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【旅の手記】2022.09.16 ノルウェー・スヴォルヴァー

5時に起きる。旅の間は目覚まし時計の鳴る前に起きることが多い。ホステルの同部屋の人たちが起きる前に部屋を出た。外はまだ深い闇に包まれている。


バス停を探す。オスロ郊外のバス停なんて、正直目的地に着いたところでそこが本当に正しいバス停なのか分かるはずもない。ちょうど来た他のバスの運転手に聞いてみる。

「そこで合っていると思うよ」

その一言に安心してお礼を言った。バスから降りるともう一度ドアが開いて、

「次のバス停の方が確かだからそこまで乗ってきな」と言われた。

「ほら、こっちのバス停の方が明るいからいいでしょ」

旅で感動するのは、こういった人々の些細な優しさだと思う。そして、日々そんな優しさを与えられていることを思い出し、それを誰かに還元しなければと思い直す。旅はいつも僕を修正してくれる。


地平線が赤く燃え上がり始めた。これからようやく北極圏に行ける高揚を表しているようだった。赤や青、緑や黄色。自分の心に残り続けるのは、景色というよりも色な気がする。匂いもそうだ。


ノルウェーに住みたいかと言われたら、少し難しいところだ。一日過ごした感想として、人種的多様性がそこまでないのが引っかかる。もちろん、日本よりよっぽどさまざまな人がいる。だけれども、北欧的な顔立ちの人とそうでない人の境界線がはっきりしている印象を受けた。少なくともバスの運転手は基本的に外国人だった。


ノルウェー語に関しては、やはりオランダ語やデンマーク語系統に似ている。ドイツ語に似た単語もあるけれど、デンマーク後の方がまだ読んである程度分かる。大陸側と半島側で境界線があるのだろうか。


スイスだとスイスのブランドであるonのスニーカーが異様に浸透しているけれど、ノルウェーもヨーロッパ各国とは異なる装いが見られる。服だと、ヘリーハンセン、フェールラーベン。バッグだとDouchebags。靴だとHoka One One。Hokaはスカンディナビアのブランドではないけれど、ここまで見る機会は大陸側ではない。あとドイツとかよりも人がおしゃれなのも大きな違いだ。さまざまな色のレインコートは街に彩りをもたらしている。


やっぱり8時半発の飛行機は少し大変だった。まぶたに重りがのしかかっている。離陸して下が雲に覆われていることを確認するとすぐ眠りに落ちた。Bodøまであと30分というところで目を覚ますと、雲の切れ目からフィヨルドが顔を出していた。


ノルウェー沿岸部は北大西洋海流の影響で、冬になってもある程度の緯度のところまで港が凍結しない。半島の湾内は凍ってしまうから、冬になるとスウェーデンの天然資源はノルウェーのナルヴィクから輸出される。高校の地理でそんなことを習ったっけ。ナルヴィクはここからわずか150キロほどだ。


本当に海岸線の際に山がそびえたっている。ずっと見たかった景色を目の前にすると、なんだかよくわからない感情を抱いてしまった。受験が終わった後に何をしていいのかわからなくなる時に似ている。


Bodø 空港に着陸して3時間ほど次の飛行機を待つ。オスロ行きの飛行機が飛び立つと、この小さな空港は田舎の駅の待合室のように静まり返った。次の飛行機のアナウンスを聞いて、重い腰を上げる。


人生初のプロペラ機はSvolvær 空港に着陸した。飛行機を降りると誰もが口を揃えて感嘆の声を漏らす。天国が実在するとしたらこんな景色なのだろうか。万物を吸い込みそうな深い青の海。すっかり秋色に染まった山。ここで死んでもいいと思える景色とはこういう場所を指すのだろう。


標識すらないバス停でバスに乗り、ロフォーテン諸島最大の都市スヴォルヴァーを目指す。一緒にバスを待っていた外国人とは二言三言言葉を交わした後、僕がバスを降りたことで別れた。極北の地で偶然隣に居合わせたこの50代くらいの女性は、今までどんな人生を送ってきたのだろう。そして何がここを訪れるまで導いてきたのだろう。そんな疑問はもう永遠に答えが明かされない疑問になった。もうあの人とは二度と会うことはないだろう。


いかにも漁村らしい匂いの立ち込めるスヴォルヴァーについた。チェックイン時間より1時間ほど早くついたけれど、レセプションの女性は温かく迎え入れてくれた。

「ここから歩いていけるオーロラの見える場所はどこ?」

「どこでもいいと思うけど、街から離れた場所がいいよ。久しぶりに晴れているから見えるといいね」

この時期のノルウェー沿岸部は、月の半分以上の日が曇りだ。


宿の裏にある街を見下ろせる場所に向かう。楽なハイキングコースかと思っていたら、万里の頂上の一番急なところのような階段が続いていた。階段を登り切って山の中腹についた。もう頂上まで行かなくてもいいやと思ったのはこれが初めてのことかもしれない。もうすでに十分に綺麗な景色があったからだ。街を見下ろすと、よくもこんなところに人が住んでいるものだと思う。夏は白夜に、冬は極夜に包まれるところに、なぜ人は住み続けているのだろう。でもこの景色を目の前にすると、ここに存在する、人が守り続けたい何かを感じる。きっとここに存在する日々の営みはかけがえのないものなのだろう。崖の上の岩に1時間ほど座っていた後、元来た階段を降りた。結局頂上には行かなかった。


宿に戻ると睡魔に襲われ、気づいたら19時を回っていた。沈みかけている夕日を見ながら、ダウンを着て外へ出る。外はもう10度を下回っている。


ゆっくりと闇に包まれていく街を歩く。日本の田舎を歩く時とはまた違った印象を覚える。確かに街の規模は小さいが、古くなった建物はほとんどない。むしろオスロにもありそうな近代的な建築すらある。人々の装いもどこか都会的だ。オスロと同じようにスーパーは23時まで営業している。仕事の種類は少ないだろうが、住んでいて不便には感じなさそうだ。


日が完全に沈んでも星一つ見えなかった。宿に戻ったらスーパーで買ってきたご飯を食べて、その後また外の様子を窺おう。それでも駄目だったら今日は諦めよう。


結局星は少し見えたけれど、オーロラが顔を出すことはなかった。おぼろげな月は弱々しく光を放っていた。

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