足下で医学部の易化が進んでいる背景は何か

足下で医学部の易化が進んでいるとのことだ。特に地方国立医学部の易化が進んでいるとのことで、一部には阪大の理系に通る学力があれば十分に通る医学部も出てきているらしい。
筆者が受験生の時は考えられなかった現象だ。
医学部はどれだけ僻地にあるようなところであっても最低でも京大の理系に通る程度の学力、実質は東大理系(not 理三)程度の学力は必要であったので隔世の感がある。

大人がこれだけnoteやX等で、医学部に行っておけば良かったと言っているにも関わらず、18歳の受験生は異なる選択を取っているというのは非常に興味深い現象である。
大人から見えている世界と受験生そしてその保護者から見えている世界はそんなに異なるものなのか?

そこで今回は医学部が易化している背景に関して、考察してみた。
ちなみに以下が筆者が考える医学部が易化している背景である。

・単純に景気が良く、若者が就職に困らなくなった
・勤務医の労働環境が厳しいことが知られるようになった
・民間企業が労働環境の改善に乗り出した
・地方に一瞬たりとも行きたくない、都会と地方の学力差の拡大
・情報系という新しい出口戦略の登場

それではもう少しこれらの要因に関して考察してみたい。

1.単純に景気が良く、人口動態の観点から若者が就職に困らなくなった
足下の状況を景気が良いと呼んでいいのかは様々な議論があるところではあると思う。
株価や不動産は上昇している一方で、インフレに名目賃金の上昇が追い付いておらず、実質賃金自体は下がっているからだ。ただ、全体として見ればバブル崩壊後にずっとデフレが進み、「失われた30年」と言われていたような状況とは様相はかなり異なる。
ここ数日でかなり下げてしまったが、日経平均はちょっと前まで過去最高水準にあったし、円安を背景に過去最高の業績を出す企業も増加、大手企業を筆頭に賃上げが進み、日銀もついにマイナス金利を解除、YCC修正、今週の日銀政策決定会合では政策金利が遂に引き上げられた。過去数十年続いたデフレムードが払拭されつつあるなど、コロナ前とはかなり状況が変わったことも事実である。
また、少子化を背景に若者が就職に苦しまなくなったというのも一定程度事実であるとは考えており、当該事実が受験生にまで届いていることで敢えて高校時代に医学部を選択する必要が無くなったというのが事実としてあるのかもしれない。
また高学歴の学生が将来就職するような企業は、外資系もしくは日系であったとしても海外でも収益を上げることが可能なグローバル企業であり、一定程度外貨を稼ぐことが出来るため、足元の円安、インフレ下に強いという要素を持つ。
総合商社、メガバンク、大手メーカー等は典型例で、足元の決算もすこぶる調子が良い。いずれも円安や資産価格の上昇、利上げを背景に過去最高益を出している状況である。

その一方で医師は基本的に超ドメスティック産業であり、国内完結型のビジネスである。インフレには弱く、円安に対応できるわけでもない。受験生がここまで考えているとは思えないが、いずれにせよ最大手に限って言えば、民間企業の方が足元の経済状況に強いと言いうのは事実である。

またこれは後述するが、都内に限って言えば、医師とエリサラの間の待遇格差はそこまで大きくない。むしろ外資系を筆頭に一部のエリサラの待遇は勤務医を上回るものもいるだろう。そのため、都心に残りたい人にとっては、医師はそこまで魅力的な選択肢に見えないのかもしれない。

つまり、世の中全体にある意味楽観ムードが漂っているのが足元の状況なのではないかと考える。(昨日、日経平均は大暴落しており、徐々にさすがにバブルが崩壊してくる可能性が高いが)
基本的には、景気が良い時は医学部以外の学科の人気が回復し、景気が悪化すると医学部の人気が上昇するというのがセオリーであるので、足元の感覚としては皆がバブルに浮かれているような状況なのであろう。
また明らかに労働の価値が低下しており、そのような中で超労働集約型産業の医師の魅力が低減してしまっているのかもしれない。

2.勤務医の労働環境が厳しいことが知られるようになった
勤務医の労働環境は確かに厳しいものがあると思う。
長時間労働、夜勤、訴訟リスク、そして何より基本的に医師は究極のBtoCなので、自分で客(患者)を選ぶことが出来ない。
変な客の相手をしなくて良いという観点では、明らかにサラリーマンの方に優位性がある。
長時間労働を背景に自殺する医師もニュースで取り上げられていた。
勿論全ての診療科で、上記の全てが当てはまる訳ではなく、医師の場合は診療科を自分自身で選択することも出来るので、人気の診療科と不人気の診療科で明暗が分かれる結果に繋がっている。皮膚科や精神科、更には眼科などの従前ではマイナー科と呼ばれていたような科の人気が高まる一方で、外科等の激務な科は避けられる傾向にあるようだ。
ただ真面目に勤務医をやろうとすると、様々なリスクがあり、待遇面でも前述したエリサラに敵わない可能性が出てくるので、そうであれば最初から医師は避けようかと考える学生がいてもおかしくはない。

