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はじめまして。hikaruです。(〜高校生まで)

皆様はじめまして。hikaruです。私は鍼灸師、柔道整復師の国家資格を有しています。これからいろんな記事を書いていく前にまずは私について知ってほしいなと思っております。

このJPTAの記事を読んでくださっている方はJPTAがどんな組織かもう知っていただけましたか🤔?
私たちは「妊活」をテーマに皆様に知っていただき、理解していただき、また治療を施し、その治療者(セラピスト)を輩出していき日本の「妊活」にまつわる問題に対して前線で活躍していくぞ!!というような意識を持った組織です。 
私がどうしてこの「妊活」を軸に仲間とJPTAを立ち上げようと意識が固まったかは次回以降の記事にするとして今回は私の人となりを知っていただきたいなと思います・・・

私は平成4年に静岡県の沼津市というところで生まれました。         
沼津は魚がうまい🐟!お茶が美味しい🍵!などありますが地元民から言わせていただくとそれ以外にもイチゴ🍓やミカン🍊も美味しいぞ❗あと・・・風がめちゃめちゃ強い!!といった感想です。笑 いまでもたまに帰省すると風がつよいというのはとても感じます。

6つ歳が離れた兄と父親、母親の4人家族ですくすく育っていきましたがうちの家族はほんとに面白い!みんなに紹介したいぐらい面白い!笑
父親は医師であり私が中学に上がるまで相当の頑固者。(いまでも頑固だがぬれ煎餅ぐらいは柔らかくなりました笑)兄とは毎日と言っていいほど喧嘩をしておりそれを陰で見ながら育っていきました。こんな事をしたら父親に怒られる、こんな事をしたら褒められるなど兄の行動をみてずる賢く育ちました(次男ってそんなものだよね?😂)
ただそんな父親にも変化がありました。私が中学に入学する時。それは兄が大学に行くタイミングでもあり兄の上京生活が始まったタイミングでした。もともと恐い父親でしたが(兄にはキツイが私には優しかったが)なんか優しい?柔らかい?そんな感じの性格に変わりました。言葉使いも私の真似をするようになりました。笑 沼津ではもともと語尾に「〜さ」と使いますが若い人が多く使う言葉でもあります。そういった言葉を使うようになりました。中学(中高一貫)に入学し超デブだった私ですがバスケットボールと出会い生活、身体のすべてが変わりました。そのバスケットボールに出会ったきっかけも父親が読んでいた「SLAM DUNK」の影響。その頃たしか完全版といわれる漫画の総集編みたいなものが発売されていたこともあり我が家にバスケットボールブームが🏀笑
私がやっている部活動なのに父親が「練習着新しいの欲しいのないのか??」「バッシュは足に合ってるか??」など当時は気づかなかった優しさですが今思えば優しさの塊ですね・・・(この記事書いていて目の前が濡れてきたと思ったら号泣してました。😭笑)
そんな家族の支えもあり先輩の活躍のもと、入部一年目から「全国大会」へ。大きな舞台でやるスポーツはレギュラーでもない私でも緊張しました。
このときから「スポーツ」の楽しさにのめり込んだ私は次期に「身体」についても興味を持つようになります。よくある「怪我をして治療してもらったのが鍼灸だった」というよくあるお話です。

部活動ではゆるい先輩達から上下関係を、とても怖い顧問(今では私の性格を作り上げてくれた恩師)からは様々なことを教えていただきました。この顧問は有名な顧問で教え方も今では出来ないような教え方で選手(生徒)みんなが必死に食らいついていました。ただ・・・褒められるととても嬉しい。なんだったんでしょう?いつも怖い顔、怖い雰囲気のもと練習が開始しますが正しい技術、正しい選択をした時は褒めてくれます。でも他の人にはない「褒め」から得られる感情(説明するのが難しい😅)
この顧問は練習中のバスケットの技術だけでなく、校舎内でのマナーや試合会場でのマナー、練習試合相手や会場の人たちに対してのマナーにとても敏感な人でした。
そこで徹底的に学んだのが「挨拶」
たかが挨拶、されど挨拶といった感じで今の自分はこの挨拶で生きれているようなもの。この「挨拶」からはただの会話のコミュニケーションだけではなく声の大きさ、トーン、顔の視線、身体の姿勢といった第一印象につながる要素がたくさんあります。当時は褒められるから大きな声でこなしていた「挨拶」ですが今では医療人、または一個人として職場や教育現場にとても役立っています。私は中学、高校当時相当なお馬鹿さんでした。各教科の能力別クラスも一番下のクラスから上がれたことがありません。そんな私ですが相当先生から気に入られていた生徒だと今思うと感じます。(今でもたくさんの先生たちと交流を持たせて頂いているのでおそらく大丈夫🤔笑)それは確実に「挨拶」から印象を与えた恩恵が大きかったと感じています。こんな事を高校生高学年から感じるようになり自分を客観的に見れる様になってきました(これをメタ認知能力という✎)同時に「性格が冷めてきた」という表現も正しいかと思います。今までバスケバカで部活しかせずに生活してきた男が部活を経て得た能力(挨拶)から様々な人と接していく間に物事を客観的に見れる冷静な判断力がついた事に気づく様なってきたのです。

長くなりましたが高校生までのお話をさせていただきました。イイネ!がたくさん集まるようなら大学生編、短期大学編と国家資格を有するまでの私について語らせていただこと思っております。                       中学、高校生とさまざまな怪我をした際に身体に興味を持つようになり鍼灸師の大学へと進学したhikaru。その先にあったストーリーとは。気になる方はコメント、スキをいただけると嬉しいです。


・・・学生当時から思っていましたが「家族の支え」が今の自分を形成してるなと思った時間になりました💻⏳ ・・・後で父親に電話してみよーっと・・・😆

最後まで読んでいただきありがとうございます。