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過去のいじめの話

黒です。今日は以前の記事にも書きましたが、過去の嫌な思い出を清算する記事です。いじめの話です。
過剰な表現内容が苦手な方はページを閉じてしまって大丈夫です。

黒は小学校、特に中学校でいじめを受けていました。そしてその時、人生で初めて死ぬことを考えた時でもありました。いじめに大小はありません。そして人間は1人1人違います。それを踏まえて読んで下さったら嬉しいです。


軽く幼稚園時代の話

僕はおとなしい性格でした。争いを嫌い、静かに生きていきたいと昔から思っていた記憶がありました。1番、最初に、それをいじめだと感じたのは、なんと幼稚園の年長の時でした。

先生のいないときに同じ組の子が、僕が止めてと言ってもからかうのをやめてくれなかったのが1番最初の記憶だったと思います。それで、その子に何かしてしまって(ここら辺は記憶が曖昧です)、その子が泣きました。

それで、一旦自分を落ち着かせようと思ってトイレに行って気持ちを落ち着かせて、教室に戻ったのですが、先生が戻ってきたときに、罪悪感を感じて僕も泣いてしまった記憶があります。

まだ、ここら辺は可愛い思い出です。小学校に通うとなった時に少し状況が変わります。


小学生時代

まず、背景として、僕が住んでいたところは田舎の小さな町でした。今思うと、当時は暴走族や不良のたまり場となっていた町でした。

小学校低学年の時、この頃の記憶で覚えているのは、当時ゲームボーイアドバンスでプレイするポケモンが流行っていました。1年生の時にできた初めての友達と、小学校の校門で待ち合わせて、その友達がGBAを持っていたので見せてもらっていました。

その時、通りすがりの知らない上級生に話しかけられ、僕らがプレーしていたGBAを取り上げられ、ただ僕らは何も言えず、終わるのを待っていることしか出来ませんでした。

また、登下校の時に、上級生2人組に遠くから、声をかけられ、答えると、
「お前じゃねーよ」と言われ、その後も執拗に僕1人しかいないのに声をわざとかけてくるといった出来事でした。

まだ、この辺は我慢すればよいし、実害がないので何とかなりました。どちらも不良で素行が悪い人だったことは何となく記憶にあります。学校で良く怒られていて有名だったからです。

上級生になるにつれ、その頻度も減りましたが、たまに何もしていないのに何かと酷い言葉をかけて絡んでくる人は多かった記憶があります。上級生下級生に関わらず、僕は絡まれていました。

今思うと、容姿がいじりやすかったのかもしれません。当時はお洒落を知らなかったし、眉毛も髪型も変だった記憶があります。後は、体が細かったので弱そうに思われていたのかもしれません。

ただ、まだ救われていたのが、独りではなく友達がいたことです。また、その頃から塾に通い始めました。勉強は好きな方で、スポーツは人並みでしたが読書や道徳の本が好きでした。

今思うと色々深く考える癖がついたのはこの頃からたくさんの書籍に触れていたからかもしれません。しかし、中学生に進級し大きく事態は動きます。


中学1~2年生時代

中学生になり、その当時、塾では早くも高校の進路を決めていました。僕は当時、この町の高校には行きたくありませんでした。偏差値は低いし、文化祭にヤンキーが来るって噂だし、何よりこの町から出たかったのです。

そのためには内申点が大事で、部活も運動部に居た方が評価が上がると、その当時何の根拠もない噂に踊らされて、僕は苦手な運動部に入部し、人前が苦手でしたが生徒会の立候補にもチャレンジしました。

これがいじめられるきっかけになってしまいました。まず、中1の時にとある運動部に入部したのですが、そこで一緒になった同じクラスの人がいました。その子は今までにない、頭が良いタイプの子でした。

前期でクラス委員を務めて、色々動ける子でした。特に仲が良かったわけではなかったです。そして後期に何とか僕がクラス委員になったのですが、そこから地獄が始まりました。

その子を中心として、僕がクラス委員として行う仕事を妨害したり、クラスの子全員で無視することが急に始まりました。ズルいのは、その子が実行犯ということは上手く隠して、周りの人を操っている所でした。