3.民間企業が労働環境の改善に乗り出した
その一方で民間企業は人手不足や働き方改革、更にはコロナ禍で広がった労働への意識の変化を背景に労働環境の改善に乗り出している。
長時間労働の撲滅、パワハラ、セクハラの根絶、転勤の減少、在宅勤務、フレックス等、大手企業を中心にホワイト化が進んでいるのは事実である。
最近定時退社を決め込んでいたが、定時に駅に行くと人が溢れかえっており、正直びっくりした。日本人が激務ってもはや過去の話なのでは?と言うのが正直な感想ではあった。それもあり、民間企業の魅力が高まる一方で、医師の人気が下落していてもおかしくない。

ただ注意したいのは、東大生や卒が行きたいと考える進路は、いずれも長時間労働が残っているという点だ。
コンサルや投資銀行などの労働集約型産業では、そもそも人が手を動かさないと仕事が進まないので、労働時間の削減にも限界がある。
またそもそもこれらの業種は、東大を出たからと言って入れるような業界ではない。体感ではあるが、外資系の投資銀行・戦略コンサルは高く見積もって東大卒の5%~10%程度、日系の投資銀行は10~15%程度、総合系コンサルの上位に関しても東大卒の30%~35%程度しか内定を獲得できないだろう。またそもそも入れたとして厳しい労働環境が残っているので、長年残って行けるかと言う観点でも疑問符が付く。
これらの職種に辿りついたとしてもその後は激烈な競争が待ち受けているので、比較的参入障壁に守られている医師と比較するとどうしても劣後してしまうと思うのだが、受験生にはそこまで目が行かないのだろう。なんせ、勉強のできる受験生は殆ど人生負け知らずで、自分が将来負けるということなんて一ミリも頭にないのだから。

4.地方に一瞬たりとも行きたくない、都会と地方の学力差の拡大
実はこれも、結構大きな要因なのではないかと考える。
医学部に進学する場合は、どうしても多くの場合で地方の医学部も選択肢に入れざるを得なくなる。
首都圏の国立医学部はいずれも超難関であり、そもそもサピックスに課金したら合格するといった類のものではないし、私立医学部の場合は学費の問題がある。
そうなると医師になりたい場合は、地方の医学部に目を向けざるを得ないが首都圏で生まれ育った者にとっては、どうも地方で生活するというのは厳しいところがあるようだ。
また首都圏と地方で上位層の学力格差が拡大しつつあるのは明白である。
前者が中学受験の段階から勉強を始めている一方で、後者は高校受験の段階でようやく重い腰を上げることになる。
勉強の年数と言う観点では、3~4年程度は異なるので、どうしても平均を取ると前者に敵わないだろう。
またそもそも、首都圏の方が親の意識が高く、優秀層が集まるため、地頭が異なる可能性もある。
そのような学力格差が進行する中で、首都圏の学生が地方回避を背景に地方医学部に行かなくなるのであれば、自然と東大などの都心の大学の偏差値が上昇する一方で、地方医学部の偏差値は低下してしまう訳である。
また最近では、経済面や人口動態の観点で首都圏と地方の格差が進行し過ぎた。地方では少子高齢化が物凄いスピードで進む一方で、東京はそこから流出する若者を吸収し続けている。不動産の価格も都心と地方では雲泥の差がある。集まってくる情報量も違うだろう。

地方都市を除く田舎に行くと医師であったとしても出会いが無く結婚できないかもしれない、家を買っても負動産になるかもしれないなどと考えると回避したくなる気持ちも分からなくはない。(ちなみに前者は恐らく杞憂であり、後者に関してもそもそも地方の物件は安いので問題にならないのでは?と思ったりもするが)
もう少し恋愛、婚活の観点で深堀りすると、男性医師が地方で自分と同等の学力を有する相手と巡り合うのは少し難しいかもしれない。確かに男性医師は地方では無敵状態ではあるのだが、学のある女性の東京一極集中は男性よりも顕著であり、仮に男性医師がそのような相手を望む場合は地方在住は不利である。やはり恋愛だけはどうしても地の利が効いてくるのである。
同等の相手を仮に望むのであれば、都心や京阪神のほうが有利だろう。まあ、同等の相手と結婚することが果たして幸せかと言われるとこれまた難しい問題ではあるが。

