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第二十二章 馴染みの娼婦が背中を押した「男の価値は…」(後編)

この物語はフィクションです。登場する団体、名称、人物等は実在のものとは関係ありません。


赤線とはー
性風俗の混乱を恐れた国が慰安所として許可を出した特殊飲食店街。半ば公認で売春が行われ、警察の地図に赤い線で囲ったため、赤線と呼ばれた。ー


―横浜・永真カフェ街―

 千秋が浜やんに聞いた。

「そうそう、あんたが前に店に来た時、赤線が廃止になるってこと気にしてたわね」

「あぁ…あの時から俺の頭には計画があったんだ」

「でも、あんたが狙わなくても…」

「俺にとっちゃ、店が女を仕込む時、まとまった金で取引されているってことが魅力だったんだ。そこを狙えば一攫千金だなって思って」

千秋は黙って聞いていた。

「俺、ガキの頃から人とは違った生活というか…親父が死んで母ちゃんが苦労していたから、桜木町で靴磨きやっていたし…アメリカ兵が女を買って寝る場所を提供してたし…キャバレーで弁当も売っていたし…みんな日銭、小銭稼ぎだった。稼いだ金はなるべく家に入れるようにしていたけど、働いても働いても金は貯まらねぇ。だから、という訳でもねぇが、まとまった金を手にしてみてぇってもの凄く思っていたんだ」

「でも、あんたは船に乗ってたんだから、お金には困らなかったんじゃないの」

「それがそうでもねぇよ。船員はクビになっちゃったし、先のこと考えると…やっぱり不安だよな。子供の頃からずっと続いている貧乏性って、体にこびりついて治らないし…」

浜やんがなおも続けた。

「店を荒らして思ったのは、頭を張っている店の主たちだけが人の世の旨味を味わうことが出来るってことだった。人の世の旨味って金のことだけど。俺はそんな世の中を憎んだり、反感を持ったり…白い目で見るようになっていった。俺、よく人なつっこいとか、ひょうきん者って言われてたけど、それは表の部分で、裏では白い目で世の中を見るようになっていったんだ」

 意外だった。これまで客として来た時にはそんな雰囲気をおくびにも出さなかった浜やんがそこにいた。実際、この夜の浜やんは饒舌だった。旅の途中で言いたいことも仲間に言えず、ヒロポンで閉じ込めていた分を吐き出しているかのようだった。

 千秋が口を挟んだ。千秋は浜やん以上に金に縛られた日々を送っている。

「娼婦のあたしが言うのも変だけどさぁ、金のこと考えていたらピンハネがひどいこの世界じゃ生きられない。とっくに死んでるわ。あんた、人の世の旨味って金のことだっていったけど、それは違うよ。気持ちの問題でもあるんだ」

「…」

「赤線というがんじがらめの世界で生きていても人の世の旨味じゃないけど、ささやかな幸せに浸れる瞬間ってあるの。例えば、あんたがラーメン食べに行こうとか、映画に行こうって誘ってくれる時なんか、そう思うわ」

「…」

「さっきねぇ、金も体もがんじがらめで生きてる身にゃ、店から金を奪ったって聞くだけで気分がスカッとするって言ったけど、勘違いしないで欲しい!女の体を道具にして金儲けするのは絶対ダメだ。やっちゃいけない。それやると結局、赤線の店側と同じになっちまうんだ!」

 千秋の勢いに押され、浜やんが力なく呟いた。

「もう、やらねえよ」

 千秋は、この夜浜やんが逢いに来たことが何を意味するかはよくわかっていた。逃れの身となって現れた浜やんは明日マリを奪い返す為、赤線の店に乗り込むのだという。飛び道具は持っているものの殺るか殺られるかの勝負。場合によっては…浜やんはもう二度と自分の前に姿を現さないかも知れない。浜やんもその覚悟で来ている筈だ。せめて今夜は意味のある夜にしてやりたい。