その子は担任の先生も気に入らないのか、先生までも攻撃対象になっていました。中学1年生の後期のクラスは荒れ、僕は初めて学校に行きたくないなと思った出来事でした。

先生も余裕が無かったのか、僕の状況には気づいていないような状態でした。そしてそのことを伝えても、もっと先生が病んでしまうと思い、いじめのことは先生に言うことが出来ませんでした。

何より辛かったのは、僕の友達も一緒のクラスだったのですが、巻き込まれるのが嫌だったのか他の子と一緒に居るようになり、小学生時代は仲が良く、部活も一緒だったのですが、あまり関わらなくなってしまいました

※ただ、後日談ですがその友達とは、当時のことを本気で謝ってくれたので、今も付き合いがある友達になっています。

それでも何とか勉強や他のことで気をそらして、学年が上がる時期になりました。学年が上がればクラス替えもあるので、クラスが変わればどうにかなると思っていました。だけど中2になってもっと悪化します。

中2のクラスは上記で述べた子とは違うクラスになれたのですが、それこそ不良の子とそのつるんでいる子がセットになって居たクラスでした。するとやはり何かをしたわけでもないのにいじられる対象が僕になりました。

いじりから始まり、止めてと伝えても悪口をクラスに響く声で叫ぶ連中、たまに手が出るときもありました。挙句の果てには、学校に持ってきているもの、例えばシャーペンや消しゴム、教科書などが無くなったりしました。

先生に言う選択肢はありませんでした。報復が怖かったからです。僕だけでなく家族も巻き込んで、家族がその不良の子、もしくは不良の先輩に何かされたり、その不良の親が何かしてくるところまで考えると、とても言えなかったです。

ただ、それでも僕が耐えられていたのは、唯一の救いだったのは、部活に後輩ができ、その子は僕を慕ってくれて登下校も一緒に帰る仲の後輩が居てくれたことでした。しかし、それ以上に僕を追い詰める出来事が起こります。

最終的な極めつけは、たまたま僕と家族が居ないときに家の前にその集団で押しかけて、目の前で待たれていたことでした。居ないのが分かったのかすぐに帰ったそうですが、それは僕を壊すのには十分でした。

僕は当時家の庭に犬を飼っていました。愛犬が何かされてないか、家族や家のものに被害が出ていないか、そして自分の家でも休息が取れないでいつ来るか分からないそいつ達に神経を使わなければいけないと思うと頭が真っ白になりました。

幸いにもその1回しか来なかったみたいですが、家は僕にとって唯一の安全な場所でした。その場所がなくなることは当時はかなりの不安感と恐怖と、そして失望感があり、僕にとって大きなことでした。


死ぬことを考えた

友達には言えなかった。この期に及んで自分がみじめになるのを気にしていたのもあるし、巻き込みたくないと思った。家族にも相談できなかった。家族に標的が変わっても嫌だったし、丁度その時両親の仲は最悪だった。

死ぬことを考える子は自分以上に周りを気にする子が多いのだと思う。自分の関わっている人が傷つけられるのを嫌がる。そんな他の人を気にしている場合ではないのに。優しすぎるが故に自分を犠牲にする人が多い。

この時期、丁度ニュースで14歳で自殺した子の特集など世間でもいじめ問題が多く報道されていた。ニュースを見るたび僕は泣いていた。どうしてこんなに優しい子が死ななければならないのかって。

毎日が辛くて、誰も救ってくれない。学校を休むという選択肢は僕の家庭ではその当時無かった。誰も見ていない所で泣いていた。涙が止まらなかった。すごく心が疲れていて、ふと思った。


なんで僕ばかりがいじめの標的になるんだろう。
争いが嫌いで、ただ普通に過ごせればそれで幸せだった。
僕が何か悪いことをしたからその報いなのかな。
兄弟や両親、愛犬に被害がいくのは絶対に嫌だな。
高校の内心も休めばダメになっちゃうだろうな。
ニュースを見てる限りだといじめを相談しても解決しないって。
引っ越しも現実的にできないだろうな。
この先、生きていて良いことってあるのかな。
こんな僕の命に意味なんてあるのかな。
男なのにこんなに弱くてごめんねお母さん、兄弟。
僕のせいで怖い思いさせてごめんね愛犬。
こんな僕でごめんなさい。あ、そっか。
自分が死んだら全部考えないで良いから楽になるのかな




だけど、本当に死ねば解決するの?