また仮に都心部で勤務医になれたとして、今度は前述した通りで都心の勤務医の待遇はエリサラと大差ないという現実がある。実はこれ、ちょっと場所を外して埼玉とか千葉の奥地にいくと医師不足で待遇はかなり改善するみたいだが、やはりそれでも東京に住みたい若手が多いのだろう。そうなってくると、最初から医学部に行くくらいなら東大でいいよねという発想になるのかもしれない。

逆に言うと、受験生の中で医師になりたいものは今がチャンスなのだ。
年間50万程度の学費と安い地方の生活費で医師免許が取得出来てしまう絶好のタイミングである。
正直な感想であるが、どうせ学生時代なんてお金が無いので、首都圏にいたところで遊び散らかすことなんて出来ない。それであれば、6年間くらい地方生活を我慢すればいいのにと言うのが筆者の正直な感想なのだが、どうも6年間と言う数字と地方の組み合わせは学生には重荷に感じられるものらしい。

5.情報系と言う新しい出口戦略の登場
これも一因としては大きいだろう。従前は、理系出身の学生、特に工学部等は地方の研究所や工場に就職するというパターンが多かった。
理系の学生が転勤リスクを回避しながら首都圏で絶対に働きたいという場合は、金融専門職やコンサル等文系就職を果たすしか選択肢が無かったのである。
筆者が学生の頃はまだまだ情報系学科と言うのはマイナーな存在であり、一部の物好きが行くような学科であった。当時から東大の計数工学科は一定程度人気があったが、理学部情報学科なんかは全然人気がなかったのだ。
それが近年の米国を発端とするAI革命を背景に、日本の学生にも情報系と言う選択肢が出てきた。情報系の進路は文系就職と同じで、首都圏で働けるし、何ならパソコンさえあれば全国どこでも仕事が出来るので、そもそも勤務地を選ばないという側面すらある。これは首都圏在住で理系進学を希望する学生には非常に魅力的に映るだろう。
超優秀層で英語が話せるのであれば、海外で働く選択肢も出てくる。
これは地方の病院で働く選択肢よりは幾分か魅力的だと感じる学生が多くても全く不思議ではない。

ちなみこれは金融業界でも同じであり、情報系の学生に対するニーズは確実に高まっている。
従前は優秀な理系の学生はデリバティブのモデル開発などのクオンツ業務にあてがわれており、ここでは非常に高度な数学的な素養が要求されるので、どちらかと言うと理学部の物理学科や数学科の学生が採用のターゲットになっていた。
その一方で近年では、リーマンショック以降の金融規制の強化に伴うデリバティブビジネスの衰退を背景として、現在の金融業界ではこのような高度な数学よりもいかにして大量のデータを機械学習などのアルゴリズムを活用して処理するかと言う点に注目が集まっており、理学系よりも工学系の学生、欲を言えば情報系の学生に対するニーズが確実に高まっている。
つまり今はハード面よりもソフト面に対する需要が高いのである。

ただしネックはやはり情報系には医師免許のような参入障壁が無いため、供給が需要をいつ上回ってもおかしくないということだ。
日本は基本的にアメリカの動きに遅行する傾向があるので、IT人材は相当不足しており、今後数年は安泰かもしれないが、その後は分からない。
長期的な目線でジョブセキュリティーが高いのはどちらか?と言う観点で考えればやはり医師に軍配が上がるのではないか。

またこれはしばしば指摘されることであるが、情報系の分野は知識のアップデートが常に必要な分野であり、若者が高齢の経験者よりも最新の技術動向に詳しいというのはよくあることだろう。
その一方で、医療の分野で必要な知識はそこまでアップデートが必要ではなく、どちらかと言うと経験がものを言う世界である。
若手の医師よりも少し年配の医師に診てもらいたいと考える患者は多いはずだ。
その観点でも受験生は今は若く最新の技術動向にも詳しいので問題ないかもしれないが、今後何年も技術のキャッチアップが必要だと考えると少し気が滅入らないか?
人生長いので、短絡的な思考で情報系に流れ込むのは少し勿体ない気もする。
(その点で言うと情報系の学生にとって、金融業界はおススメである。IT産業と比較すると知識のアップデートはそこまで必要ではなく、何十年も前から存在するファイナンス理論が未だに幅を利かせているような世界であり、技術動向のキャッチアップはそこまで必要ないからだ。おまけに基本的には文系の学生が多い領域であるので、理系と言うだけでかなり重宝される)

他にも要因はあると思われるが、恐らくは上記のような社会的な文脈を背景に医学部の易化が足元進んでいるのであろう。
確かに表面的な医学部の難易度は低迷しているが、医師の職業としての優位性は失われていない。何なら一旦医師免許を取ってから、情報系の勉強をして医療×技術の組み合わせで新たな分野を切り開くことも可能だ。

自分の適性がまだよく分からない受験生はとりあえず医学部に入っておくというにも良い選択肢なのではないかと筆者は考える。