそこだと感じる。

そこを踏まえたうえでラジオ、SHOWROOM配信、ライブ、音楽番組、等々の活躍見るとまるで見方が変わるのである。

乃木坂の5期生に関してまだまだメンバーの素が見えていないのにかかわらず、ましてや「乃木坂工事中」に登場してすらいないのにも関わらず印象を決めつけてしまうことが怖いと感じる。
そしてもし印象が良ければコロッと手のひら返しする。
理由のない傷つけをした後に誰が責任取るのであろうか?
最初から視野を広くして見ていればそんな不毛なこと起きないと感じる。

アイドルなどに関わらずすぐに結果を求める雰囲気が非常に嫌いだ。
目先のことしか考えられず、1年、3年、5年先の中長期を考えて行動できる人が本当に少ない。
目先、目先を見続けた結果、この10年全然進まなかった・・・
なんて話よくある。
特に新しいものを構築していくスタート地点と言うのは、目先の失敗ばかりを気にして視野が狭くなる人が多い。
今まで成功してきたものは目先の失敗は仕方ないものだと受け入れてきたからできたのだと感じる。

欅坂ドキュメンタリー映画「僕たちの嘘と真実 Documentary of 欅坂46」で監督はTAKAHIRO先生に「大人の責任とは何か?」と質問した。
すると

見続けること

と答えた。

長い目で見続けてあげること。
どんなことに対しても重要な事であり、本当に出来る人が少ないと感じることである。
逆にそれをすることが成功への近道ではないのだろうか?
どうしてそんなに遠回りをしたいのだろうか?

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