一旦死ぬことを真剣に考えた時に、もう一つの想いも沸々と溢れてきました。

華の高校生活は?高校生になったら変わるかもよ?
まだまだやりたいことあったんじゃないの?
大人になったらもっと色々な世界が見れるかもよ?
高校生や大学生を経験してから判断しても良いんじゃない?
僕が死んだところでいじめた奴らは何事もなく生きていくの許せるの?

不思議なことに、さっきまで悲しみに打ちひしがれていたはずの感情に怒りが込み上げてきました何でこんな奴らのために死ななければならないんだと。どうせ死ぬなら巻き添えにして相殺してやると。

その当時、好きなアニメとして「ひぐらしのなく頃に」を見ていました。どの部分とは言及しませんが、かなり僕に勇気をくれました。そして、次のような思考になり、明日からやり返そうと思いました。

どうせ死ぬ予定だったんだから何でもやってやる



それから

次の日から、僕は普通に学校に行きました。そして、相手から何かされたらやり返そうと思いました。そして暴力では勝てないので頭を使って精神的に追い詰めてやると思っていました。

すると案の定反省の色もなくいつもの不良の奴らがいつも通りいじめてきました。まずその時にいつもより大声で拒否してみました。ただ、やはりそれでもずっと罵声を浴びせてきたりとキリがないので方法を変えました。

いじめてくる側が被害者側になったらどうなるでしょうか。それを教えてあげようと思いました。そいつらの靴もしくは上履きの片方を持ち帰って近くの林に捨てました。もちろん、今思えば悪いことです。

ですが当時はその行為がバレようが、咎められようがどうでもいいと思っていました。自殺を考えるよりましでしょ?と思っていました。

実行する時間、場所の防犯カメラの有無、目撃者などありとあらゆるシチュエーションを考えて、起承転結の起を起こさないように実行しました。また精神状態も1周回ってかなり冷静になっていました。

いじめてくる日は、その奴を覚えて、靴を持ち帰って捨てるルーティンをしつこく繰り返しました。すると数日も経たないうちにいじめがピタッと止まりました。呆気に取られました。そして学校で事件にもなりませんでした。

大方予想通りでした。いじめている側からすればまさか自分が被害者になるとは思わないでしょう。被害者になったとしてもその被害を誰かに言うことは決して不良のプライドが許さないと思っていました。

僕と同じで他の人には言えず事件にもならないのが筋書き通りでした。いじめが止まったのは恐らくですが、そんなことをしている余裕が無くなったのだと思います。そして僕が疑われはしなかったのかという点です。

僕は感情をなるべく出さずに以前と同じように振舞うようにはしていました。そして不良集団は僕以外にも大勢の恨みを買っているので証拠を突き付ける以外僕を特定することが出来なかったのだと思います。

それでも、理不尽に僕に何かしてくるようなら更に手は考えていましたが、それはしてこなかったので、とりあえずここで不良集団は一旦終了です。次は頭の良い1年の時の子です。この子とは部活が一緒でした。

まずは単純に部活内で試合をした時、その子よりも強くなりました。前述した慕ってくれた後輩が1個下の学年では1番強く、僕と一緒に練習したりもしてたので強くなれました。

そして単純に勉学もその子より点を取りました。数学はその子は97点で部活で自慢していました。学年で順位が出てたと思うのですが、その子が2位でさ~みたいな話をしていて、突然お前は何位だった?と聞かれたので

学年1位だったよ」と答えてあげました。きょとんとして驚いた顔をしたので丁寧に順位の紙を見せてあげました。その子は何も言えなくなりました。

そして、気に食わないと思ったのか、また他の人に僕の悪口を言っている瞬間をとらえて、「何話してるの?」とこちらから話しかけました。何でもないと逃げるようにその場を去って行きました。

自分でも驚くほど以前とは違ってその子の前では堂々としていたので、恐らく驚いていたのだと思います。その時から部活でも逆に注目されて、勉強でも目立ったので周りに人が寄ってくるようになりました。


中学3年生時代

中学3年になった時、クラス替えは不良の子もいなく、頭の良い部活が一緒の子もいない、本当に静かに過ごせるクラスに幸運にも当たりました。

相変わらず不良の子は周りに迷惑をかけているし、部活が一緒の例の子はせこいし、全てが変わるわけではありませんでした。そして進路について、この町の人が行きにくい遠くの私立高校に行きたいと思っていました。

