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心にもないこと

その昔、というか大昔、私がとても若かった頃、一人の男友達が私にこう聞きました。

「いちご(もちろん実際は別の呼び方)のイイとこってどこ?」

なんでこんな質問をされたのか、もう忘れてしまったのですが、とにかく私が、自分で、自分が人より良いと思っている部分はどこか、と聞かれたんです。

当時から現在まで、一貫してあまり自己肯定感の高いタイプではありませんから、本来なら答えを思いつかなかったところです。

ですが、ちょうどその頃、「私がされていてあまり嬉しくないこと」として、一つ私の心に引っかかっていたことがありました。そして、自分はそれをしないので、少なくとも私にとっては、それは長所かも知れない、そう思って答えました。

「『大丈夫ぅ〜??』って言わないところ?」(語尾上げ気味)

するとその友達は、ちょっと驚いたような顔をした後、とてもとても嬉しそうな顔をして、

「最高だな!それ。」

と言いました。

その瞬間、彼は私にちょっとだけときめき、私も私の言いたいことを即座に理解してくれた彼にちょっとだけときめきました。

その頃私は、周りの友人たちが、何かほんのちょっとしたことから、まあまあ大変なことまで、誰かに何かのハプニングがあると、お決まりのように「えー、大丈夫ぅ〜?」と口にするのがとても気になっていました。

以前にも書いたのですが、私は真っ直ぐな心を持ち合わせていないので、人の言葉をそのまま受け止めることができない不治の病にかかっています。


あるかどうか分からない、言葉の真意みたいなものを勝手に見ようとしてしまう。

当時の私には、友人たちの「大丈夫ぅ?」は、言い方を見ても、態度を見ても、絶対に心から心配なんかしていないのに、「心配しているという素振り」を示すためだけの「大丈夫ぅ?」に聞こえていました。「あ、うん、大丈夫。」という答えを期待して、それが得られればノルマは果たしたとばかりに関心を失う。そういう感じ。

あるいは、下手したら、誰かがちょっと失敗して焦っているときの、他人事だからこそ、ちょっと面白がりながら言う「大丈夫ぅ?」

だったら聞かなくてもいいのに。私だったら、本当に気にかけていたら、もっと具体的に「○○したら?」「△△する?」「××しておこうか?」みたいな言葉をかけるし、そんな気持ちがないのなら放っておくのに。何だかモヤモヤ。

それで「少なくとも私はそんな上っ面の言葉がけをしない自分のことを、自分では良いと思っています。」という答えを出しました。そしてその意図を、友達は「『大丈夫ぅ〜??』って言わないところ?」という一言で理解してくれて、しかもそれを同じように良いと思ってくた。

彼にとっては「いいとこどこ?」という質問に対する答え自体の意外性。

私にとっては「それを瞬時に理解してくれた」という意外性。

そう、これはまさに

ギャップ萌え。(多分)

それでその後その友達が友達ではなく別のものに変わるみたいな、胸キュンストーリーを展開できないことにつきましては社員一同心よりお詫び申し上げますが、「友達」の空気が、急にちょっとだけ揺れた、あの瞬間のことは今でも印象に残っています。

しかし、そんな私もすっかり大人になりました。今にして思えば、「大丈夫ぅ?」の友人たちにも、彼女たちなりの、礼儀や正しさ、優しさの定義があって、「気遣いを表に示す」ことそのものに、励ましや応援の意味があると感じていたのかな、とも思います。大人だな。

それに、大人になれば、人付き合いとかなんとか、いろんなしがらみで、どうしても心にもないことを言わなければならない場面で、言ってしまうこと、ありますよね。

いいえ、ありません。

同意を誘導しといて裏切るような真似をしてしまいました。油断は禁物です。ゼロとは言いませんが、ほとんどありません。

私、社交辞令って苦手なんだよねー。だからついホントのこと言っちゃって敵を作っちゃうんだー、みたいなタイプ。

はいウソです。すぐウソをつきますから油断は禁物です。口調にほんのりと偏見が漂ってしまいましたが、今のは「自称サバサバ系無神経」という空想上の生物です。本当は、

「心にもないこと」は言わない。(今ウソついたけど)
でも「少しくらいは心にあること」を言う、に自然と着地点を見出しました。

例えば、社交的に振る舞うために、あるいは話題が見つからず、なんとなく「その服素敵〜」みたいに褒め合いになっちゃう、そんな場面で、心の中で(いや、ワシにはそのセンスはちょっと分からんな)と感じたら、その中でも唯一心から良いと思える部分を探して、その細部を褒めてます。

「しかも、ボタンまで凝ってるー」とか言って。私はもうボタン以外褒めるとこ見つけられませんでしたけど。他の人が褒めたとこに「加えて」そこがいいのトーンで。

もしも、服装にはもう何一つ褒めることがない場合は、別の褒めるとこ探します。「今日なんだかお肌もツヤツヤしてるね」だとか、「今日、いつも以上に○○ですね」だとか、どこか本気で(少しでも)良いと思える場所を探します。

「探します」なんていったけど、そんなに必死にならなくても意外とある。ちゃんと見たら自然に出てきます。そして見つからないときは、

何も言わず、ニコニコして立ってます。ニコニコ、ニコニコ。

でもその方が意外に、相手にとっても自分にとっても納得のできる言葉になるし(だって本当のことだから)本気で具体的に言うことができるので、相手も意外に本気で喜んでくれることも多いし、自分も疲れない気がします。

そして、そうしているうちに何となく人の良いところ、見えやすくなったような気もします。たとえ苦手な人でも、自分の苦手意識と、その人の良いところは切り分けができるようになったような。つまりどんな相手でも基本的には、お世辞ではなく、本当に良いところを見つけて、心から褒めることができます。(例外あり)

褒め言葉に限らず、何であっても、ちょっとでも本当に思えることがあれば言うけど、何もなければ「私のターン」みたいなのが来ないように、ひっそりと佇んでいます。

ちなみに私にも、会うたびに「わぁ、その服素敵ですね〜」みたいなことを言ってくれる知人がいます。

ありがとう。もしてかして私、自分では気が付かなかったけど、とんでもないオシャレさんなのかしら。あるいはあなたと私の服の趣味が見事に一致しているのか…

そんな気は全然しません。

もしかして…「とりあえず服褒めとけ」って思ってない?

多分彼女は話しかけるきっかけとして、挨拶代わりの褒め言葉をかけてくれてる気がします。そういう気遣いをするタイプ。でもいいんだよ?「こんにちは。」とか「お疲れ様です。」とかそういうのだけで始めてもらって。

むしろ、これまで結構会話してる中で、私が「素敵ですね〜」に「あー、あはは。ありがとうございマスゥ〜(デクレッシェンド)」ってなってる感じにそろそろ気づいてくれた方が、(そういう感じの人じゃないんだな)って分かってくれた方が、みんなに言ってそうな同じ褒め言葉で服を褒められるより、嬉しい気がします。

でも、そういう誉め方をするということは、きっと逆に彼女は服を誉められると嬉しいんだろうと思うから、私も褒めるようにしてます。素敵な部分を見つけたら。好みが違うからあんまりないけど。ニコニコ、ニコニコ。

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