【第2話】極光を求めて(カナダ・イエローナイフ)



「ホームレス用のシェルターがあるから、そこへ連れてくよ」


想像すらしていなかったその提案に驚きはしたものの、「No」と言えるはずもなく、極寒の地に放り出されるよりはマシだと、その提案を受け入れた。

車内には、深夜1時に似つかないブラックミュージックが流れていた。その音楽にゆらゆらと揺れる運転手は、ミラー越しに僕のことをチラッと見て尋ねてきた。

「どこから来たんだい?中国人かい?」

「違うよ。惜しい。」

「じゃあ、韓国かい?」

「違うよ。日本から来たんだ。」

出身を尋ねられるときは大体決まってこうだ。一発で日本を当てられることはまずない。

「驚いた。日本人なのか。そうは見えなかったよ!」少し笑みを浮かべながら、おじさんはさらに話を続けた。

「大体の日本人はツアーで来ているし、1人でいることはないからね。君みたいにこんな深夜に空港で行き場を失う日本人には初めて会ったよ」

なるほど、そういうことか。と思った。ここに来るまでの経緯を話すと、「そういう旅もいいよな」とニコッと笑ってくれた。

「そういえば、ホームレス用のシェルターって、なに?」

今度はこちらが聞きたかったことを聞く番だ。

「市営の病院のロビーだよ。」

「病院の、ロビー?」

「そう、ここイエローナイフの冬の夜の中に一晩でもいたら凍え死んでしまうからね。夜間だけ病院のロビーをホームレスに貸してるんだ。」そんなことがあるのか、とまたびっくりしたものの、マイナス20度のところに放り出すほど国は冷たくないんだな、と思った。

「事情を話せば泊めてもらえるはずだ。朝になったら追い出されるから、そしたら街まで歩けばいい」

なんだろう、この冒険のプロローグ的な展開は。

「そうなんだ…ありがとう」

しばらくしないうちに、車は病院の裏口に着いた。もちろん辺りは真っ暗だったし、”Exit”と書かれた控えめなネオンが光っているだけだった。

「じゃあ、元気で。良い旅を。」おじさんにはチップを少しだけ多く渡して、僕はタクシーを降りた。雪が深々と降っていたし、肌に突き刺さるような風は、ここが紛れもなく北極圏であることを物語っていた。

「すみません、1晩泊めていただきたいんですが…」

病院の勝手口から中に入ると、看護師さんが出てきて、「どうしたの」と尋ねてきた。

飛行機が遅れてしまったこと、宿を取っていなかったこと、とにかく暖を取れるところを目指してここに連れてきてもらったことを話すと、「こっちよ」と言って、特に身分証の確認もされずに、僕は中へと通された。


暖かい。


それに尽きる。病院の中は、日本と変わらず薬の匂いで溢れていて、なんだか体調が悪いんじゃないか、と錯覚しそうになる。(実際、外と中の温度差で顔は真っ赤になっていたと思う)

通されたのは、いわゆる待合ロビーだった。そこまで座り心地の良くなさそうな椅子が何個かあって、そこには先客が何人か、いびきをかいて眠っていた。

「ここの好きなところで寝ていいわ。朝6時になったら出て行ってもらうから、ちゃんと起きてね」

このシェルターを使う上でのルール(といっても寝ろ、起きろだけなのだけれど)を説明したあと、看護師さんはサッとオフィスの方へ戻っていった。

「さて…」

近くの椅子に腰をかける。人間というものは不思議なもので、「生きられる」ことの確証を得ると、ドッと疲れがでてくるものだ。シェルターとはいえ、一夜の暖を確保したことに、心の底から安堵していた。

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先人たちは、このようにして寝ていた。

長椅子でもないので、小さな机をベッド代わりにしたり、硬い肘置き部分にダウンを敷いたり。

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自分は、申し訳程度に足を乗せて寝ることにした。空港泊に慣れているからか、座って寝ることには全くもって抵抗がない。

とにかく体を休めることに集中しようと、すぐに目を閉じた。

よほど疲れていたのか、こんな明るい照明の下でも、スッと眠りにつくことができた。


朝6時になると、ロビーに音楽が鳴って、その音で目が覚めた。

先人たちを見てみると、のそのそと身支度を整えて、出発の準備をしていた。

「どこに向かうんですか…?」おそるおそる聞いてみると、髭を蓄えたおじいさんが

「マックが6時から開くんだ。寒い朝はコーヒーに限る」

と、得意げに答えてくれた。「僕も行きます」と、そのおじいさんの後をついていった。(他の先人たちも、どうやらマックに向かうらしい。定番コースのようだった)

朝の6時。気温はマイナス25度。体感温度はマイナス30度程度だろうか。凍えそうになりながら、”マック”を目指した。しばらく歩くと、大きな”M”が見えてきた。砂漠のオアシスのようだった。

店内に入ると、先に着いていた先人のホームレスのおじさんたちが、テーブルに突っ伏していた。さっき僕にこの過ごし方を教えてくれたおじいさんは、注文を終えて席に座ると、頼んだコーヒーを一口飲んで、速攻で机に突っ伏していた。

この$1のコーヒーで彼らは安心して寝られる数時間を買っているのだと思うと、なんだか複雑な気持ちになった。

マックの椅子は、硬くて、長時間眠るには硬すぎて、ホームレスのおじさんたちと奇しくも一夜を共に過ごした僕にとっては、なんだか、とてつもなく無機質なものに思えた。


ツアーでは絶対に見ることのない景色、体験。

ガイドブックに載らないイエローナイフの日常。


思いがけず、現地のリアルな生活に触れた僕は、自分の心のコップから溢れる名前のつけられない感情に戸惑いながらも、まだ温かいコーヒーをゴクっと飲み干した。



【第3話へ続く】





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