その私立高校は、当時1番下のクラスでも偏差値は55ないといけないようなところで、そこの最寄り駅は発展している、いわば都会と言った場所でした。

親には公立に行けと言われていましたが、その公立は地元の近くで、そして僕の嫌いな部活が一緒の子やこの町の人が何人か行きそうな高校でした。だから受験はしましたが、わざと落ちました

結果としては私立高校に入るのですが、この選択をして本当に良かったと思っています。もしも外の世界を知らないで生きていたら今の自分がないからです。高校の修学旅行が海外だったのも今の僕に繋がっていると思います。

そして、後日談となりますが、高校ではいじめが起こるような環境ではなくて本当に感動しました

私立ということもあるかもしれませんが、ある程度偏差値があると、皆いじめが何も生まないことを分かっている人たちばかりで、驚くことに僕も含めてクラス全員仲が良かったです。

話を戻りますが、高校進学が決まった後は、中学校は午前中は休んで給食だけ食べにいき、帰り、あとは成績が関係なくなったので休みました。

学校では卒業式練習をやっていたのですが、これが本当に嫌いで、皆の前で返事をしたり、賞状を受け取る練習が嫌で1回出てあとは休みました。不思議なことに母はそのことを許してくれました。

このおかげで中3は穏やかに過ごすことができました。


いじめられている人へ伝えたいこと

以上が僕の話になります。僕はたまたま心が強かっただけで世の中はそうじゃない人もいると思います。今はSNSが発展して、もっといじめが複雑な構造になっていることも聞きます。

もし、今の環境が辛かったら逃げて良いよ戦うことも大事だけど、それが出来なかったら逃げていい。逃げることは格好悪くないし、将来は何とかなる。いじめてくる奴が100%悪いし、そんな奴らの相手をするだけ君の人生が無駄になる。

大学で習ったけど、今は戦争がない時代なのに20代、30代の死亡原因の1位が自殺の国、日本。毎年約2万人も亡くなっているこの日本をみて本当に悲しい。これを聞いて将来が嫌になるかもしれない。

でも伝えたいことがある。そんな繊細な優しすぎる君には生きてほしい。だから頑張りすぎないでほしい困ってたら迷惑をかけると思わずに相談してほしい死なないでほしいどうか生きてほしい

僕もこれまで何度も消えたいと思うことがあった。でもそれでも昔の僕からしたら有り得ないタイプの人と関われたり一生で1度しか経験できないことをしたり、自分自身が変わることが出来た

僕の場合は死ぬつもりだったから、その分高校生になったらそいつらよりも勉強して、そいつらが中学の頃付き合っていた奴らよりもかわいい子と付き合ってやると思ったり、そいつらより幸せになってやると思った。

実は高校は私立だけど、色々紆余曲折があって途中で通信高校に転校している(笑)。それでも薬剤師になれた。今も会社辞めてワーホリに行こうとしている。こんな社会に馴染めない僕が生きてるから君はもっと大丈夫

顔も不細工だったけど高校デビューしてお洒落を覚えてから、髪型とか変えたりして、今はありがたいことに女性にカッコいいって言われたり、職場でも王子って呼ばれてる(笑)。

逆にいじめの後遺症がないわけじゃない。潜在的に集団は苦手だし、人付き合いが苦手で今も相変わらず1人でいることが多い。会社のグループワークとか友達の結婚式とか、相変わらずぼっちだった(笑)。

でもこんな僕でも少ないながら友達がいる。本当に人生は何が起きるか分からない。もちろん高校生から今まで嫌なこともたくさんあった。それでもこのいじめが僕の場合は原動力となって今の自分を動かしている。

いじめている奴らが何事もなく人生を歩んでいるのは許せない。君が悲しい思いをして歩いているのはもっと許せない。だからこそ、逃げてでも良いから自分を大事にしてほしい。

絶対に君の居場所がある。この世界は広い。だから大人になってしばらく生きてみてから君の人生を判断してほしい。僕が言えるのはここまで。これを読んでくれた方の心に少しでも響いてくれたら嬉しいです。


今が本当に幸せです。
























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