「前にあんたを一人でも勝負が出来てそこが凄いとこだって言ったの覚えている。
いろんな男を見ているけど、そんな人、殆どいないよ。普段は調子いいこと言っていてもいざというと逃げちゃったり、何処かに責任かぶせたり、そんな奴ばかりさ。
年は若いけど、あんたは私が知っている男の中でも一、二を争うほど凄い男だよ。
男の価値はそこだけさ。この先あんたが死んでも生きても…例えどんなことがあっても私は誇りに思うわ。私にはこういうお客がいたって…」

 嬉しくて涙が出た。そこまで言ってくれる千秋の優しさというか、本物の情けに初めて触れたような気がした。
 千秋が更に念を押した。

「あんたが惚れた女だ。命投げ出したって助けてやりな。男だったらやらにゃぁ…それが出来ないくらいだったら女なんかに惚れちゃあ駄目だ。お月様に笑われる…でも、あんただったら絶対出来る!その女をなんとか助け出してやりな」

 千秋の振り絞るような声が部屋に響いた。嗚咽を必死にこらえているのだ。
 千秋は捕らわれの身のマリと自分の身を重ね合わせているようだった。同時に浜やんの身も案じていた。そうした葛藤と闘いながら浜やんに勇気を与えたのだ。

 詐欺師くずれで破天荒のワルというレッテルを自らに貼り、さらには恋人を人質に取られ、どん底状態の浜やんは、千秋の精一杯の勇気づけに救われる思いがした。
いざ、マリを助ける段になって、襲って来る恐怖心など浜やんの心を覆っていた霧のようなモヤモヤしたものが千秋の言葉で一気に晴れた。

後はやるだけだ。

続き > 第二十三章 暴発! リボルバー たった一人の殴り込み(前編)
―名古屋―

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◆単行本(四六判)

◆amazon・電子書籍

◆作詞・作曲・歌っています。


参考文献

兼松佐知子(昭和62年)『閉じられた履歴書 新宿・性を売る女達の30年』朝日新聞社

木村聡(写真・文)(平成10年)『赤線跡を歩く 消えゆく夢の街を訪ねて』 自由国民社

木村聡(写真・文)(平成14年)『赤線跡を歩く 続・消えゆく夢の街を訪ねて2』自由国民社

澤地 久枝(昭和55年)『ぬくもりのある旅』文藝春秋

清水一行(平成8年)『赤線物語』 角川書店

新吉原女子保健組合(編)・関根弘(編)(昭和48年)『明るい谷間 赤線従業婦の手記 復刻版』土曜美術社

菅原幸助(昭和62年)『CHINA TOWN変貌する横浜中華街』株式会社洋泉社

『旅行の手帖(No・20)』(昭和30年5月号) 自由国民社

 ※近代庶民生活誌14 色街・遊郭(パート2)南 博  三一書房(平成5年6月)

名古屋市中村区制十五周年記念協賛会(編)(昭和28年)『中村区市』(名古屋市)中村区制十五周年記念協賛会

日本国有鉄道監修『時刻表(昭和30年)』日本交通公社

日本遊覧社(編)・渡辺豪(編) (昭和5年)『全国遊郭案内』日本遊覧社

広岡敬一(写真・文)(平成13年)『昭和色街美人帖』自由国民社

※戦後・性風俗年表(昭和20年~昭和33年)

毎日新聞出版平成史編集室(平成元年)『昭和史全記録』 毎日新聞社

松川二郎(昭和4年)『全国花街めぐり』誠文堂

森崎和江(平成28年)『からゆきさん 異国に売られた少女たち』朝日新聞出版

山崎朋子(平成20年)『サンダカン八番娼館』文藝春秋

吉見周子(昭和59年)『売娼の社会史』雄山閣出版

渡辺寛(昭和30年)『全国女性街ガイド』 季節風書店

大矢雅弘(平成30年)『「からゆきさん=海外売春婦」像を打ち消す〈https://webronza.asahi.com/national/articles/2018041300006.html〉令和2年12月14日アクセス 朝日新聞デジタル

※参考文献の他に物語の舞台となっている地などで、話を聞いた情報も入れています。取材にご協力いただいた皆様に感謝いたします。ありがとうございました。

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